認知症の人も心華やぐネイルカラー 全国に広がる笑顔と福祉ネイル
取材/熊谷わこ 撮影/上溝恭香
高齢者や認知症の人や障がい者ももっとネイルを楽しんでほしい――。福祉に関する専門的な知識も備えた「福祉ネイリスト」という仕事を確立した荒木ゆかりさんに、どのような思いで取り組んできたのか、そしてこれからの活動について、お話を伺いました。
ネイルは人の心を癒し元気にしてくれる
――荒木さんは一般社団法人日本保健福祉ネイリスト協会を設立し、福祉ネイリストを養成する仕組みを作り上げました。もともと美容にかかわることが好きで、ネイルのお仕事を始めたそうですね。
荒木 15年前に大阪・岸和田市のショッピングモール内にネイルサロンを開店しました。ごく一般的なサロンで、お客様はせいぜい50代まで。高齢のお客様にネイルをすることはありませんでした。
―― どのような経緯で福祉ネイリストというジャンルを確立されたのでしょうか?
荒木 きっかけは、デイサービスの介護スタッフからの「杖にデコレーションをしてもらえませんか」という電話でした。杖の持ち主は70代の女性。脳梗塞で倒れて左半身に麻痺が残り、杖がなければ歩けない状況でした。病気をしてから自宅に引きこもるようになったというその女性に杖を納品するとき、ネイルを塗らせていただいたんです。「手に麻痺があるから…」と渋々だったのですが、仕上がる頃には笑顔に。翌月に施設の所長からまたネイルをして欲しいという依頼があり、以来、毎月通うようになりました。
――高齢の方にも喜んでいただけたのですね。
荒木 このことがきっかけで自ら営業したり、依頼をいただいたりしながら、他の施設も訪問するようになりました。施術をしながらさまざまなお話をする中で、ある女性がご自宅で暮らしていた時はサロンに通ってネイルを楽しんでいたこと、施設に入ってからはネイルを諦めていたことなどを話してくださったんですね。「あなたが出張ネイルで来るようになって当時のワクワクした気持ちが戻ってきた。来てくれないと困る」と。ふだん、仕事として当たり前にやっているネイルをこんなにも楽しみにしてくれている人がいるのだと、涙がこぼれました。また、認知症の方のネイルを塗ったところ、笑顔ではっきりと「きれいね」とおっしゃったんです。それを聞いた施設の方たちによると、あまり話をされなくなった方で、ご本人の嬉しそうな様子を見るのは久しぶりとのこと。これにはとても驚きました。ほかに、お客様の中には車いすでネイルサロンに通うのが困難な方や、抗がん剤の副作用で荒れてしまった爪に色を塗って隠したいという方、ネイルサロンではお会いすることがなかった、97歳の常連の方も。「爪がキレイになって元気が出た」「ネイリストとの会話やスキンシップで癒やされた」との声がリピートにつながり、2012年頃から訪問先も増加。一方で人手が不足し、福祉ネイルの活動を広げたいと思いながらも行き詰っていました。
――そこからどのような流れで協会設立に至ったのでしょうか?
荒木 一気に動き出したのは2014年7月です。ネイリスト仲間たちに福祉ネイルの活動を紹介し、「利用者さんが思った以上に笑顔になる。もっと広めたい」と打ち明けたんですね。するとみんなが「そんないい活動、広げんとあかんやん!」と賛同してくれて。私よりも熱くなり、2カ月後の9月15日の敬老の日に福祉ネイリストを養成する協会を立ち上げようという話に発展しました。
――仲間が背中を押してくれたんですね。でもずいぶんと短期間でしたね。
荒木 福祉ネイリストを養成するためのノウハウを急ピッチでカリキュラムにまとめ、さらにホームページやロゴの作成といった作業も進めていきました。なんとかなるもので、目標どおり敬老の日にシニアチャレンジッドメンタルビューティー協会(SMBA)を設立。翌年5月に一般社団法人として法人化し、「福祉ネイリスト」という名称を商標登録しました。現在は協会名を一般社団法人日本保健福祉ネイリスト協会(JHWN)に変更し、全国32の認定校で福祉ネイリストを養成しています。
認知症ケアの技法も取り入れた福祉ネイリスト養成プログラムを作成
――福祉ネイリストになるために、どのような知識や技術を学ぶのですか?
荒木 福祉ネイリストの認定講座は、ネイリスト技能検定試験やジェルネイル技能検定試験といったネイリストの資格がなくても、受講できます。カリキュラムの半分は福祉分野で、福祉施設の種類や高齢者心理、障がい者福祉などを学びます。ネイルの技術講習や実地研修もあります。認定を受けた福祉ネイリストは全国で800名を超えました。最近では自分たちの職場でも取り入れたいと、 看護師やヘルパーなど医療や福祉関係の人が増えています。
――カリキュラムには、認知症ケアの技法も含まれているとか。
荒木 カリキュラム作成のための情報収集や勉強をしていた時に、「ユマニチュード」という認知症方向けのケア技法を知りました。ユマニチュードでは、「(相手の目を)見る」「話す」「触れる」「立つ」の4つの動作が基本。この動作を通して、「あなたは大切な存在ですよ」というメッセージを伝えます。対面で、会話しながら手に触れるというネイルの仕事は、じつはユマニチュードそのものなんですね。
また、「回想法」も取り入れています。回想法は、過去の懐かしい思い出について語ることで脳が刺激され、精神状態を安定させる効果が期待できる心理療法のひとつ。認知症が進行しても昔のことはよく覚えていて、施術中に「出身はどこですか」「幼い頃はどんな遊びをしていたんですか」「おじいちゃんとどこで出会ったんですか」などと尋ねると、笑顔になってどんどん話してくださいます。施術中だけでなく、普段の生活でもお箸を持ったり手を洗ったりするときに、カラーリングやアートを施した爪を見るにつけ気持ちが明るく、また穏やかになることも。ネイルが高齢者の情動に及ぼす効果の研究も進められています。
でも福祉ネイリストがお年寄りを元気にしたり笑顔にしているのではなく、施術やおしゃべりをする中で笑顔にしてもらっているのは私たちのほう。元気をいただくことも少なくありません。
――荒木さんの次の目標は?
荒木 直近の目標は、福祉ネイリストたちの手で東京パラリンピックの出場選手にネイルをさせていただくこと。口にしたからには実現させようと、さまざまなアクションを起こしています。また、病院に入院している方などのために、企業と協力して消毒用エタノールで簡単に落とせるお肌に優しいネイルカラーの開発も進めています。今後さらに、福祉ネイリストが活躍する場を広げていきたいですね。
認知症特有の周辺症状(BPSD)改善の可能性も。専門家が検証
認知症の人にネイルをすることで精神機能面やQOL(生活の質)にどのようなベネフィットがもたらされるのか――。吉備国際大学 大学院 保健科学研究科 准教授の佐藤三矢先生は、介護老人保健施設に入所している認知症の人を対象に検証を行っています。佐藤先生にお話を聞きました。
「さまざまな設定で複数の検証を繰り返し実施した結果、認知症を有する高齢女性の爪に、ご本人が希望するネイルカラー(単色でもよい)を塗ることで、95%以上の確率で笑顔の発生を確認することができました」
これは施術中や施術直後の効果ですが、長期的な効果についても検証されています。手の爪が彩られた状況を少なくとも8週間以上継続することによって、暴言や暴力、興奮、徘徊といった認知症特有の周辺症状(いわゆるBPSD)の改善につながる可能性が高まることがわかってきたのです。佐藤先生はこう続けます。
「あくまでも『8週間以上の介入』と、『本人が希望した色で彩られている状況の継続』が必須と考えられます。個人差はありますが、ネイルカラーは施術1週間前後で少しずつ剥がれてくるので、この状況を維持するためには、少なくとも2週間に一度、福祉ネイリストが介入することが望ましい。今後、福祉ネイリストの役割はますます重要になっていくのではないでしょうか」
- 荒木ゆかり(あらき・ゆかり)
- 一般社団法人日本保健福祉ネイリスト協会代表理事。2012年よりネイルサロンへ通う事が困難な高齢者向けの出張ネイルとして福祉ネイリストの活動を始め、2014年に現在の協会の前身であるSMBAを設立。現在、認定校は30校を超え、約700人の福祉ネイリストが全国で高齢者施設や障がい者施設へ出張し、沢山の笑顔を創っている。また、2018年より福祉ネイルの効果を科学的に証明するための研究活動にも参加している。
- 佐藤三矢(さとう・みつや)
- 吉備国際大学 大学院 保健科学研究科 准教授。日本保健福祉ネイリスト協会学術顧問。高齢者レクリエーションや音楽療法、コスメティック・セラピーなど、老年期における明るい豊かな生活を実現するための方法を研究している。