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編集長インタビュー

西行で死ぬか、親鸞で生ききるか。それが問題だ。宗教学者・山折哲雄さんの終わり方

対談する山折哲雄さんと冨岡編集長

日本人の宗教観から日本文化まで、幅広い研究で知られる宗教学者の山折哲雄さん。若い頃からさまざまな病を経験しながらも、87歳を迎えた今年、死生観についての考えを『ひとりの覚悟』(ポプラ社)にまとめました。そんな山折さんに、「自らの終わり方」について、なかまぁるの冨岡史穂編集長がインタビューしました。

冨岡 私たちの中で、どうして認知症は怖いイメージがあるのでしょうか。がんや脳梗塞のような病気とは何が違うのでしょうか。

山折 言葉の問題が非常に大きいでしょう。僕が子どものころは、「ぼけ」という言葉がありました。ぼけというのは日常的に見聞きする言葉で、そういう人が家族の中にもいました。近所でも、葬式の人手が足りないときにすーっと現れる人がいるんだよね。高齢者や精神障害者のような人たちなんだけど、そういう人たちも共同体のメンバーとして受け入れられていた時代がありました。

「ぼけた人」も共同体の一員として受け入れられていた時代があったと話す山折哲雄さん
「ぼけた人」も共同体の一員として受け入れられていた時代があったと話す山折哲雄さん

しかし今は、共同体の柔軟性が失われたのではないでしょうか。病気の人は「ケアして直す」という考えになって、共同体でなんとか助けてきていた状態とは逆の方向に向かっています。その火付け役を果たしたのが言葉でしょう。有吉佐和子さんが小説「恍惚(こうこつ)の人」を1972年に発表するまでは、まだ共同体は「ぼけ」として済ましてきたんですよ。

30年くらい前、生と死を考える研究会があって、「ぼけ」で死んだ方がいいのか、がんで死んだ方がいいのか議論していました。結論はがんのほうがいい。自己が自己であることを自覚している段階で、自分の死に方を選びたいと。私はそれはどうかなと思いながら聞いていました。本人の身になれば「恍惚の人」のほうが、つまり、ぼけて死ぬ方がいいわけですよ。

「枯れる」ことへのあこがれ

冨岡 自己を自覚していない状態で死ぬほうがいいということでしょうか。

山折 自然に死んでいけばいいんです。「恍惚の人」は極楽の人なんですよ。

冨岡 ご著書で「老いていくことで神に近づく」という考えが昔あったと書いておられましたが、そういう考えからすると、「ぼけ」はどんな意味を持つのでしょうか。

山折 老いることは、老成と言うように成熟することを意味し、さらには両性具有の状態になると、ユングも言っています。男性は老いることで自分の内部に女性性を自覚し、女性は男性性を自覚する。釈迦も両性具有的な状態で悟りを開くという。こういう柔軟な考えが、老人の文化を研究していると自然にでてくる。

もう一つが、老いは枯れていくということ。「枯れる」は西洋ではネガティブな価値だが、日本では褒め言葉。「枯れた政治家」と老練な人をいうでしょう。朝日新聞に連載中のコラム「生老病死」でも書きましたが、大正時代には歌詞に「おれは河原の枯れすすき」と歌う「船頭小唄」が空前のヒットになりました。それくらい、日本の文化では「枯れる」ことへのあこがれがある。

「ぼけ」は枯れていくことの過程の一つです。日本の共同体は「ぼけ」を差別の対象にせず、「ぼけた人」を一員としてきた考えがあった。平常の状態から、恍惚の人つまり「ぼけ」になり、枯れて、やがて死に至る。老病死は、なだらかなプロセスです。

冨岡 世の中は一時期、アンチエイジング一辺倒だったのが、最近では老いを受け入れようとする動きが出ています。

なかまぁるの冨岡編集長
なかまぁるの冨岡編集長

山折 老成や老熟は、食の問題と関係がある。自分で食べられるかどうかで、医療は延命治療を続けるかどうか判断する。胃ろうという技術を作り出したが、今になって、「食べられなくなったらそのままで」という考えもでてきた。それを後押しするのがいろんな形の安楽死の実践です。

西行に惚れ、同じように死にたいと…

冨岡 山折さんは新刊『ひとりの覚悟』で「死の規制緩和」を提案し、自分で終わり方を決めたいと述べておられますが、ご自身が認知症になっている場合もそれは可能でしょうか?

山折 そこです、いまの最大の問題です。しゃべらせてもらっていい?(笑)。私は一昨年の冬、不整脈で手術して、奇跡的に回復しました。その療養中にふっと思ったことがあります。私は子どもの頃から色々な病気にかかってきました。十二指腸潰瘍や急性肝炎にもなった。ずっと消化器系の病気で療養していると、自分の病気は存在の重さを象徴するような、鈍痛、激痛、疼痛との闘いでした。ずーっと痛みとの闘いです。生きていることの重さを感じる病でした。

対談する山折哲雄さんと冨岡編集長

今回、かかった循環器系の病気は、逆に存在の軽さを感じました。病気の中には存在の重さを象徴する病気と、軽さを感じさせる病気があるようです。呼吸が軽くなる、大気が薄く感じられる、生きるエネルギーが低下していく。そんな自分の状態が今回、なんともいえない快感に結びつきました。胃腸の病気で横たわっているときの痛みが一切ない。

お釈迦さんの涅槃(ねはん)、サンスクリット語でいうニルヴァーナは、ろうそくの火が弱くなっていく状態に例えられます。存在の軽さの中で消えていく、これは悪くないなと思いました。その影響もあって、長年手放せなかった柳田国男全集と親鸞全集を知人に譲りましたが、存在の身軽さを感じましたね。ここまでが(自分の終わり方の話の)イントロダクションです(笑)。

対談する山折哲雄さん

山折 僕の半生では、平安末期の天才歌人・西行がモデルでした。西行のように死にたいと思ったきっかけは、若い頃の病気です。先ほど話した胃の病気で吐血し絶食したことがありました。肉体は限りなく死体に近づいているのに、逆に生命力を感じた。この経験から、食のコントロールは心身の病から回復するのに重要だと考えました。中世日本の修行者を調べると、ある段階で断食の行をするんです。私自身がどう生きるかという問題として考えたとき、絶食が選択肢に入ってきました。

その療養中に思い浮かんだのが、西行でした。遺言の和歌「願わくは 花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃」が有名ですが、西行は断食で死んだんじゃないかと、はっと気づきました。それ以来、西行にほれて、自分が死ぬなら最後は断食だと言ったり書いたりしてきました。

対談する冨岡編集長

しかしそう思っていたところ、日本の社会に認知症が増えてきた。さて自分自身が認知症になったら断食をどの時点で決断するか、自己決定がどこまでできるか、自分の中で怪しくなってきました。これは私だけの問題ではないと思います。

おととしくらいから、認知症とはどんな病だろうかと考え始めました。その中で、認知症研究のパイオニア・長谷川和夫先生の本に出会いました。ご本人も現在は、認知症の一人であることを公表されています。長谷川さんの本は何冊かありますが、『認知症ケアの心』によると、認知症になって必要なことは、看取る側も看取られる側も、ありのままであることを大事にすること。これは困難なことですが、ピーンときたんですよ。この「ありのまま」を言ったのが、実は親鸞なんじゃないかと。親鸞が説いた「自然法爾(じねんほうに)」は、長谷川さんが言っている「ありのまま」と同じなんじゃないかと思ったわけです。

さあ、そこでだ。僕の今の悩みは、西行の断食往生死か、親鸞のありのまま往生死がいいのかという問題に、自分はどう主体的に関わるのか。これは分かりません。

80代で昼寝・妄想・雑文書き三昧に

冨岡 認知症になることは怖いですか?

山折 不安感はあるが怖くはないね。70代に入って、暮らしを続けるための三原則を決めました。食べ過ぎない、飲み過ぎない、人に会い過ぎない(笑)。食事量を減らし、酒もちびりちびり飲む。20人くらいの宴会になると、お調子者だから飲み過ぎちゃうから、たくさんの人に会わない。

対談する山折哲雄さん

しかし80歳を過ぎ、認知症という悩みが出てきてから暮らし方が変わりました。よく昼寝をするようになった。朝飯を食べてすぐ寝る。昼食を食べて、また小一時間寝る。昼寝三昧です。夜9時には休んで明け方ごろまた起きる。そのまま寝床で浮かぶ妄想が楽しいんだよね。物語がある想像と違って、妄想はつながりがない。妄想の中身は秘密です(笑)。起きてから書く雑文に貢献してくれます。昼寝三昧に妄想三昧、雑文書き三昧の生活です。

妄想は時間軸や空間軸が失われる。長谷川さんが言っているように、認知症は時間と空間がなくなるというから、もう似たような体験をしているのかもしれない。

「ひとりの覚悟」(ポプラ社)
山折哲雄(やまおり・てつお)
宗教学者 1931年生まれ。東北大助教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。著書に「涙と日本人」「『歌』の精神史」など。今年、「ひとりの覚悟」(ポプラ社)を出版した。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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