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編集長インタビュー

僕の夢は、70歳になった白髪のSMAPを見ること 欽ちゃんの「老人」はダメよ2

坂上二郎さんと結成した「コント55号」で一世を風靡し、78歳になる今日までお茶の間に笑いを届けている萩本欽一さん。今回は、「認知症対策」と入学動機を語って話題になった大学生活のこと、そして欽ちゃん流の年の重ね方などについて、なかまぁるの冨岡史穂編集長がうかがいました。(前回のお話(1)はこちら

萩本欽一さん

“萩本教授”なんて欽ちゃんらしくない

冨岡史穂(以下、冨岡) 欽ちゃんが大学をやめた理由は何だったのでしょう?

萩本欽一(以下、萩本) 結局4年間勉強したんだけど、大学は面白かったですよ。ただ僕は仏教を専攻してたもんだから、このままいくと頭の中が真面目になりすぎて、悟りをひらいちゃうなと危機感を感じたのね。悟りと笑いはまるで反対のことだから。これは適当なところでやめないと仕事に支障をきたすなあと思って、卒業を待たずにやめたの。

大学側も言うの。「あと2年、大学院に行くと教壇に立てますよ」って。でも“萩本教授”なんて欽ちゃんらしくないじゃない?(笑)

冨岡 そして今、力を入れているのが『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』(NHK-BSプレミアム)という番組ですね。

萩本 そう。勉強で終わるなんて、それは欽ちゃんじゃない。最後はきちんと「笑い」で終わりたいと思って始めたの。大学からは「もったいないから休学にしては?」と言われたんだけど、完全に頭をとっかえたいと思って。

冨岡 8月の番組を拝見しましたが、目標に掲げたツイッターの550万リアクションも達成されましたね。

萩本 やっぱり乗せられると面白くなってくるんですよ。お客さんが喜ぶと、もっといい笑いを、もっと大きな笑いをと思っちゃうのね。

70歳になった白髪のSMAPが見たい

冨岡 番組には香取慎吾さんも登場し、大きな反響を呼びました。

萩本 慎吾ちゃんについてはね、ほら、ジャニー(喜多川)さんがテレビ局に圧力かけてるとか言われていたでしょ? だから僕は「ジャニーさんはそんな人じゃない。慎吾ちゃんはテレビに出たらまずいの?」ってNHKのプロデューサーに聞いたの。でも何も返事をしないんだよ。

そしたら放送の1週間前に、プロデューサーが「『まずいの?』という言葉が気になって、まずいのかな、どうかなと思って慎吾ちゃんのところに電話しちゃいました」と言ってきた。そしたら「大丈夫でした」って。で、出てもらったの。

冨岡 そういう経緯があったんですね。香取さんが「欽ちゃんにお呼ばれしました~」と登場されていましたが。

萩本 そうそう。僕ね、夢があるの。真っ白な白髪のSMAPを見たいの。70歳になったSMAPを見たいの。だからそれまで両方と仲良くしていたいの。何があったかわかんないけどさ、雨降って地固まるじゃないけれども、頭が白くなったら意地も固まる、とかね。

でも、実はそういう周囲の問題みたいなものって、僕はあんまり感じたことないんだよね、芸能界で。たとえば最近で言うと、吉本(興業)さんが、(ギャラの取り分が)4:6だとか言ってたでしょ? でも4:6ならずいぶん出してるんじゃない? 私は1:9だったから。もちろん私が1で事務所が9ですよ?

でね、こういう問題に公正取引委員会とかが出てこないで欲しいの(笑)。芸能界って運で成り立ってる世界だから、運の分野にまで政府が口を出すのはどうかなって思うわけ。私は1:9だったから運が貯まった。「ギャラは安いけど、今は運を貯めてる時期なんだ。きっと後でいいことがある」って思いながらやっていたから、社長を恨んだこともない。

萩本欽一さん

いつかいいことがあるよなあと思いながら

冨岡 ギャラの代わりに運を貯めていると。

萩本 そう。だってコント55号の時だって、ずっと質屋通いしてたもん。「なんでそ~なるの!?」って言いながら飛んでた時期にですよ? 世間の人は、そんなこと思いもしなかったでしょう。

当時、事務所の社長が「ゴルフでもやれ」ってゴルフクラブをくれてね。これはいい質草だと思って質屋に持って行ったの。で、お金ができると引き出しに行って、なくなるとまた入れに行く。その繰り返し。そしたら隣の奥さんが「今日もゴルフですか? お好きですね」って(笑)。実際はゴルフなんてやったことないんだけどね。

領収書にしても、俺が(坂上)二郎さんの分も面倒みてたから2人合わせて30万円くらいになるんだけど、持っていくと破かれちゃうのよ、社長に。だから最初の頃の収入なんて4~5万円いけばよかったんじゃないかな。そのうえ弟子を2人世話してたんだから、お金が足りるわけない。

着るものも、僕は何十年も古いジャンバーを着てた。ただ、それを悲しいとかひどい目にあってるとか考えたことはないの。むしろ「これはいつかいいことがあるよなあ」って思ってた。そしたら案の定、次々にいい人と出会って、次々に面白い番組が出来上がって。視聴率もどんどん上がっていったんだよね。

冨岡 ちゃんとバランスが取れていたんですね。

「損して得取れ」って言うけど本当だね

萩本 ただね、人間ってちゃんとどこかで変わるのよ。社長も途中から急激にいい人になってね。新しく事務所は作ってくれるわ、ギャラの取り分を9:1にしてくれるわ。「欽ちゃんが9、僕は1」って言って。

萩本欽一さんと冨岡史穂編集長

その頃、僕がやってた番組は視聴率が30%くらいあったから、出演料の0が一個違うのよ。それなのに社長は、自分の取り分は1でいいって。よく「損して得取れ」って言うけど本当だね。これまで文句も言わずやってきて良かったなあと思ったよ。

昔、二郎さんに「社長に交渉しに行こうよ」って言われた時、「社長だってバカじゃないんだから、いつか気づくんじゃない? 俺は行かないよ」って答えたんだけどさ。あれは間違ってなかった。でもまあ、社長がたくさんお金くれるようになったら運が落ちたのか、今度は数字が取れなくなった(笑)。なかなか難しいね。

冨岡 でも欽ちゃんは、もともと視聴率を気にされなかったとか。

萩本 若い時は、勝ちたい、上手くなりたいっていう気持ちがあるものだけど、そんなふうに思ってるうちはまだ半人前。「目標に届くといいな」と思いながらやっているから辛さを感じるんだよ。だから僕は、テレビの数字についても「一切言わないでくれ」って言ってたの。

そしたらある時、「20%いきました!」って言われてさ。「へえ、そうなの?」って。そういうもんなんですよ、成功する時って。いつの間にか勝ってる。「あ、いっちゃった」と思ったら一人前。うまくいっているかどうかなんて、その最中は見えていないほうがいいの。

萩本欽一さんインタビュー(3)に続きます

萩本欽一(はぎもと・きんいち)
1941年、東京都生まれ。コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー、演出家。66年にコント55号を結成。80年代には人気番組を連発して「視聴率100%男」と呼ばれた。テレビだけでなく舞台、映画など多方面においても人気を博し、2005年には野球チーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ、監督に就任。2015年に「認知症対策として大学へ行く」と、駒沢大学仏教学部に入学し話題に。2017年から、台本無し!リハーサル無し!の「欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)」(NHK-BSプレミアム)を開始。著書に「欽ちゃんの、ボクはボケない大学生。 73歳からの挑戦」(文藝春秋)「運が開ける欽言録」(徳間書店)など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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