編集長インタビュー

ブルーシートに寝かされた認知症の人 共体験した「これは僕だ」

冨岡 先生のクリニックでは「患者」という言葉を使わないそうですね。

木之下 「患者」は、2008年にやめました。専門誌で読んだ論文がきっかけです。「患者(patient)」という言葉は、人間性を狭める意味を帯びたスティグマ(偏見)的表現である、と書かれていた。

冨岡 その「患者」という言葉を使わないとか、明確に言い切れないまでも、本人を中心にすえた医療を目指すというのは、先生の以前からのお考えですか。

木之下 うーん、僕の考えというか、現場の感性かな。現場では不思議なことが起こるんです。このクリニックを開くずっと前、訪問診療に多く出ていた頃は、とにかく現場の状況は悲惨で、ブルーシートの上で全裸で寝ている本人に、娘がときどき水をやりに行くという家庭もあった。

当時は、薬の使い方なんて誰も知らなかったし、とにかく誰も死なせたくないという思いで薬を使うこともあった。そうやって10年以上、毎日のように暴れている本人たちを見てきて、あるとき、「これは自分だな」と思ったんです。「いつか自分もこうなるんだ」と共体験したっていうのかな。

冨岡 困っている家族の側でなくて、本人側に共感したのですか?

木之下 最初はもちろん、家族に共感するんです。「本人が暴れている、それは大変だ。なんとかしなきゃね」と。でも、毎日本人に接しているうちに、本人たちに自分が重なった。

僕の中ではずっと、思考実験を繰り返していたんです。そもそも本人と周囲の何が問題となって、本人は「暴れて」いるのか。この問題は相当にこじれているんだけど、「家族が困っている」という顕在化されたニーズがあるから、僕だってその当時は「医療は家族のため」と信じてやまなかった。

ところが、過酷な状況を繰り返し目にする中で本人側に共体験したり、クリスティーン・ブライデン(注)の本を読んだら、「本人だって話せる、本人にしゃべらせないのは周囲だ」と書いてあって、なるほどそうかと思ったりして。潜在化されていた本人のニーズが見え始めてきた。

自ら「認知症かもしれない」と診察に来る人たち

最近はね、クリニックに「なんか、おれ、最近ヤバいんです」と言って、ひとりで診察を受けに来る人が増えてきたんですよ。そのなかには、いまの診断基準で認知症に当てはまる人が、けっこういる。MCIではなくて、普通に認知症。

冨岡 相当な不安の中で生活を続けているはずですよね。

木之下 本当にそうだろうと思います。1000万人の認知症の人がいると先ほど言いましたが、そのうち、医療現場で把握できているのはわずか100万人です。つまり、私たちが知っている「認知症」は、氷山の一角の姿でしかない。何もできないとか、しゃべれないとかっていう偏ったイメージも、ここから来ている。だけど、水面下には900万人もいて、ひとりで診察に来るのは、そういう人たちなわけですよ。だとしたら、この人たちとしっかり話をした方が、我が国にとってよろしいのではないかと。

認知症診療の最大の問題
認知症診療の最大の問題は、推計される大半が「潜在化」していることだ。木之下さんの講演資料をもとに作成

冨岡 国内でも、認知症本人の方が自分のことを語り始めて、政策提言をするワーキンググループもできた。ようやく社会の側も、彼らに耳を傾けるようになってきました。

木之下 そうだね、大きな流れとしては、「認知症をなんとかしよう」から、「認知症のある人をなんとかしよう」になり、いまは「認知症の人と何かをしよう」に変わってきた。 この転換は大きいよね。 ただ、「本人の話を聞く」ということすら、まずはとてもなににおいても大切だけど、一手法に過ぎないと思う。

しっかりした人権意識のもとに、「人として生きる」ことを支えられる地域社会づくりをするには、認知症の本人以外の参画者も必要でしょ。そもそも、認知症になったからしゃべる資格が与えられるわけじゃない。認知症じゃないからしゃべる資格がないわけでもない。

これから認知症になる人も あまねく当事者だ

認知症に限って言えば、いま認知症の人もかなり大勢いるけれど、これから認知症になる人も、それ以上にいる。当然、僕らもあまねく当事者だ。「自分は認知症になる。それでも、今を主体的に生き切る」。そのためにどうしたらいいか。この問いに対して、いま認知症の人の意見は、これからなる人にとっては先輩の意見。他人(ひと)事でなく、自分の認知症までを考えながら耳を傾ける。地域づくりにおいては「認知症になっても云々」といった譲歩した「も」ではなく、「認知症になっていい」とまで言い切れる地域にならない限り、当事者にとって光が見えてこない。

結局、一人ひとりが、常に「今をよりよく生きる」を自分に問い、慎重に擦り合わせてやっていかないといけない。影響力を持つ、メディアの責任は重いですよ。

認知症がなくなればいいとか、治ればいいとか、ならないようにできればいい、とか。ひどいものにいたっては、確たるエビデンスなくして、出来合いの信頼性の低いデータで、予防できる、回復できる、とか。今の時点でメディアが希望的観測ばかりを述べて、どうするのか。認知症と今を生きる人々に対して、どう思っているか。また排除の歴史を繰り返すのか。

ならないにこしたことはない。そう言う人は多い。薬を開発する人もそう思い、日夜努力している。薬で進行を少し遅らせることができる希望がある。でも僕らは今、認知症に対して大局的には、予防も回復も、そして維持することもできない。光は、認知症とともに生きることが、よりよく生きることを妨げないといった確信にしか宿っていない。そう思うのです。

編集長インタビュー2イメージ

冨岡 認知症の取材だから、認知症だけをしっかり見て書けばいいというわけではなくて、そもそも「生きるとはなにか?」という視点をしっかりもって取材、執筆をしなければ、的を外したり、不用意に人を傷つけたりしてしまう。

木之下 「人が生きるとは?」という根源を問われたときにね、僕の個人的な考え方だけれど、所詮、脳を流れる電気信号でしかないわけですよ、生命は。ところが、亡くなった人のことを思い出して、「あいつ、あんなこと言ってたな」とかって、行動を変えたりするでしょ。生物学的には生命が終わってるのに、他者に影響を与えることができる。

つまり「よりよく生きる」といった文脈の中で、僕らは、より本質的には、人との関係性の中にしか生きていないんじゃないかな。人との関係性の中に、生きることの本質は組み込まれているということじゃないかと、最近の講演では、そんなことばかり話している。

そういう思いが、(診察や講演などを通じて)出会う人に伝わればいいなという願いもある。その瞬間を、きちんと共感できたらいいよね、と。それに突き動かされているといってもいいかもしれない。

続編はこちらから

(注)クリスティーン・ブライデンさん 豪政府高官として働いていた46歳のときに認知症と診断される。執筆や講演を通して積極的に自身の思いや体験を社会に発信し、国内外の注目を集めた。

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木之下徹(きのした・とおる)
1962年生まれ。86年東京大医学部保健学科卒、96年山梨医科大卒業。2001年から東京都品川区で認知症の在宅医療に取り組む。14年、認知症や軽度認知障害が気になる人の外来クリニックとして、のぞみメモリ―クリニック(MRIあり)を開院した。 白衣は着ない。少し……ぽっちゃりしている。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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