母の認知症が原点 家族会立ち上げも 金沢のシンガーソングライター ノンシャン
取材/熊谷わこ 撮影/中田 悟
金沢市を中心に音楽活動を展開しているノンシャン。お母さんが52歳でアルツハイマー型認知症と診断されてから、思いを歌にして多くの人に届けてきました。お母さんが2016年に69歳で亡くなられたあとも、さまざまな活動を続けています。ノンシャンにご両親の思い出や、家族が認知症にどう向き合ったか、お話を伺いました。
「何か変」から2年。認知症とわかってすっきり
――ノンシャンは23歳で上京されるまでずっと、石川県金沢市のご実家で過ごしてこられました。どのようなご家族だったのでしょうか
両親と姉の4人家族で、ずーっと仲が良くて。なんでも話し合える間柄でした。
――ノンシャンのお母さんは52歳の時に若年性認知症と診断されました。お母さんの異変に気づいたときのことを教えてください
すでに姉が結婚して家を出て、そのあと私も金沢を離れて3年ほど経った頃、父が経営していた会社が倒産しちゃったんです。それで家を手放すことになって、片付けをするために実家に集まったときにね、母はホウキとチリトリで一生懸命ごみを集めようとしているんですが、全然片付かないんですよ。何か変だなと。物忘れをしたり、同じことを何回も言うようになったことも気になりました。
――すぐに認知症と結びつきましたか
いえ、まったく。元気だし、認知症という言葉が浸透していない頃でしたからね。本人に病院に行こうと言ったら傷つけてしまうだろうから言うこともできないままで。でもその半年後くらいだったか、母が床のふき掃除をしているときに、テーブルの下だということを忘れて立ち上がって、頭をぶつけたんです。これは病院に連れていくチャンスだと。何科を受診すればいいかすらわからないから脳外科に連れて行きました。お医者さんにこっそり「こんな症状があるんですが」と伝えたのに、お医者さんたら母に直接「娘さんが、『最近、お母さんが忘れっぽい』と言ってるけど、どう?」と尋ねてしまって。母が「全然大丈夫です」と答えたものだからそこでは診断がつかず、また時間が経ってしまいました。それから一年後くらいだったかしら。ソーシャルワーカーに相談したら精神科のお医者さんにつないでくれて、ようやくアルツハイマー型認知症と診断されました。
――ノンシャンは「認知症」と聞いてどう感じましたか?
おかしいと思いながら原因がわからない状態が2年くらい続いていましたからね。病名がわかれば病気について勉強できるし、対処法も探すことができる。すっきりしたという思いが強かったですね。
――お母さんやお父さんにはどう伝えたのでしょうか?
母にはお医者さんからその場で伝えてもらいました。母も忘れっぽいことは自覚していましたから、それが病気だと言われて「ああそうなの」と。父はとにかく明るい人なので、「大丈夫!周りの人に協力してもらおう!」ってシフトチェンジしてね。すぐに近所の人に「みんな助けてね」って頼んでいました。
――ご自宅で、主にお父さんが介護をなさったそうですね
父は倒産から一年後に新たな会社を立ち上げたんですが、母の認知症がわかってからは母を連れて仕事をしていました。その間、喫茶店とかカラオケ屋さんとかいろいろなところに「今日ご飯を食べさせておいて」とか頼むと、みんなもすごく助けてくれて見守ってくれてね。さりげなく母の居場所を作っていたので、母も落ち着いて療養できたのでしょう。母が書いていた日記には「嬉しい」「幸せ」「大好き」ばかり。字が書けなくなるまでずっとそう書いていました。
先に逝った父に導かれ、母も安心して旅立った
――10年以上お母さんに寄り添って介護を続けてきたお父さんに、2014年の秋、がんが見つかったそうですね
当時私は東京で暮らしていたんですが、父から突然「俺、あと3カ月らしい」と電話がかかってきてびっくり。すぐに金沢に帰り、それからは一緒に過ごすことにしました。当初は「チコ(=お母さん)をひとり残して逝けない、どうしよう」と親戚には言っていたみたい。私が帰ると言ったので、ホッとしたんじゃないかな。父は2015年1月に、私のライブを見届け、ライブ会場で亡くなりました。
――お母さんには、お父さんが亡くなったことを伝えたのでしょうか?
伝えるべきなのか、伝えたところで理解できるだろうかと、悩みました。姉と相談し、「お母さんにとって一番大事な人。ショックだろうけど絶対知りたいだろうから話そう」と。話したときは反応がありませんでしたが、葬儀の時にワーッと声を出して大泣きしてね。
――お母さんはお父さんが亡くなった一年後に亡くなられたそうですね
父の一周忌をやって、その一週間後に亡くなりました。一周忌をしっかり見届けたかったのかな。亡くなる前夜、不思議な夢を見たんですよ。私が母の車いすを押していたら、父が突然「迎えに来たよ」と言いながら近寄ってきた。するとお母さんがニコニコしながら立ち上がってね。翌朝、訪問の看護師さんに「今日こんな夢見てさ」と話していたら、突然母の呼吸が変わって一時間後くらいに亡くなりました。さみしさはあるけれど、夢の中でそんな幸せそうな姿を見せてもらっていたから、私も姉も「よかったね」って。最高の日でした。
日常の一つ一つを大切にていねいに生きる
――ノンシャンはお母さんが認知症と診断されてから、家族の会を立ち上げたり、認知症にかかわる曲を作って発表するなど、さまざまな活動に取り組んでいます
私は母のことが大好きでしたが、できないことが増えた母に対して「イライラしてしまったらどうしよう」という不安が強かった。そこで昔の元気だった頃の両親の写真を部屋中に貼って、イライラしそうになると「お母さんは昔とまったく変わっていない。すべて病気のせい」と考えるようにして乗り切りました。こうしたアイデアをしんどくなっている人に伝える機会を作りたかったんですよね。家族が助け合えるような場を作ろうと、2015年3月にソーシャルワーカーをしている高校の同級生と、家族の会を立ち上げました。今は、お医者さんなど医療職や看護職の方たちも巻き込んだことで活動が広がり、毎月1回お寺でカフェを開催しています。
認知症をテーマにした曲作りにも取り組んでいます。アルバムに入れたり、あちこちに歌いに行ったりすることで、アルバムを聴いてくれた人やLIVEに来てくれた人たちに認知症のことを知ってもらえますから。
――今後、どんなふうに活動を発展させていきたいですか?
音楽家の私がやれることは、音楽を作り続けること、いろいろなところに行って歌って聞いてもらうこと。それだけです。歌を聴いて、感じてもらえたら。
――お母さんが認知症になって、音楽に対する気持ちは変わりましたか?
日常の「こんにちは」「ありがとう」「またね」といった一言をもっとていねいにやらなければ、と思うようになりました。ていねいに生きて、それをちゃんと曲にする。詞を作るときは、ていねいに見直して攻撃的な言葉はできるだけ排除しています。たとえば、「私たちは今を生きる戦士だ」という詞を書いたとき、「戦いたいわけじゃないから『戦士』はちょっと違うな。『天使』に書き換えよう」とかね。音楽の捉え方は人それぞれだけど、私にとっては刺激剤ではないんですよね。以前は両親が聞いて悲しむ言葉は使いたくないとは思っていたけれど、今は赤ちゃんが口に入れて吐き出したくなるような言葉は避けたいな、なんて思っています。
- nonchamp(ノンシャン)
- シンガーソングライター。 石川県金沢市生まれ。東京で音楽活動をしていたが、2015年から認知症の母とがんになった父をサポートするため、生活と活動拠点を金沢市に移す。2019年に3枚目のフルアルバムをリリースし、全国ツアーも精力的に行う。一方、「家族の会」を立ち上げるなど、認知症に関わる活動にも取り組んでいる。
オフィシャルサイト: www.nonchamp.com