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編集長インタビュー

川村元気「会話から生き様がわかる」アラフォーと認知症(3)

“認知症の母”と息子を題材にした小説『百花』を上梓された川村元気さん。なかまぁるの冨岡史穂編集長が、「アラフォーと認知症」をテーマにうかがったお話を前回に続いてお伝えします。(前回のお話(2)はこちら

川村元気さん

冨岡史穂(以下、冨岡) 「なかまぁる」という認知症当事者と支える家族のためのメディアをつくっていて感じるのは、「自分は当事者ではない」と思っている人にどうやったら届くのだろう、という課題。一方で、私たちが出会う認知症当事者の方々はドラマティックな人生を送っていらっしゃる。どなたか一流のクリエーターの方がドラマをつくってくれたら……と思っていたら、川村さんが「百花」を書いてくださって、「待っていました」と思いました

川村元気(以下、川村) 僕が考えていたことは、ちゃんとエンタテインメントとして書きたい、ということです。でないと読みたくないですよね。つらい現実はお金払わなくても見ることができるのに、なんで小説を買ってこんなに辛い気持ちにならなければいけないのだろう、と。

記憶をめぐるミステリーであり、あるラブストーリーであり、最後に家族ドラマの感動がある、という風に娯楽小説として書かないとそもそも読んでもらえないだろう、というところは意識していました。問題意識をそのまま届けることに興味はなくて。これは倉本聰さんに教えて頂いたことですが、「苦い薬は糖衣錠にするんだ」と。
物語としての面白さはあるけれど、きちんと介護の現場や認知症の現実に向き合いたい、という気持ちはありました。

そうすると、読んだ人が「じつは私も」と言い出すわけです。ようやくみんなで共有されるというか。当事者が「当事者である」と表明する場をどれだけつくることができるか、ということだと思います。
今回改めて新海誠さんの『君の名は。』にしても細田守さんの『未来のミライ』にしても、自分のまわりの作り手達も記憶の物語を描いているんだ、ということに気づきました。
「忘れる」ということが本当に悪いことではない、ということに気づけたから、ただ悲しいだけではなくなる、ということも大きな気づきでした。

冨岡 「私も」と言い出した人たちがまた新たな発見をして、次のアップデートされた記憶の物語ができていく、という

川村 『百花』のインタビューを取りに来てくれた、30代、40代のテレビのディレクターたちと話した際、「あ、全員、おばあちゃんやおじいちゃんが認知症なんだ」と話しながら知ることがありました。みな関係なく生きているようで、じつは全員関係がある。こういうことに気づくことから始まるんだ、と。5人に一人が認知症になると言われる時代になったら、「そちらは何型だった?」「うちは何型」という日常会話として話すことになるのだろうなと。

冨岡 そんな風にみんなが話し始めると、色々なものの仕組みがダダッと雪崩のように変わるかもしれないですね

川村 そう思います。そうならざるを得ないでしょう。少なくとも、「隔離して閉じ込める」というやり方は違うと思いますね。

川村元気さんと冨岡編集長
川村元気さん(右)と冨岡編集長

冨岡 川村さんにとってもう「認知症」は怖いものではなくなりましたか?

川村 ずっと怒っている方だったり、暴力をふるってしまう方はいらっしゃるのかもしれません。でも、怖さは激減しました。彼らのなかで何が起こっているのか、その理由は、分かるようになりましたから。
小説を書いていた二年間は、誰よりも“認知症の人が見ている世界”を見ていた気がします。ずっとそのことばかりを考えていたので。

冨岡 100人の認知症の方に話を聞いたそうですが、どのようにして知り合ったのですか

川村 介護施設などに行けば、いらっしゃいますよね。そこでお一人、お一人と話をしていくんです。

「あなた、この服いくら?」「この靴はいくらなの?」って、ずっと値段ばかりを聞いてくるおばあちゃんにも出会いました。所長に、「あの方はなんで値段ばかり聞かれるんですか」と伺ったところ、「小売りをやられていたんですよ」って。

そこはずっと変わらないんだなと感じました。それがその人の生き様なんだな、と。
何度も聞かれると「めんどくさいな」と思いがちなのですが、その人の人生が分かると、許せてしまうんですよね。
我々が社会で暮らしていても、いい人もいれば嫌な人もいるし、面倒くさい人もいる。会社でもそうじゃないですか。みなが物分りがよくて、いい人なわけではないですよね。

冨岡 確かに。それが介護される側になった途端、「みんなおとなしく座っていなきゃいけない」という発想になってしまう

川村 そうなんですよ。それは人間扱いじゃないですよね。

冨岡 先ほど「生き様」とおっしゃいましたが、より良く生きることがなにより大事で、そうすることで、言い方がおかしいですが“いい認知症”になるのかもしれない。いい人生を送ることが、一番の備えなんじゃないかと思いました

川村 生き方なんですよね。とはいえ僕も「自分がボケ始めたら怖い」という思いがないわけではないですが、小説に書いたからもう抗わないかな、あんまり。
まあ、こんなことをずっと考えているタイプですから、ボケなそうですけれどね(笑)。
逆に僕は、考え続けてしまうという病気な気がします。治らない病気ですよね。つらいですよ。ちょっとしたことでもなんでも気になってしまうので。

冨岡 たまにはちょっと休憩! というわけにはいかないんですか?(笑)

川村 休憩、と思ったときにアイデアが思い浮かんだりもしますから。すごく難しいですよね。でも、認知症の世界は興味深いな、と思いました。なんだろう、人間が何で出来ているのかを思い知らされた気がします。根源的な欲望とか、記憶の奥深さとか。小説のなかでは少し「信仰」というものについても触れていますけれど。

冨岡 それが次回作のテーマになる可能性があるとか

川村 そうですね。目に見えないものを信じるって凄いと思うんです。お守りをゴミ箱に捨てられる人って、いないと思うんですよ。これだけ何でも検索できるし、Google Earthで世界中を見ることができるというのに、いまだにパワースポットに行って見えない力にすがる。とても面白いですよね。

「記憶」がなくなった人にも信仰というものは残るのだろうか、などと色々考えてしまう。
記憶について書いていくうちに、そうしたことをより深く考えるようになりました。

 

 アラフォーと認知症(全3回)
 ・川村元気「僕が忘れ、認知症の祖母が覚えていたこと」アラフォーと認知症(1)
 ・川村元気「50年前のイメージのままではいけない」アラフォーと認知症(2)

百花
川村元気(かわむら・げんき)
1979年生まれ。映画プロデューサー、小説家。『電車男』『告白』『悪人』『おおかみこどもの雨と雪』『バクマン。』『君の名は。』などを企画・プロデュース。最新作『天気の子』(新海誠監督)は7月19日公開。
2012年には「世界から猫が消えたなら」で作家デビュー。その後も「億男」「四月になれば彼女は」と、ほぼ2年おきに小説を発表し、「百花」は4作目に当たる。他著に「ブレスト」「仕事。」「理系に学ぶ。」など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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