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編集長インタビュー

川村元気「50年前のイメージのままではいけない」アラフォーと認知症(2)

“認知症の母”と息子を題材にした小説『百花』を上梓された川村元気さん。なかまぁるの冨岡史穂編集長が、前回に続いて「アラフォーと認知症」をテーマにお話をうかがいました。(前回のお話(1)はこちら

川村元気さんと冨岡編集長

冨岡史穂(以下、冨岡) 川村さんは「百花」を書いたことで、「忘れること」はネガティブなことではない、と気づいたと仰っていました。気づきを得たことにより、ご自身の行動は何か変わりましたか

川村元気(以下、川村) まず、メモを取らなくなりました。もともと常にメモを取っているタイプではなかったのですが、うろ覚えを肯定するようになりました。「正確に覚えている」ということに、あまり意味を感じなくなったというか。
見たいように見て、覚えたいように覚えて、それを書きたいように書くのが小説。ドキュメンタリー番組をつくっているわけではないので、そんなに正確に覚えなくたって、それでいいんだ、と思えるようになりました。

あるものをあるように覚えることにあまり興味がないんですよね。そもそも人って、そこが面白いんじゃないかとも思うんです。なにかを偏って記憶することで、そこに人間の個性といったものが宿るのではないか、と。

冨岡 「百花」のラストシーンはそれを象徴していますね

川村 あのラストシーンを書きたくてこの小説を書いていたというところはあります。その人にとって決定的に大切なことだけを覚えていました、というオチなので、僕なりの記憶にまつわる幸福論を書いたつもりです。

冨岡 最後まで読むと、もし百合子さん(『百花』主人公の泉の母)が認知症にならなかったら、泉君はこの先どうやってお父さんになっていったんだろう、と逆に不安な気持ちにもなりました。人の愛情はどのようにできているのだろう、というところも考えさせられました

川村 悲しいかな、人は「失われる」となった瞬間に考え出す動物だから、「ある」という状態では思考が停止しているんですよね。母親が死んでしまう状況で、急に「お母さんにあれもこれもしなきゃ」となるわけです。忘れていく瞬間に一生懸命思い出していく。でも、それって悪いことではないですよね。この小説はある種、残酷な事件が親子の間に起こるわけですが、それまで埋められなかった溝を埋められたのは、母親が認知症で忘れていったからなんです。

冨岡 そのあたりは本を読んでいただくとして(笑)。先日出演されていたテレビ番組では、有吉佐和子さんの「恍惚の人」(1972年)で描かれた認知症のイメージをアップデートしたい、と仰っていたのが印象的でした

川村 アップデートしたいと思ったものは、大きく二つあります。
まず、「恍惚の人」を読んで、「面白いな」と思いました。実際、200万部くらい売れたベストセラーですし。一方でショックだったのは、当時は「痴ほう」と呼ばれ、人ではないものになったかのように描かれていた。これは絶対にアップデートしなければ、と思いました。医療も介護も進み、科学的にもどういうことが起きているのかが分かり始めた時代に、「いまだに50年前のイメージでいてはいけない」と強烈に思ったんです。

「百花」では、認知症の人が見ている世界とそれを見ている息子の世界を交互に描いていますが、100人を超える認知症の方と会話をしてわかったのは、彼らは記憶が「並列化している」ということ。
たとえば、幼少期の記憶と、働いていた頃の記憶と最近の記憶がすべて並列になっているから、急に一人歩きをしてしまったりもする。ちゃんと理屈があり、理由があって迷子になっているんです。それがわかるだけで、だいぶ変わる、と思いました。突然歩き出したとしても、その人にはちゃんと“行かなければいけない理由”があって、ワケがわからなくなっているのとは違うんです。

川村元気さん

もう一つは、たとえば自分の親が認知症になったとき、「こういうところにお任せしたい」と思える、理想の介護施設を描くようにしました。実際、小説に出てくる「なぎさホーム」は藤沢市にある「あおいけあ」と、広島県福山市にある「さくらホーム」をモデルにしています。赤ちゃんや小学生が来ていたり、おばあちゃんたちもみんなで料理をしていたり。
理想的すぎるという批判もあることは覚悟しつつ、ドキュメンタリーなどで散々厳しい現場は目にしているので、「こういう可能性があるんだ」「こういう考え方もあるんだ」というところを提示したいと思いました。

自分たちがお見舞いに行って「ここから早く帰りたい」と思う場所ってありますよね。早く帰りたい、と思う場所にずっといる人の気持ちになったらそれは嫌ですよね。そこから逃げたいと思うのは当たり前なんです。

冨岡 いま日本で多くの方に読まれていますが、読者からの反応で、新たに得た気づきはありますか

川村 コメントや手紙は100通くらい頂いたのですが、興味深いな、と思ったのは、皆さん小説に対する感想ではなく、「私や、私の家族はこうだった」と自分のことを語りだす、ということ。

僕がこの小説でやりたかったことは、まさにそこなんです。僕にとっていい小説とは、物語に没入させることではなく、その人の人生が引きずり出される、ということなので。
その人にとっての記憶が具体的に立ち上がってきて、「こうしたかった」「ああしたかった」とときに後悔をも口にする。「そういえば、親に連絡を取っていなかったな」と思い出してみたり。

頂いたコメントのなかで最も多かったのは、「認知症のお母さんやおばあちゃんに会いに行こうと思う」という、とてもシンプルな言葉でした。逆に言うと、「ただ会いに行く」ことが難しくなっているということなんですよね。

今を生きる、ほとんどの人が当事者である、ということがわかったのも、新たな発見でした。
「百花」では、泉と同じ会社で働く永井という、ちょっとふざけた人間が登場するのですが、あれ僕なんですよ。泉みたいなまっすぐな人間じゃないので(笑)。

冨岡 そうか、おばあちゃんってどんな人だったんだろうって言っていましたもんね

川村 そうです。一人が話しだすと、「じつは私も」「僕も」と繋がっていく。じつはほぼ全員が当事者なんです。ただ、なんだか恥ずかしいこと、みたいなところがあるのか、今まではそれがほとんど共有されてこなかった。みんなが当事者であることを意識するという第一歩がまだされていないんだな、と思いました。

冨岡 なるほど、確かに。まさに。

川村 (「百花」の主人公、泉の妻である)香織のように妊娠中や育児中の母親たちは、「こういう育児法がいいらしいよ」と、情報交換をしている。あれは対比として描いたのですが、幸せなことなので、自然にそういう場が生まれるのでしょうけれど、それが介護の話になると全然共有されない。
「同じようなことが起きたらいいのにな」という思いはありますね。

※川村元気さんインタビュー(3)に続きます

 アラフォーと認知症(全3回)
 ・川村元気「僕が忘れ、認知症の祖母が覚えていたこと」アラフォーと認知症(1)
 ・川村元気「会話から生き様がわかる」アラフォーと認知症(3)

百花
川村元気(かわむら・げんき)
1979年生まれ。映画プロデューサー、小説家。『電車男』『告白』『悪人』『おおかみこどもの雨と雪』『バクマン。』『君の名は。』などを企画・プロデュース。最新作『天気の子』(新海誠監督)は7月19日公開。
2012年には「世界から猫が消えたなら」で作家デビュー。その後も「億男」「四月になれば彼女は」と、ほぼ2年おきに小説を発表し、「百花」は4作目に当たる。他著に「ブレスト」「仕事。」「理系に学ぶ。」など。
冨岡史穂(とみおか・しほ)
なかまぁる編集長。1974年生まれ。99年朝日新聞社入社。宇都宮、長野での記者「修行」を経て、04年から主に基礎科学、医療分野を取材。朝刊連載「患者を生きる」などを担当した。気がつけばヒマラヤ山脈、なぜか炎天の離島と、体力系の取材経験もわりと多い。

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