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恩蔵絢子さん「体験」を奪わない 認知症の母と暮らす脳科学者の考察と希望(2)

認知症の母は、母でない存在に変わってしまうのか――そんな問いに、娘であり脳科学者だからこそ前向きな答えを見つけられた恩蔵絢子さん。いまは「母に冒険を」と言います。前回に続いてお話を聞きました。

脳科学者の恩蔵絢子さん

餅は餅屋。だからデイケアの利用を始めた

——最近のお母様の様子についてお聞かせください

母は、言葉でのコミュニケーションが難しくなりました。それでも、「ああ、お母さん、こういうところで笑うんだな」とか、「ここは3年経っても変わらないんだ!」という発見が本当に嬉しくて、そういう小さな喜びを探すようにすると私自身の助けになります。

それでも辛く感じることが増えてきました。仕事で家を離れることができる私でさえそうなので、24時間を母と一緒に過ごす父のストレスは相当だと思います。

いまはデイケアに通うようになりました。もう家族だけで支えるのは無理だから助けを求めよう、色んな人に関わってもらおうと、とりあえず地域包括支援センターに電話してみたんです。すると「ご家族はただでさえ大変なんですから、私たちがご自宅まで伺います」というお返事で。感動して思わず「え! 行かなくていいんですか!」と言ってしまいました。

そして実際に担当の方がお二人、自宅に来てくれた時の安心感! 親身に話を聞いてくださって、なんでもテキパキとやってくださるので救われました。地域包括支援センターの方もデイケア施設の方も、プロですものね。餅は餅屋って本当だな!と思いました。

認知症の母に、冒険の時間を。

——デイケアの施設を選ぶ際は、どのような希望を伝えたのでしょうか

まず父に時間を作ってあげられること。それと母はまだ60代なので、色々な体験や美術鑑賞の機会などをとおして新しい趣味を見つけてほしい。仕方なく行くのではなく、施設の時間が趣味の時間になったら嬉しい。そんなことが可能な施設があれば、と伝えました。この希望を踏まえて2施設をピックアップしてくださったので、母と見学に行って決めました。いま母は、嫌がることもなくデイケアの迎えのバスに乗っていきます。

恩蔵絢子さん
介護のプロの方々が、自宅を訪れ親身に話を聞いてくれて救われたと話す恩蔵さん

——デイケアに頼ることに不安はありましたか?

はじめて母が乗ったバスを見送った時は、保育園バスを見送る親のように心配しました(笑)。でも冒険は大事なんですよね。

いまの母には、お皿洗いだって冒険なんです。洗剤を使い忘れ、汚れが残っているときには、母の就寝後にこっそり洗い直すこともあります。お湯の温度調整を忘れて、アチッという声が聞こえてくることもあります。でも、そのくらいの危険があっていいんです。冒険ですから。ただ、やり遂げられる範囲の危険。そして失敗OKの空気を作り、「失敗はあったけれど、自分一人で何かを最後までやれた」という感覚を持てることが大切です。

たとえばデイケアへ行くように、外に出て色々な人と接することも冒険です。ある時、脳科学者の先輩に「お母さんから社会性を奪ってはいけないよ」と言われたんです。以前は、母を外に出したら、誰かに変な目で見られてしまうかもしれない、そういう目から守ってあげなくてはいけない、と考えていました。でも母を家に閉じ込めるのは、母から“社会性という刺激を奪う”ことなんですね。

思えば認知症でなくても、日々「変なことを言ってしまったかな」「変な風に思われたかな」と考えることはありますよね。認知症があっても私たちと同じ環境にどんどん出て、成功も失敗もすべて彼女の体験にしてもらいたいです。

言葉にはならない学習の力を信じている

——デイケアの感想を聞くことはありますか? 

手芸で作った小物入れを持って帰ってきて「かわいいでしょ?」と見せてくれることがあります。一方で、「これ誰のかしらね」と言うこともあります(笑)

恩蔵絢子さん
「失敗はあったけれど、自分一人で最後までやれた」という感覚を持てることが大切と話す恩蔵さん

先ほどお話したとおり母は今、言葉によるコミュニケーションが難しい状況です。でも、何も感じていないわけではありません。人間って、生まれてから言葉を喋りはじめるまでに2年くらいかかります。外国語の習得もそうで、いくら勉強しても一向にしゃべれるようにならない時期がある。その期間は「サイレント・ピリオド」と呼ばれ、表面上は何も変化がないように感じるけれど、ある時から突然、バンッと喋りはじめます。目に見えないところで学習は起きているんです。

こんな風にも言えます。子どもが、その言葉のない期間に優しく抱きしめられて過ごしたか、暴力を振るわれて過ごしたか、その後の精神の発達に重大な影響を与えます。言葉で何があったか言えなくても、体は覚えているのです。

人間は、言葉の上だけで学習しているのではありません。この先、母は言葉を思いどおりに発することが難しくなっていくかもしれませんが、そうなってからも続く学習はあると思っています。
母がお友だちと出かけて、「今日こんなことがあった」ということを忘れて語れなかったとしても、お友だちに優しくされたということは母の体は覚えていて、その後の精神の安定に重大な影響を与えていくでしょう。
認知症と言うと、会話が成立しないとか家事ができないとか、論理性がないとか、能力の話ばかりが取りざたされてしまいます。しかし認知症の人の感情は、健康な人と同じようにずっと働いています。母はいろいろなことを感じて、どうやって生きていったらいいのか、日々格闘しています。

できたことができなくなり、言葉さえ失っていく中でも感情が残ることの意味。これを皆が理解できるようになったら、社会のあり方も変わっていくのかなと思っています。いまは、そこにとても興味があります。

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<前回>「その人らしさ」とは何か。認知症の母と暮らす脳科学者の考察と希望(1)

プロフィール

恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者。専門は自意識と感情。一緒に暮らしてきた母親が認知症になったことをきっかけに、診断から二年半、生活の中でみられる症状を記録。脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。認知症になっても、「その人らしさ」はずっと残っていると確信している。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学の非常勤講師。

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この連載について

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