認知症を公表するアメリカの有名人たち 流れ変えたレーガン元大統領
翻訳/小川由紀野
その水曜日の午後、ペン・メモリー・センター(ペンシルベニア州フィラデルフィア)での介護者向けクラスに集まった参加者たちには、気になることがあった。クラスを指導するソーシャルワーカーのアリソン・リンも、なかなか話を始めることができなかったほどだ。
数日前、元合衆国最高裁判事サンドラ・デイ・オコナーが、アルツハイマー型と思われる認知症であることを、書簡を公表して告白したのだ。
「症状が進んだいま、私はもう公の場に出ていくことはできません」とオコナーは書いた。「私に起こっている変化をみなさんに知っていただき、可能なうちに私の考えをお伝えしておきたいと思います」
女性として初めて最高裁判事を務めた88歳のオコナーが、自分たちの夫や妻と同じようにこの冷酷な病に苦しんでいると打ち明けたことは、リンのクラスの参加者たちにとって、重要な意味を持っていた(オコナー自身の夫も、2009年に認知症で亡くなっている)。
「認知症は恥ずべきものという考え方(スティグマ)はとても根強いのです」とリンは言う。「介護者たちは、世間から孤立を感じ、心細い思いをしています。オコナーの告白によって認知症に光が当てられ、人々の注目も集まるだろうと、みな嬉しそうでした」
レーガン元大統領が流れを変えた
オコナーのように、認知症の診断を受けたことを公表する著名人は、増えつつあるが、まだ少数派にすぎない。
流れが変わったのは、1994年、ロナルド・レーガン元大統領がナンシー夫人と連名で、国民に向けた手書きの書簡を公表し、アルツハイマー病であると明らかにしたときだった。
「私たちの思いを率直にお伝えすることで、より多くのみなさんにこの病気への関心を持ってもらえるのではないかと期待しています」と元大統領は記した。「それによって、アルツハイマー病に苦しむ方々やそのご家族に対する理解も、深まるのではないでしょうか」
カントリー歌手のグレン・キャンベルとその家族は、2011年、元大統領と同じような決断をした。雑誌のインタビュー記事の中でキャンベルは、アルツハイマー病の診断を受けたことを打ち明け、さよならコンサートを開くと発表した。コンサートツアーは15ヶ月におよび、病に屈しないキャンベルの姿を詳細にとらえたドキュメンタリー映画にまとめられた。
テネシー大学女子バスケットボールチームを何度も優勝に導いたコーチ、パット・サミットは、2012年、症例の少ない若年性アルツハイマー型認知症であることを公表した。
俳優ジーン・ワイルダーの家族は、2016年にワイルダーが亡くなるまで、病を公にすることを控えた。病気になったウィリー・ウォンカ(ワイルダーが演じた、映画『夢のチョコレート工場』のキャラクター:編集部注)を子どもたちが見たら、驚いてしまうのではないかと危惧したからだ。
アルツハイマー病の公表は役立つか?
闘病中のアルツハイマー患者やその世話を担う人たちにとって、著名人がアルツハイマー病であると公にすることが実際何の役に立つのかと、疑問に思うかもしれない。
世間に知られていない病気とは言いがたい。アルツハイマー病協会によると、アメリカ国内のアルツハイマー病患者数は約570万人と推定されている。この数字は認知症患者全体の6割から8割を占めるにすぎない。認知症にはさまざまな種類があるからだ。
教育レベルの向上や、高血圧などの治療法の改善は、どちらも認知症の予防にいいと考えられているが、もしかしたらそのおかげなのか、認知症の罹患率は減少傾向の様子を見せている。しかしアメリカでは、人口増加と高齢化にともない、患者数は増え続けると考えられている。
アルツハイマー病はすでに、アメリカ国内の65歳以上の主な死因として5番目に挙げられるまでになった。そしてそれは、医学の力では予防や治療が叶わない、たったひとつの死因でもあるのだ。
期待された新薬が次々と現れては、臨床試験で効果を出せずに消えていく。そんな中、「世の人々の意識を高める」ことで、何ができるというのだろう。
しかし専門家たちは、オコナーのような人物による率直な発言には、確かに良い影響力があると主張する。
安心感を得られることも
前述のペン・メモリー・センターのソーシャル・ワーカーのリンは、実に多くの患者たちが、病気を他人に知らせることにためらいを見せると言う。同情されたり恩着せがましくされたりするのではないか、友人が去り、社会とのつながりが薄くなってしまうのではないか、と思い悩む。このような不安を抱くのは当然だ。近所の知り合いや友人の認知症が進むに連れて、付き合いを控える人は実際によくいる。
「それでも、だれかとても有名な人物が、私も当事者だと言うのを聞けば、自分も言ってもいいかなと思えるのです」
認知症を隠さずオープンにすることは早期診断につながると、ペン・メモリー・センターの臨床心理士で研究者でもあるシャナ・スタイツは指摘する。スタイツは早期診断の効果について、こう例を挙げる。
「いま何が起こっているのか、なぜ記憶ができないのか、なぜこんな行動を取ってしまうのか、診断によって説明がつきます」とスタイツは言う。病気を知ることは恐ろしいかもしれないが、問題に名前がつき医学的に分類されることで、患者やその関係者が安心感を得ることもある。
アルツハイマー病協会ケア・サポート部の、ベス・コールマイヤーは、病気を知ることを避けていると、家族は心の準備ができず、患者本人も家族も病について学ぶ機会を失ってしまうと語る。
認知症の治療は長期にわたる。病を理解し予後を知っておくことで時間の余裕が生まれ、その間に医療関係者はチームを組み、家族は結集し、法的・金銭的な助言を受けることが可能になる。
認知症は一般的な病気
病気の初期段階にある患者に焦点を当てた研究が増えているため、早期診断は研究にも良い影響を与える。認知症と診断がつき、さらに臨床試験に参加する意志のある患者が、研究には不可欠だからだ。
「著名人が自ら進んで公表することは、認知症が一般的な病気だと理解されるために、大きな役割を果たします」とスタイツは続ける。「誰にも起こりうる現実だと人々に伝えることができるのです」
現実をごまかすのはよそう。確かに、認知症と診断されてからでも、症状が顕著になるまでの数年間は、生産的かつ活動的に人生を楽しむことは可能かもしれない。
しかし認知症は終末期疾患だ。その負担は介護を担う家族に重くのしかかる。これほど患者のアイデンティティーを奪う病気は、そうあるものでもない。本人がそこにいても、愛する人を失ったような悲しみを家族が抱くことさえある。
だからといって、60年前のがんや30年前のAIDSがそうだったように、認知症を大きな声では話せない恥ずべき病として扱うべきではない。
アルツハイマー病を告知しない医師
それでも認知症とかかわりたがらない医師はたくさんいる、とコールマイヤーは言う。アルツハイマー病協会の依頼で2015年に行われたメディケア(高齢者向けのアメリカの公的医療保険:編集部注)のデータ分析では、アルツハイマー病の患者や介護者に対し診断を伝えた医師は、患者全体の半数にも満たなかった。
そして、診断を受けた患者や家族にとって、病気を周囲に打ち明けるのは容易ではないとスタイツは言う。「傷つきやすくなっている人たちには、勇気がいることです」
ジェフリー・ドレインと妻のデボラ・ダンバーがその勇気を奮い起こしたのは、2016年だった。
テンプル大学で社会事業を教えていたドレイン教授は、家の玄関のドアを半開きのままにしたり、請求書の支払いを忘れたり、運転中に分からなくなったりと、腑に落ちない行動を取るようになっていた。
診断が下るまでには数年かかった。当初は緩やかな認知機能障害と告げられたが、その後、若年性アルツハイマー病であることがわかった。
それでも教授は、教壇に立ち続けた
現在55歳のドレインは、それでも教壇に立ち続けた。「自分の引き際は、だれかに言われるより、自分で決めたかったのです」
ドレインは米障害者法に基づき助けを求めた。大学側はドレインの身の回りを世話するアシスタントをつけてくれた。
それから、「自分自身の口から伝えたかった」ドレイン教授は、教授会で自らの病について同僚達に説明した。
「同僚たちの反応はとても好意的でした」とドレインは振り返る。「私の選択を支持し、尊敬し、共感してくれました」
ドレイン教授はこの5月まで教壇に立ち続けたのち、障害を理由に引退した。ドレイン教授も、ナース・プラクティショナー(診療看護師)として働く妻のダンバー(56)も、子どもたちや同僚、友人、そしてザ・フィラデルフィア・インクワイラー紙の記者に、ドレインの認知症を明らかにしたことについて、後悔していない。(ザ・フィラデルフィア・インクワイラー紙では偶然にも、引退したスポーツコラムニストのビル・リヨンが、彼自身のアルツハイマー病について記事を書いていた)
「私たち家族にとって、良い選択でした」と妻のダンバーは言う。「周囲の人々に理解されていると実感することができました」
当事者が語ることがもたらす利益
スタイツら研究者は、認知症についてのスティグマについて調査を続けている。いずれは要因を突き止め、病に対する世間の認識を変えたいと考えている。
それまでの間に、有名であろうとなかろうと当事者たちが病について率直に語れるようになれば、認知症は口にするのをためらう病から、よくある病気だと考えられるようになるかもしれない。なぜならそれは実際、よくある病気なのだから。
スタイツは言う。「認知症とともに生きる人々を支え、世間にこの病気がどんなものか例を示すことができるという利益を考えれば、当事者が病について語ることは、とても重要なのです」(抄訳)
Paula Span © 2018 The New York Times ニューヨーク・タイムズ