「投獄されるよりひどい」自由の国で自由を奪うアメリカの成年後見制度
翻訳/小川由紀野
ニューヨーク発―それはフィリス・ファンクにとって、自分のために法的な決断をすることが許された最後の数週間だった。ファンクはしばらく横になるつもりで、ベッドにもぐりこんだ。2016年も終わりに近づいていた。彼女はその年の大統領選挙の結果に幻滅していたし、最近になって兄弟がテキサスに引っ越してしまったことでも落ち込んでいた。
自殺は考えていなかった。とにかくどこかに身を隠して、この先に待ち受ける完全に孤独な人生を、どう生きていくか考えたかっただけなのだ。
ファンクはクレジットカードも車も持っていたし、友人もいた。メインとニューヨークの両州には、資産管理をするファイナンシャルアドバイザーがいた。
2017年3月3日、成年保護サービスのケースワーカーと、市の精神科医が、ファンクの部屋に立ち入った。声をかけても返事がないので、玄関ドアのチェーンを切って中に入ると、ファンクは情緒的にも肉体的にも「ばらばら」の状態で、ホームレスになる一歩手前か、それよりも危険な状態だった。市の介入によってどんな代償を支払うことになるのか、ファンクはそのとき、何も知らなかった。
「私はそれから、虐待され、脅迫され、生きるために必要なものを身ぐるみ剥がされました。お金もです」ある日の午後、ファンクは私にこう訴えた。「何もかも持っていかれましたよ。自分の銀行口座なのに、どうすることもできない。処方せんを出されても、その薬を買うお金がない。郵便物も受け取れないし、医者も選べない」
成年保護サービスは必要だったのか?
ファンクがかかわることになったのは、成年後見制度とよばれるシステムだ。
ニューヨークのように、隣人にさほど気を留めないのが当たり前の街で、他人に対して、あの人は大丈夫だろうか、助けを呼ぶべきだろうかと心配するようなことが、どれだけあるだろうか。年配の人がおぼつかない動きをしている。あるいは食品売り場を当てもなくさまよっている人がいる。開いているドアから、床が見えないほど散らかった部屋の様子が目に入る。医療補助の仕事をしているあなたに、転んで血まみれなのにもかかわらず病院には行きたくないと言い張る。もしくは母親や叔父が、あなたが心配になるほど、請求書を溜め込んだり、Eメールの詐欺にあったり、赤の他人に急に金を貸したりするとしよう。
あなたは傷に絆創膏を貼ってあげるだろうか。明日様子を見に来るからと約束するだろうか。または、見なかったふりをして自分の生活に戻るだろうか。
もしくは、成年保護サービスに連絡を入れるという選択肢もある。いずれにせよ、その人はなんらかの保護が必要なのだから。いや、本当に必要なのだろうか?
ファンクの場合、成年保護サービスに電話をしたのは、ファンクが住むアパートの管理者だった。部屋に物を溜め込んでいることを理由に、裁判所へ立ち退きを申し立てたという知らせに、彼女が応じなかったためだ。
77歳のファンクは、コロンビア大学で修士号を取り、パイロットの免許を所持していた。投資口座に数十万ドルの資産があり(彼女の話によれば)、その大部分は両親から相続したものだった。スキューバダイビングをし、大の読書家で、世界中を旅して周った。41年間、同じ安アパートに住み続けていた。自由の身ならば、今頃はフランス領ポリネシアのマルキーズ諸島に向かう船旅の最中だろうと彼女は言った。
ニューヨーク州の解釈では、ファンクは「禁治産者」とみなされる。自力で日常生活が送れない、資産管理ができない、もしくは自らが面している危険を理解する能力がない、とみなされたのだ。
ファンクの部屋が「ごみ屋敷」と化していることへの苦情で始まったものが、いまやファンクという存在のすべての面において影響を及ぼすまでになった。生活上の基本的な決めごとをする権利も、銃保有の権利も、法的な契約を結ぶ権利も、ファンクには認められていない。ファンクの法定後見人の元警官は、ファンクに結婚する権利があるかも分からないと言った。
「自分が生まれ育った国なのに、何の権利も与えられていないという気持ちですよ。要するに、この世界のどこにいようと、私には権利というものがないんです」自分の置かれた状況を刑務所のようだと表現してから、ファンクは考え直した。「投獄されるより酷い。牢屋に入れられたって、権利は保障されているから」
後見制度のトラブルは実は子ども同士
高齢の成人に対する後見制度と聞くと、身寄りのないお年寄りの財産を奪い取る強欲な後見人たちのことを思い浮かべる人は多いだろう。ニューヨークでこの典型として挙げられるのは、ブルックリンの元判事、ジョン・フィリップスの話だ。後見人たちはフィリップスの2千万ドル以上もの不動産を売り飛ばし、彼を認知症患者の受け入れ資格を持たない施設に放り込んだ。フィリップスは2008年、施設で凍死した。
昨年11月、米上院高齢化問題特別委員会は、後見制度の仕組みを大幅に見直すことが必要だと宣言した。「不徳な後見人たち」が立場を悪用して、弱い立場の被後見人を意のままに動かし、「資産や貯蓄を現金化し自らの個人的利益としている」と警告した。
後見制度について調べ始めた当初、私はそうした「分かりやすい」事例がたくさん出てくるのだろうと思っていた。ニューヨークでは、ある人を禁治産者とみなすための申し立ては、だれでも起こすことができる。裁判官によって家族の一員もしくは第三者(通常は弁護士)が後見人に指名され、被後見人が身体上必要とすること、または財産関係、もしくはそのいずれもの面倒を見る。第三者として後見人となる人物が、被後見人の財産を自由に処分できるという点は、後見制度に対する批判としてよく指摘される。
ところが、後見制度をめぐって争う家族を追ううちに、きょうだいの内輪もめが絡むケースが多いことに気づいた。年老いた親の資産をだれが管理するかで、子ども同士が法廷で闘う。自分に不利な判決が出れば猛烈に抗議する。
ブルックリンの元銀行家は、子どもの一人が、ほかの子ども二人から母の財産を盗んでいると訴えられ、後見制度の対象になった。今も家族全員が係争中だ。
ロングアイランドでは、病弱で目の見えない母親を介護付きの施設に移したい娘と後見人に対し、自宅に住まわせるべきだと主張する息子が争った。息子はきょうだいや後見人だけでなく、裁判官や鑑定人、不動産屋までをも罵った。
マンハッタンのアッパーウエストサイドでは、母親と同居していた精神を病んだ女性を、裁判所の許可を得た母親の後見人がアパートから追い出し、女性はホームレスとなった。女性が母親の介護の妨害をする、というのがその理由だった。この家族もまだ、法廷での争いが続いている。(抄訳)
John Leland
© 2018 The New York Times ニューヨーク・タイムズ