「私は認知症です」公表したアメリカ初の女性最高裁判事の生き方
翻訳/小川由紀野
ワシントン発―米国初の女性最高裁判事はその時、キャリアとしてはまだ若手の75歳で、聡明で精力的なところも健在だった。それでも彼女は、アルツハイマー病と闘う夫のよりどころとなるため、大好きな仕事をその絶大な権限とともに手放すことに決めた。
サンドラ・デイ・オコナー元連邦最高裁判所判事は、闘志とユーモアを持って、新しい役目をこなした。入所先の介護施設で夫が別の女性と恋仲になっても、それは変わらなかった。庭先のブランコに手をつないで座る二人を笑顔で訪ね、55年間連れ添った夫の穏やかな様子を見て安堵した。オコナーが引退してから3年後の2009年、夫は亡くなった。
オコナーは2018年10月23日、夫のジョン・J・オコナー三世を苦しめた病に、自らも直面していることを明らかにした。
公表した書簡で、オコナーは飾り気のない特徴的な語り口でこうつづった。「少し前のことですが、アルツハイマー病と思われる認知症の初期段階だと、医師から告げられました。症状が進んだいま、私はもう公の場に出ていくことはできません」
88歳となったオコナーの決断は、アメリカ政界・法曹界でかつて活躍し、穏健派の共和党員として歩み寄りの姿勢を常に持ち続けた人物が、表舞台から去ることをも意味した。オコナーは書簡の中で、党派に左右されない価値観を持とうと改めて呼びかけ、それには「国そして国民のための利益を党や私欲より優先させ、要となる政府機関が責任を果たすこと」が必要だと訴えた。
オコナーの声明はまた、アメリカ人の寿命がこれまでになく伸びたことへの代価として、認知症を痛烈に印象づけるものだった。
「私の現在の状態や活動について、多くの方から質問を受けました。私に起こっている変化をみなさんに知っていただき、可能なうちに私の考えをお伝えしておきたいと思います」
決意と威厳を持って認知症と向き合う
オコナー判事の下で書記官を務め、現在ユタ大学で教鞭を執るロンネル・アンダーセン・ジョーンズ法学教授は、書簡には人生の試練に対するオコナーの姿勢が表れていると語る。
「夫の病もふくめ、これまでの人生で起こったあらゆる出来事と同じように、ご自身の病気にも気品と決意と威厳を持って向き合われているのです」
1981年、ロナルド・レーガン大統領(当時)によって連邦最高裁判所判事に任命されたオコナーは、今日の現役判事らにはあまり見ることのない、経験の幅広さを備えていた。オコナーはアメリカ西部で生まれ教育を受けたのち、州政府弁護士、州上院共和党院内総務、選出予審判事・控訴裁判所判事など、アリゾナ州政府における三権すべてに関わる職を経験した。
このような職歴に基づいたオコナーが出す判決は、州政府の権限に敏感なあまり、連邦政府の立法や行政の判断を尊重したものになることもしばしばだった。彼女の裁きは実用本意的かつ限定的であり、妥協的な判断と批判された。
オコナー判事が決して譲らなかったこと
それでも、オコナーが決して譲らないこだわりをみせることもあった。国内で2番目の女性最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンスバーグは2009年、USAトゥデイ紙によるインタビューの中で、こう語っている。「オコナー判事はまぎれもなくアリゾナ出身の共和党員ですから、私とはよく意見が対立しましたが、性差別に関する訴訟となると、私たちは必ず同じ側にいました」
1992年に判決があったプランド・ペアレントフッド対ケーシー事件で、オコナーは多数派意見の支持に加わった。中絶を憲法上の権利だと認めた1973年の最高裁判決の中心的概念を、改めて認める決定を下したことは、多くを驚かせた。オコナーは、同じく多数派支持を選んだ同僚判事らと共同声明を出し、「歴史を変えた判決を再検討するのに足る圧倒的な理由がないと非難が噴出するなかで」1973年の判決を覆すことは、「困難な問題に対する、裁判所の合理性に傷を付けることになるだろう」と論じた。
オコナー判事の下で書記官を務め、現在はイェール大学法学部で教えるクリスティーナ・ロドリゲス教授は、オコナーが果たした貢献は判事としての意見に限らないと言う。
「オコナー判事は在任中、性的差別に異議を唱え、性役割の押しつけや女性の能力への決めつけを時代遅れなものにし、我が国の憲法構造において州の立場を強固にする地盤を作り、大学機関における多様性の推進を強く擁護しました」
ロドリゲス教授はさらに続ける。「判例には長続きするものもしないものもありますが、オコナー判事はどんな判例の組み合わせよりも、”世の常識”を考えて判断をしました。それは、裁判所の判決が世間に影響を与えるものであり、どのような決断をしようとも判事として何らかの責任を負うという理解があってこそのものだったのです」
オコナー判事は数々の難関に突き当たった、と前述のジョーンズ教授は語る。
「男ばかりの職場に入った最初の女性ですから、事は容易ではありません。でもオコナー判事は、敬意を持って働くとはどういうことかを、見事に示してくれました。民主主義において公に尽くす仕事がどれほどすばらしいものであり、最高の自分をもって臨むべきであるかを、教えてくれたのです」
礼儀正しさに対するオコナー判事のこだわりは深く、学生達には「いかに感じよく反対意見を言うか学ぶ」よう常に説いていたという。
「そのアドバイスの重みを、今はさらに強く感じます」
最高裁判所を離れてからも数年は、オコナーは控訴裁判所で公判を聞き、講義をし、市民教育に携わるなどして、多忙な日々を送っていた。ただここ最近は公に姿を見せていなかったため、健康上の問題ではないかと憶測する報道が出始めていた。
今回の書簡の中でオコナーは現状を明らかにした。それはオコナーにとって、若い世代に市政を学ぶよう今一度呼びかける機会にもなった。メッセージにはまた、妥協と協力が可能だった時代を懐かしむオコナーの思いも込められていた。
「身体がこのような状態なので、私にはこの市民教育運動を率いていくことはかないません」とオコナーはつづった。「新しいリーダーが現れ、市民による学びと参加を、すべての人々のために実現するときが来たのです」
アメリカ人の生き方を形づくった
最高裁長官ジョン・ロバーツは声明の中で、オコナーの尽力を称賛した。
「多くのアメリカ国民が苦しむ認知症の試練に、オコナー判事が直面しているという知らせを聞き、悲しく思いました。しかし今回、自らの病の告白を通して、我が国を第一に考えること、そして市民教育へのより多くの参加を呼びかけたオコナー判事のメッセージは、実に彼女らしいものでした。それほどの時間と不屈の精神をオコナー判事は費やしてきたのです」
ロバーツ長官はまた、元同僚が歴史に残した功績についても言及した。「オコナー判事は法曹界で働く女性たちの前に立ちはだかっていた壁を崩しました。それは法曹界にとっても我が国全体にとっても、前進でした。女性だけでなく、法の下での平等な裁きを目指すすべての者に、模範を示したのです。オコナー判事は公の場からは去りますが、どのような病や病状であっても、彼女が切り開いてきたいくつもの輝かしい道をたどる後進たちにとって、オコナー判事の教える精神が色あせることはないでしょう」
オコナーは連邦最高裁において、先駆者やロールモデルとなっただけではない。激しい議論を呼んだ多くの案件で、彼女の一票は判決を左右した。そのため、四半世紀にわたる在任期間を通して、オコナーの視点はアメリカ人の生き方を形づくってきた。オコナーが見せたその影響力は、政治学者たちを驚愕させるものだった。
「概念的、経験主義的な定義に関するほぼすべての場面において、オコナー判事は仲介者として、キーパーソンとして、批評家として、浮動票を握る判事として、裁判所の中心となった」
オコナー引退前の2005年、ノース・キャロライナ・ロー・レビュー誌に掲載された研究論文の中で、アンドリュー・D・マーチン、ケビン・M・クイン、リー・エプステイン他2名の同僚判事たちは、オコナーについてそう評した。
2006年、引退したオコナーの後をサミュエル・A・アリート・ジュニア判事が継ぐと、時を待たずして法廷は右寄りに変わった。それはロバーツ長官の13年の在任中、人事上の最も重大な変化だった。その状況は少なくとも、昨年10月に入りブレット・カバノー判事がケネディー判事のポストを継ぐまで続いた。
オコナーは自らが去ったあとの最高裁の方向性に対し、不満を表明するのをためらわなかった。
2010年、(米国の選挙の際のテレビCM規制に関する:編集部注)シチズンズ・ユナイテッド裁判で出された判決は、オコナーが最も力を入れた主張のひとつを覆すものだった。判決が出た数日後、オコナーはこう述べている。「なんということでしょう。私がいなくなって2年そこらで、この先どういうことになるのか誰も分からなくなるとは」
たとえ認知症になろうと、感謝の心は変わらない
書簡の中で、オコナーは人生でどれほどの幸運に恵まれたかを強調した。
「この先もここアリゾナ州フェニックスで、良き友人と家族に囲まれて過ごすつもりです」とオコナーは書いた。「人生の終盤を認知症と歩むことになりましたが、たとえ認知症になろうと、これまで数え切れないほどの恵みを得られたことへの、私の深い感謝の心が変わることはありません」
「アリゾナの砂漠から出てきた若い牧場娘の私が、連邦最高裁判所の初の女性判事となる日が来るなど、想像すらできませんでした」
オコナーのメッセージには、レーガン元大統領が1994年、自身の認知症を明らかにした時の言葉と重なるものがあった。レーガン元大統領はこう言っている。「私もアルツハイマー病に苦しむ数百万のアメリカ国民のひとりとなりました」「今日から、私の人生の日没へと続く旅が始まります」
オコナーを最高裁判事に任命した元大統領も、最高裁を去る理由となった彼女の夫も、認知症と闘った。そして今度は、彼女自身が闘う番なのだ。(抄訳)
Adam Liptak
© 2018 The New York Times ニューヨーク・タイムズ