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コマタエの 仕事も介護もなんとかならないかな?

長期休暇にまたダウン 母とは家庭内隔離 無言で過ごしたお正月


##説明1:駒村多恵さん
駒村多恵さん

タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。長期休暇になると体調を崩すことが多いと話す駒村さん。この年末年始に寝込んでしまったときのお話です。

年末年始の体調不良

長い休みになるとだいたい体調を崩します。年末、私は久々に寝込みました。明日から生放送が1週間以上お休みというタイミングでの罹患。無意識に気が緩むのでしょうか。

喉に痛みを感じのたが12月29日、日曜日。ほとんどの医療機関は年末年始の休暇に入っていました。医療機関が手薄の中、悪化して同居している母にうつったら大変です。正月休みに入っていない医療機関はないか、近所の病院のホームページを片っ端から検索しました。すると、1軒だけ、翌30日に診療している耳鼻科を発見。午前中に診てもらいに出かけました。ところが、まだ受付時間内にもかかわらず、「午前の受付終了」の貼り紙が。聞くと、あまりの人数にこれ以上の診察は難しいと判断して打ち切ったとのこと。午後の受付も早めに打ち切る可能性が高いので、午後いらっしゃるなら、早めにお越しいただいた方がいいと思いますと助言を受け、午後の受付開始15分前に出直しました。

診察を待つ人びと、getty images
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すると、今度は「午後の受付は予約された方のみ」の貼り紙が! 紙の前で呆然としていると、受付の方が「あ、午前に来ていただいていたので、予約扱いで大丈夫ですよ」と、受け付けてくださいました。聞けば、午前の患者さんの診察がまだまだ終わらないとのこと。どこもお休みに入っている中で診察してもらえる貴重な耳鼻科。先生はじめ職員の皆さんは、お昼休憩もとれなかったのではなかろうかと、年も押し迫った30日に開けてくださって本当に感謝しかありません。

待つのは構わないのですが、母を1人で家に置いたままなのが気がかりです。しかし、呼ばれた時にいないとキャンセル扱いになってしまうとのことなので、事情を話して一旦家に帰らせてもらい、母のケアをして、病院へ戻るということを繰り返しました。そして、17時30分、ようやく診察。最初に病院を訪ねてから6時間以上経っていました。実は、時間を追うごとに体が重く、階段を上るときの疲労感が増してきたので、私自身、感染症を疑っていたのですが、インフルエンザとコロナの検査結果はどちらも「陰性」。アレルギーではないかとの診断を受け、薬をもらって帰宅することになりました。

陰性は何よりの朗報です。しかし、朝よりも格段に具合が悪くなっていることに一抹の不安がありました。念のため、母とは自宅内隔離。こまめな換気を心がけ、隣のベッドで寝るのを辞めて私は別室の床に布団を敷いて寝ることにしました。

38.5度と表示された体温計

不安は的中。程なくして、38.5度まで一時的に熱が上がりました。すぐ解熱したものの、ここからは徹底的に隔離。マスクは必須。接触は最小限。お正月だというのにほぼ無言です。挨拶もろくにしない、めでたさ半減の正月ではありましたが、対策が功を奏し、母の体調に異変なし。私も年明け4日から診療を再開していた30年通っている耳鼻科を受診し、ピークは越えているので大丈夫とのお墨付きを得て(この時も5時間待ち!)、なんとか乗り切ることが出来ました。

高熱の中、布団にくるまりながらぼんやりと思っていたのはコロナに感染した時のこと。一刻も早く母を隔離したかったものの、移送手段がなく、4日間、自宅内隔離で過ごしました。ようやく移送が決まったものの、罹患してはいないかと心配で、防護服を着たタクシー会社の方に車いすを押されて遠ざかる母の背中を眺めながら、これが今生の別れになったらどうしようと、立ち尽くしていました。その後、陰性と聞いたとき、どれほど安堵したことか。

今回も、医療機関、介護サービスがお休みで、誰にも頼れないという意味では近いものがありました。念のための早めの隔離がいかに有効か、コロナの経験が生きました。

一方で、接触を減らした結果、離床時間が極端に少なくなったため、背中や腕が圧迫によって赤くなっていました。もう少し長引いていたら褥瘡(じょくそう、編集部注:床ずれのこと)になっていたかもと思うとギリギリだったなと。体位交換が足りなかったことは反省です。

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