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コマタエの 仕事も介護もなんとかならないかな?

日本一地味な夏休みを過ごすアナウンサー 今夏も叔母と訪れたのは

駒村多恵さん
駒村多恵さん

タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。今回は、幼い頃から毎年夏休みを過ごしていた母親の実家へ、墓参に行った時のお話です。

お墓参り

今年の夏は交通機関の計画運休が多く、予定の変更を迫られた方も多かったのではないでしょうか。私はお墓参りに行くために台風を避けて計画を練っていたのですが、それでも、新大阪駅で東海道新幹線の足止め、乗車中も遅延。在来線も緊急停止で1時間半近く缶詰め。例年よりもどっと疲れました。母を伴わずに行って本当に良かったです。

母が元気だった頃は、お盆の時期に毎年一緒に関西に帰り、母方の先祖のお墓と父方のお墓、2か所のお墓参りに行っていました。母の先祖代々の墓は家の裏山にあり、母は墓守です。海外のリゾートに行くのとは程遠い過ごし方に、当時の職場のスタッフからは、“日本一地味な夏休みを過ごすアナウンサー”と揶揄されていました。それでも足が向くのは、私自身、幼い頃から毎年夏休みを過ごした山奥の家が好きだったからでしょう。蝉の声を聴きながら、縁側で足をぶらぶらさせ、ボーッと川を眺めているだけで十分と言いますか、何をするでもない時間が心地よいのです。

母の実家への道は、今でこそアスファルトで舗装されていますが、30年くらい前まではあちこちに石が転がる山道でした。マムシが出ることもしょっちゅう。夜はよく鹿がいます
母の実家への道は、今でこそアスファルトで舗装されていますが、30年くらい前まではあちこちに石が転がる山道でした。マムシが出ることもしょっちゅう。夜はよく鹿がいます

祖母が朝から畑へ行って採ってきた私の好物のとうもろこしを焼いてくれ、その香ばしい匂いで目が覚めたこと。かまどの木をくべながら蒸篭で赤飯やあんころ餅を蒸し、出来上がって布巾を広げた時の、一瞬で真白く見えなくなるほど湧き上がった湯気にワクワクし、熱々をふうふうしながら食べたこと。五右衛門風呂の板をバランスよく沈めながら浸かるのに四苦八苦したこと。思い出も詰まっています。

ただ、この家にたどり着くまで遠いことが難点です。兵庫県なのですが、人間より鹿の数のほうが多い山奥。地図アプリで所要時間を検索したら、東京の家からの所要時間は、最短で8時間15分でした。ハワイへ行くのと変わりません。新幹線と高速バス、路線バスを乗り継ぎ、ようやく降り立ったバス停から山道を歩くこと1時間以上! 昔はバス停前にある小学校まで、雨の日も雪の日も、毎日山を越えて、時にはイノシシに追いかけられながら通学していたと聞いて、母を心から尊敬しました。理学療法士さんに年齢や疾患の割に足も骨も丈夫だと言われるのは、この山越えで脚力が鍛えられたからではないでしょうか。

母の通学路。この辺りでイノシシに追いかけられたそうです
母の通学路。この辺りでイノシシに追いかけられたそうです

そんな母が、7年ほど前、一緒に帰省した時に、高速バスのステップの段差を一人で上るのに苦労するようになりました。一緒に行っていた叔母と私で引っ張り上げましたが、もう一緒に帰るのは母の負担が大きいと判断し、以後、私は叔母と二人で帰るようになったのです。車いすで乗れたらよいのですが、実家に帰る路線では難しそうです。今年も叔母と二人で帰省し、母には事後報告です。過疎化が進み、昔の賑わいはありません。それでも、顔なじみの方にご挨拶に伺うと、お元気そうでとても嬉しかったです。

牛に追いかけられたこともあるそうです
牛に追いかけられたこともあるそうです

一方、父のお墓参りに行くため、お寺近くにある花店に予約の電話をしました。すると、店主の妻から「実は昨年の夏、主人、亡くなってお店を閉めたんです」と告げられました。思いがけない訃報に接し、絶句しました。花の仕入れのために行った市場の駐車場で、車中で亡くなられていたそうです。お店に伺うと、いつもお茶を入れて下さって、「お母さんどう?」と母の心配をしてくださいました。手作りのパンやブルーベリージャムをお土産に持たせてもらったこともありました。毎年会えるものと思っていましたが、今年は遺影との対面。寂しかったです。母を介護し始めて17年。母を気遣ってくださる周りの方々にも少しずつ変化が訪れています。今が永遠ではないことを改めて思いながら、皆さんの健康を祈るばかりです。

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