認知症になっても共同温泉に通い続けたい! 別府の地元温泉プロジェクト
2025年には認知症の人が約700万人になると予想されています。近所のスーパーやコンビニ、スポーツジムや公園、交通機関にいたるまで、あらゆる場面で認知症の人と地域で生活を共にする社会が訪れます。少しずつではありますが、認知症の人の思いや立場を尊重した独自の取り組みが個人商店や企業、自治体で始まっています。各地に芽吹いた様々な試みをシリーズで紹介します。
認知症になっても住み慣れた町で暮らし続ける……。認知症に関わる人なら何度も聞いたり、話したりした言葉だと思います。認知症を発症して買い物を止めたり会食に行かなくなったり、自宅に引きこもることでかえって認知症の症状が進んでしまうことがあります。日本屈指の温泉町、大分県別府市で始まった、認知症になっても安心して地元の温泉に通える取り組みを取材しました。
別府市は温泉が市内各地で湧き出し、源泉数は2800以上。日本の総源泉数の約1割を占め、2022年は年間約530万人の観光客が訪れました。人口は約11万3000人ですが高齢化率は34.3%(2023年9月)で全国平均と比べて5%以上も高くなっています。そんな別府市の中心部にある別府市中部地域包括支援センターは、管内にある共同温泉を認知症になっても利用しやすい施設に改修するプロジェクト「認知症にもやさしいじもせん(地元温泉)推進プロジェクト」を昨年から始めました。管内の共同温泉は市営温泉が1カ所、組合温泉(会費や利用料を払い利用する共同温泉で一般利用が可能なところもある)が9カ所あります。これ以外にも個人が経営する小さな共同温泉がいくつかありますが、プロジェクトの対象は組合温泉です。ちなみに、別府市全体では市が把握しているだけで82カ所の共同温泉があります。
共同温泉は市民にとって銭湯のような存在で、利用者の大半は高齢者です。たいてい地区の公民館の1階にありますが、どこも老朽化が進んでいます。別府市では築年数の古いアパートや一軒家は、はじめから共同温泉を利用することを前提に作られた風呂のない住居がまだ多く存在しています。プロジェクトはこうした住居に住む高齢者が少しでも長く共同温泉を利用することを目指しています。
中部地域包括支援センターでは3年前に高齢者が利用している共同温泉の実態調査を行いました。8カ所の共同温泉の利用可能時間、来場者数、手すりの有無など施設内の設備や清掃方法、管理者などを細かく聞き取り調査して施設の写真を添えた冊子を作りました。この冊子をまとめる過程で、認知症になった人が共同温泉に行ったとき、棚に入れた服を間違って他人のものを着て帰った、他人の靴を履いて帰った、などの問題点を知ったそうです。
プロジェクトを進める同センター管理者の管野陽子さんによると、「認知症になった人が共同温泉の利用を止める理由の多くは、衣類の取り違いや衛生面が原因です。他の利用者に迷惑をかけるからというのですが、間違えた本人はまだ共同温泉を利用したいけれど『もう来ないで』と言われるケースもあって、なんとなく行きづらい雰囲気になっているようです。家族としては着替えを間違えるくらいならまだまだ共同温泉に行かせてあげたいと思っているのですが、周囲に気遣って温泉の利用を止めさせることになります」と説明します。「別府市民にとって共同温泉=地域コミュニティーです。温泉は地域の人といろんな話をしてつながる場所。いつまでも温泉に来ることができるようにしてあげたいと思いました」とプロジェクトを始めたきっかけを話してくれました。
改善策を見いだすために管野さんたちは昨年、大分県が行っている「認知症ピアサポート事業」に依頼して認知症の人に共同温泉の使い勝手を調査してもらいました。この事業は大分県が2019年から始めた活動で、認知症の診断を受けた本人やその家族の不安を軽くして、前に向かって生きていくためのサポートを行います。認知症の人自らが、同じ思いや不安を抱える人の暮らしを支える担い手であるピアサポーターになって、行政と連携して認知症になっても安心して暮らしていける環境・地域づくりを進めるのが目的です。これまでに個別相談会の実施や認知症の当事者が集まり自分たちの思いを話し合う「本人ミーティング」、県内の自治体が実施する高齢者福祉計画や介護保険事業計画の策定会議への参加などを行ってきました。
調査は昨年の8月と9月の2回行われ、3~5人で北的ヶ浜町温泉(別府市北的ヶ浜町)など4カ所の共同温泉を訪れました。大分県在住の認知症本人大使「大分県希望大使」の戸上守さんも調査に加わりました。その結果、①施設内にある棚が靴用なのか衣類用なのかわかりにくい、また入浴後どこに着替えを置いたか忘れてしまう、②温泉内全体が暗い、③脱衣場と浴場に仕切り戸があると、戸の先に何があるのかわからず恐怖心を抱いてしまう、④浴場内の床と壁の色が同じだと視空間認知が弱い認知症の人にとって浴場内の全体像を把握しづらい、など認知症の当事者特有の課題が洗い出されました。
これらの結果をもとに管野さんたちは、まず管内にある共同温泉のひとつ、北的ヶ浜町温泉の温泉組合の人たちと話し合い、①の解決策として箱状に作られた棚の縁に、赤や黄色などはっきりした色のペンキを塗って、自分は何色の棚に衣類を入れたかを覚えてもらうことを提案しました。また、②はすでに組合でLED照明を増設していて問題は解決していました。しかし、③の壁を取り払うことや④の床のタイルの張り替えとなると大きな費用がかかります。組合温泉は組合員の会費で運営されていますが、最近では組合員数が減少しています。「ペンキを塗るぐらいは安価に済ませられますが、タイルの張り替えとなると、どこが費用を負担するのか……。今後の大きな課題です」と管野さんは話します。
中部地域包括支援センターでの取材を終えて、車で5分ほど離れた北的ヶ浜町温泉を訪れました。無人の受け付けにあった料金箱に100円を入れて男湯へ入りました。ドアを開けると正面に銀色の靴棚と衣類棚があって、まだ枠に色が塗られていませんでしたが、これが管野さんの話していた棚というのがすぐにわかりました。浴場には湯上がりの男性が一人いて壁際に座っていました。浴場の床と壁はベージュ色の同系色。脱衣場から浴場へ向かって約40センチの段差を降りようとした時、足を踏み外して転びそうになりました。床も泉質のためかぬるぬるとしていたので、ゆっくりと歩きました。そして、浴槽に近づき片方の足を入れビックリ! おそらくそのとき44~45度はあったのではないでしょうか。あまりの熱さに驚いて入浴は断念しました。
先客は近所に住む80歳の男性で、「毎日温泉に来ているんですか?」と聞くと、体が真っ赤になった男性は「温泉は健康維持と食欲増進!」と大きな声で答えてくれました。毎日家を出て、まず海に面した的ヶ浜公園まで歩いて体操をして、帰りに北的ヶ浜町温泉に入るのが日課だそうです。この男性がいつまでも温泉に来ることができればいいなと思い、共同温泉を後にしました。