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五十路娘 母の住まい探しに迷走中!

母の介護をめぐり勃発! "オレ様"兄VS"女王様"姉の仁義なき戦い

オレ様兄vs女王様姉「あんたは昔から」「ごちゃごちゃ言うな!」

いつかはやってくると思いつつ、ついつい先送りしてしまう親の介護の準備。関西在住のイラストレーター&ライターのあま子さんもそんな一人。これまで一人暮らしを続けていた母が、2022年正月早々に転倒。骨折→入院という経緯を経て認知症を発症。突如、母の新たな住まい探しを迫られることになりました。さらに、2カ所の高齢者住宅の見学を終えたところで、母のひと言から方針転換を迫られることに…。

2022年8月、わが家近くのサービス付き高齢者住宅を見学(詳細は前回記事をご参照ください)した帰り道、母がポツリと言いました。
「これまで通り1人で暮らしたい」
認知症が進み、薬をのみ忘れたり、頻繁に同じことを尋ねてきたりする母ですが、自分では1人で何でもできる、できていると思い込んでいます。そんな母からすれば、当然の希望でしょう。
先の見えない介護になるならば、在宅で家族による介護は無理だと思っていた私にも迷いが生じていました。理由はコロナ禍です。5類に移行した現在(2023年5月8日以降)では、高齢者施設の面会・外出も緩和傾向にありますが、当時は厳しく制限されていました。施設に入ったその日から、外出NGで家族とも会えなくなる。ひょっとしたら、今生の別れになるかもしれない。そう思うと、こころが揺れました。

登場人物【あま子】アラフィフのライター&イラストレーター。関西で夫と2人暮らし。優柔不断な性格。【母さん】91歳。要介護3。娘2人の世話で1人暮らしをしていたが…性格はマイペース。【カン太】あま子の夫。突然の施設探しに右往左往するあま子のよき協力者。【カラ美】あま子の6歳上の姉。気の強いしっかり者。兄とは犬猿の仲。3児の母。【ツヨシ】あま子の3歳上の兄。首都圏在住。小さいころからオレ様気質。3児の父。※年齢は施設探しを始めた2022年当時のもの
登場人物

何日も考え、夫とも話し合い、私は決心しました。
少なくともコロナ禍が落ち着くまでは、在宅介護サービスを活用して、いまの母の暮らしを継続させよう―。近くに住む姉と首都圏で暮らす兄には、「私がメインとなって在宅介護をしたい」と伝えました。同居をするわけではありませんが、近くに住む私が毎日のように母宅に通い、ほとんどの介護をするつもりでした。ただ、同時に、姉には週1回程度の病院へのお迎え、兄には月1回程度の帰省を頼んだのです。
兄は二つ返事で承諾。
しかし姉の返事はNOでした。
「それだけですむと思えない。絶対にもっと動かないといけなくなるから」
母の世話から解放されると安堵(あんど)していた姉にとって、私の申し出は受け入れがたかったようです。
私が甘かった……。

そもそも、母はずっと「1人で暮らせなくなったら兄の世話になる」と言ってきていました。
姉にしてみると、最終的には、兄が母の面倒をみるとイメージしていたのでしょう。

“介護押し付けバトル”が勃発!!

ここで、姉兄による“介護押し付けバトル”が勃発!!です。
長子ゆえ?常に上から目線の姉と、「男だから」とわがまま一杯に育てられたオレ様気質の兄。子どものころから、犬猿の仲の2人に穏やかな話し合いなどできるはずもない。
「こっちも義父の介護が大変なんや!」
「受験生もいるし、仕事もあるし余裕ない!」
“いかに自分が大変な状況か”のつばぜり合いがLINEで続きました。
2人ともウソではないだろうけど、話を盛っている気がする…と感じる私。
最後は「こっちに引き取ったら文句ないやろ!」兄の一声で、母は首都圏で暮らす兄のところへ行くことが決まったのでした。

肝心の母はというと、自分をめぐる争いがあったことなど知る由もなく、置かれている状況もきちんと把握できていない様子。
「しばらく、こちらで世話をする」という兄の言葉に、兄宅へ遊びに行くと思い込んでいました(これには勘違いさせておこうという兄の思惑もありました)。
母と2人きりの時に「このまま行ったきりになるねんで。それでもええの?」尋ねると、「それは困る」との返事。
けれど数分後には「元気なうちに、ツヨシ(兄)一家の暮らしを見ときたい」と言い出します。
そんな風に言われると引き留めるのも難しく、せめて、快適に過ごせるようにと、私はお気に入りの衣類や小物などをまとめました。そして、残暑厳しい2022年9月の朝、母は兄一家と関東へ出立したのです。
私はというと、母を見送ったあと、母の家を隅々まで掃除し、家具やベッドにほこりよけをかけ、心身ともにクタクタになりながら家路につきました。

兄、認知症介護の厳しさを味わう

マイペース母vs短気兄「そろそろ関西に帰りたい。なぁなぁ」『5分ごとに言うな』イライラ

ここまで読むと「じゃあ、母の住まい探しは必要なくなったのでは?」と思われるでしょう。しかし、話はそう簡単にはいきません(この連載は終わりませんので、ご安心ください)。
認知症の人は、めったに会わない人の前では、シャキッとするそうです。
母も同様でした。何がいいたいかというと、年に数回、帰省するだけの兄は、母の世話を甘く見ていたのです。
同居をはじめて数日で、兄から愚痴めいたLINEが送られてくるようになりました。
病院へ行きたがらない。近所へ配るお土産を買いに行きたいと言い出す…。
本音を言うと「ちょっとはこちらの苦労もわかったか」という気持ちでした。

母を引き取ったものの、共働きの兄宅では、平日昼間はだれもいません。
ある日、一人で家を出た母は迷子になります。幸い、親切な人に送り届けてもらって大ごとにならずにすみました。
「家から出るな」「インターホンが鳴っても出るな」
何度言っても忘れて、出ていきたがる母に兄はいら立ちを感じていました。
さらに母が「そろそろ関西へ帰りたい」とくり返すことも、兄のイライラに拍車をかけたようです。
「無理やりこっちにおらすのもかわいそうになってきた」と兄から連絡がきたのは、同居1週間足らずのことでした。

【感想&後日談】

介護をめぐる兄弟姉妹げんかは「介護あるある」なんだそうです。普段、仲のよいきょうだいでも、介護に関することになると険悪になるというのですから、もともと仲の悪いウチの場合は推して知るべし。以前から、姉と私、兄と私はLINEでつながっていましたが、姉と兄とは断絶状態。2022年正月に母の骨折をきっかけに、「今後きょうだい3人でやり取りする必要が出てくるから」と私がお願いして、やっと3人のグループLINEができたような状態でした。この後、このグループLINEでたびたび罵り合いがおこるのですが、それについてはまた書きます。「介護でもめないためには、きょうだいでよく話し合うことが大切」などと本には書いてありますが、まず話し合える関係性をつくる方法が知りたいと思うのは私だけでしょうか(泣)。

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この連載について

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