寂しくも頼もしい 成長した息子がライバル \祝/小学校卒業・後編
“侍”として米国社会に挑む心意気で2001年に渡米し、バイオテック(製薬)企業で新薬開発に努めてきた木下大成さん(55)。カリフォルニア州のシリコンバレーで妻、息子との生活を過ごしてきましたが、数年前から少しずつ見られていた記憶や理解力の低下が顕著になり、2022年10月、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。認知症とともにある人生を歩み始めた木下さんが、日々の出来事をつづります。今回は、小学校を卒業した息子さんについてのお話の後編です。
いよいよ卒業式当日です。
私は自身の卒業式で感傷的になったことはありませんでした。両親にも「つまらないから来なくていいよ」と何度も言っておいたぐらいです。それでも、親はやって来て、少し目を腫らせている姿を会場内に見つけて、少し憤り気味に「何で?」と思ったほどでした。
それから40年の時が過ぎ、自分の子どもの卒業式に立ち会ってみると、小さなころはなかなかクラスになじめなかったのに、だんだんと表情に余裕がでてくるようになってきた経過が次々に思い返されました。そういった意味では、この卒業式は本人だけでなく、私たち親のためのものでもあるのだと思いました。
毎日送り迎えをしていた学校の講堂が小さかったため、卒業式の会場は自宅からほど近い小高い丘の上にある、立派な教会のホールでした。
まずは校長先生からの祝辞、次に担任が卒業生一人一人の名前を読み上げ、子どもたちは壇上に上がります。2階席もあるドーム状の会場が、濃いマリンブルーのライトで照らされ、別の白色スポットライトが登壇者一人一人をシャープに浮き上がらせていきます。校長先生から卒業証書が手渡されるたびに、会場の保護者たちは、拍手や歓声でたたえ、約1時間余りの式典は幕を閉じました。
息子はまだまだベビーフェースの“ファニー・キッド”(童顔のひょうきん者)ですが、生粋の日本人の家庭で生まれ育ち、会話の半分以上が日本語という環境の中でも、ほかの米国ネイティブの生徒に負けずに力強く歩んでいることを誇りに思っています。この先、息子は上級生になって、下級生を導かなければいけない状況も出てくるはず。それは、また新しく勉強しなければいけませんが、謙虚にアドバイスに耳を傾け、かつ自信を積み上げて、次のレベルに向かっていってほしいと思っています。
最近、息子は、私の認知症という病気と、その結果として増えてしまっている妻の負担についても、少しずつ理解し始めています。最初は妻に怒られてしぶしぶとやっていた家の手伝いも、「何か手伝えることある?」と自ら聞くことが多くなってきました。そして長い夏休みが終わる8月下旬には、中学生活(ジュニア・ハイスクール)が始まります。
恐らく声変わりも時間の問題。家の中では、今も可愛く「マミー」「ダディー」と呼んでくれますが、すぐにも「ヘイ、マーム!ワッツ・アップ!(母さん、最近の調子はどう?)」などティーンエージャー言葉を、無駄にドスを効かせた声色で話すようになるんだろうと、妻は今から憂えています。私自身もひょうきんでラブリーな息子が可愛くて仕方ないんですが、中学に入り、その後、ハイスクール(高校)からカレッジ(大学)へと進級していくたびに、真の親離れの時が着実に迫ってきていることを感じるのだと思います。親として、その寂しくも喜ぶべき変化と成長を、必ずや見届けなければいけません。
そのためにも、わたしは、わたしの挑戦を続けます。でも、ライバルとしての息子がいると負けるわけにもいかないので、とても張り合いがあり、苦しみも半減して気持ちが前に向いて進めるような気がします。この幸せな時間を、長く、長く続けるためにも力の限り認知症の進行を押し返し、“I’ll be holding on.” (土俵際で踏ん張ってやろう)と思います。