「助けて」と言う壁を乗り越えたその先に 映画『オレンジ・ランプ』鼎談・後編
聞き手/松浦祐子 構成/小野ヒデコ 撮影/伊ヶ崎忍
39歳で若年性認知症と診断された丹野智文さん(49)は、病気になった当初は戸惑い、もがき苦しんだと振り返ります。それでも家族や仲間に支えられ、前を向き、働き続けてきました。そんな丹野さんをモデルにした映画『オレンジ・ランプ』が6月30日に公開されます。鼎談(ていだん)の後編では、この10年における社会の変化、そして夫婦を演じる上でのエンピソードについて、丹野さんと、主人公の只野晃一を演じた和田正人さん、妻の真央役の貫地谷しほりさんの3人が語り合いました。
前編を読む
この2人が演じてくれて本当によかった
——『オレンジ・ランプ』は認知症がテーマですが、晃一・真央夫妻の仲の良さも印象的でした。演じてみての感想を教えてください。
和田正人さん(以下、和田) 貫地谷さんが、本当に頼もしい妻を演じくれたと感じています。晃一が若年性認知症と診断された直後は、「認知症に効く」と言われる食品やグッズを色々と買ってきて、晃一を戸惑わせてしまう。そんな天真らんまんな真央役を、笑顔で無邪気な感じを醸し出しながら演じてくれました。迷子になった晃一が途方に暮れてうずくまっているところを、真央に見つけてもらい、晃一が真央に抱きついて子どものように泣きじゃくるシーンがあるのですが、その時、本当に子どもの頃に戻った気持ちになりました。母性の塊のような存在の貫地谷さんに、とても助けられました。
貫地谷しほりさん(以下、貫地谷) 和田さんは、とても頼もしい方なんです。撮影現場では、何かあっても「大丈夫、大丈夫」といつも落ち着いて動いてくださっていました。そんな和田さんが演じる晃一が、これから自分がどうなるかわからず、おびえている姿を目にしたら、ただただ、抱きしめるしかないというか、そういった行動が自然と引き出された感じです。今回は「こうやって役を作らなきゃ」と思ったことが1度もなく、演じるままにさせていただいたと思っています。実際に映像を見た時、恋人同士みたいな空気がある夫婦だなと感じました。
ただ、私が本当に真央の立場だったら、夫の意思を尊重し、「パパがしたいようにさせてあげよう」なんて到底言えない。何が起きるかわからないし、大事な家族が帰ってこられなくなったらと考えると、とにかく不安だし…。真央のように在りたいと思いますが、もしそうなった時、自分はそうなれるのかという疑問はずっと抱いていました。丹野さんの奥様は本当にすごいなと思っています。
丹野智文さん(以下、丹野) 映画全体は、大げさでも誇張されるでもなく「そのままだな」と思っていました。妻も、貫地谷さんが演じてくださった真央そのものなのですが、あんなに仲良くはない(笑)。試写を見た後に、「妻ともうちょっと仲良くしなきゃ」って思ってしまいました。映画では夫婦で手をつないでいるシーンがありましたが、以前、妻と手をつないでいた時に、子どもたちから「恥ずかしいからやめてよ」って言われてしまってからは手をつないでいないんですよね…(苦笑)。改めて、この2人が演じてくれて本当によかったって思います。
「地図アプリ、最高です」
——丹野さんは、国の認知症希望大使でもあり、全国で講演会などもされています。何か工夫されていることはありますか?
丹野 出張の準備なども全部自分でしています。でも、忘れ物はいっぱいありますよ。忘れ物をしたら、買えばいい。そういう感覚なんですよ。ひと昔前の介護は、コンビニも、スマートフォンもなかったので、今より断然大変だったかもしれません。でも今は、そういった困り事を補ってくれるITも発達しています。
和田 本当にそうですね。僕も旅行に行く時、何かしら忘れ物をすることがよくあります。確かに、買えばいいだけの話ですよね。丹野さんが認知症と診断されてからの10年で、世の中はだいぶ変わりましたよね。10年前と今とでは、生活はしやすくなりましたか?
丹野 大きく変わりました。地図アプリ、最高です。家の周りで道に迷っても、帰れますもん。
貫地谷 自分がいる現在地がわかりますし。
丹野 そうなんです。この間、友達と合流する際に、地図アプリ上で友達のアイコンと自分のアイコンがどんどん近づいてきて、男同士なのに何かドキドキしました(笑)。昨日だって4つぐらい大きな失敗していて、本当に大変だったけど、失敗したとしても、またやり直せばいい。どう工夫すればいいかなと考えることは、そこまで大変なことではありません。
「変われる」ということを知って欲しい
——この映画をどのように見てもらいたいと思いますか?
和田 認知症の方や認知症とは接点がない方を含む、幅広い世代に見てもらいたいですね。学校の授業の一環として見てもらうことも、とても良いのではと思います。
認知症とともにある社会に変えていくために、政治や会社、教育に働きかけていくことは大事だと思います。その一方で、最も動かすべきことは「人の心」だと思っていて。この映画を見てくださった方の心が少しでも動いた瞬間に、何かが変わっていく。その連鎖がやがて大きなうねりへと変わっていってくれればと思います。
貫地谷 今、「人の心」という言葉が出てきましたが、丹野さんの周りには本当に親切な方がたくさんいることを、この映画を通して感じました。でも現実は、道で倒れている人がいても、実際に助けようとする人は10人中10人ではないと思うんです。手を差し伸べる人と、そうでない人との差は何かと考えた時、「人の心」なのかなと思いました。相手を気にかけることで、その人が喜んでくれる。そうした小さな成功体験や、子どもが損得を考えずよかれと思ってしたことを、大人は摘み取らないようにすることが大事だと思います。その結果、お互いを気にかけていける世の中へとつながっていくように思います。そうしたことに気付かせてくれる映画だと思います。
丹野 この映画は想像じゃないんですよね。実際に私が送っていた日常でした。でも、今の(前向きに、認知症本人としての活動している)私しか知らない人からは、「丹野さんは何も困ることなく今に至っている」と思われてしまうこともあります。でも、全然違うんです。これまで、泣きに泣いて、落ち込んだ時期を乗り越えて、今があるんです。そのことについて、認知症になったばかりの人たちにも、そして、これから認知症なるかもしれない人にも、「変われるんだ」って知ってほしいなと思っています。
認知症になっても、私みたいに過ごしている人がいることを、多くの人に知ってもらうということが大切だと思っています。思い返してみると、「助けて」と言うことはものすごく高い壁だったけど、その一歩を踏み出した先には、助けてくれる人がたくさんいました。そのことを知ってもらいたいと思っています。
もしかしたら、これまで認知症の介護をされてきた人から「実際はこんなではない」など批判的な声も届くかもしれません。でも、確かに僕はこうしてここにいるんですよね。そこにも目を向けてほしいですし、そのことをこれからも伝え続けていきたいと思っています。
- 『オレンジ・ランプ』
- 公開日:6月30日(金)全国公開
企画・脚本・プロデュース・原作:山国秀幸
監督:三原光尋
企画協力:丹野智文
出演:貫地谷しほり、和田正人、伊嵜充則、山田雅人、赤間麻里子、赤井英和、
中尾ミエ
©2022「オレンジ・ランプ」製作委員会
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