介護に燃え尽きて夜逃げ同然 要注意の発言三つ 認知症と生きるには24
執筆/松本一生 イラスト/ふくいのりこ
大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、介護者が介護を頑張り過ぎてしまい、燃え尽きてしまう「バーンアウト」に焦点をあて、松本先生が介護のあり方を考えます。(前回はこちら)
前回は、介護に熱心で生真面目な介護者の体が、こころに代わって訴えてくることがあることを書きました。頑張り屋さんだからこそ、誰にもつらさを訴えることなく日々の介護を続け、結果的には体を壊してしまう。「そんな介護者を一人でも減らせるように、このテーマを生涯の研究テーマにしよう」と思ったのが26年前、私が精神科医になって認知症と介護家族の専門医を目指したときでした。
日々の診療と研究を続けていくうちに、私はもう一つのテーマと向き合っていかなければならないことに気づきました。それは介護者の「バーンアウト」です。熱心な介護者が、誰の力も借りず、頑張り過ぎの介護を続けていくと、次に待ち受けるのは、「介護破たん」という危険な状況です。介護者が燃え尽きてしまう「バーンアウト」こそ、最も避けなければならないことであると思うようになりました。
介護にバーンアウトすることは、単に介護者が介護をできなくなるだけではありません。はじめは「善意」を持って認知症の人を介護していたにもかかわらず、日々くり返される介護の負担感から、少しずつ追い詰められ、結果的に思ってもみないような行為をやってしまう。そのような人も少なくないことがわかってきました。
いわゆる「虐待行為」「不適切行為」と言われても仕方がないような行為を、悪意からではなく、介護に行き詰まることで、つい、おこなってしまう介護者がいる事は見過ごすことはできません。悪意はなくても虐待や不適切な行為は起きてしまうものです。高齢者介護では、不適切行為を受けた人の実に7割の人には認知症があるという調査結果があるように、介護に追いつめられてしまう介護者をなくすことも、私の大切な臨床と研究のテーマとなりました。
こんな介護者の発言には気をつけて
介護をしている家族が、よく口にする言葉をまとめてみました。すると、次のような3通りの発言をしている介護者が破たんしやすいことがわかってきました。
1:私は介護でつらい思いをしたことがない
2:私の人生は○○の介護にささげる
3:私は誰の手も借りずに介護しなければならない
この三つの発言こそ、介護者が介護に燃え尽きることを予見し、その危険を未然に防ぐために、私たちみんなが知っておくべき発言です。でも、こうした発言は別段珍しいものではありません。いつも聞く可能性がある言葉です。
特に一つめの「介護でつらい思いをしたことがない」という発言は、どういった状況で介護者が発するかを見極めることが大切です。「介護がつらくない」と発言している介護者が、時には本人をショートステイにゆだねて旅行を楽しんだり、日々の介護の中でもホームヘルパーやデイサービスを活用したりして、自身が担う介護負担を上手にコントロールして過重にならないようにしていれば、この発言をした人は介護家族として本当に「つらくない」のでしょう。そういう人は介護に行き詰まることはありません。
しかし、「つらくない」と言っている反面、前回のコラムで紹介したようにからだが介護者のこころに代わってつらさを表現していることがある場合は、周囲の人が手を差し伸べなければいけないときです。体のふらつきや、気分が悪くなるような不定愁訴(あれこれと調子の悪さがくり返す)が出て、その後、慢性的な痛みが首や肩、腰などに現れ、その後、心身症(実際の体の病気)が出てしまう前にです。
これらの発言をしている介護者は一般的には生真面目で介護者として「やりすぎ」の人です。このような介護者を「過剰適応タイプ」と呼びます。
介護30%、自分の人生70%
二つ目の発言をする介護者は特に要注意です。「自分を介護にささげる」という発言は、介護している人と介護されている人との心理的な距離が極めて近くなっているからです。
だってそうでしょう、いかに介護している人が大切だとしても、介護者には介護者自身の人生があります。認知症をはじめとする介護の世界は、介護者の人生があって初めて成り立つものだとふだんから私は考えています。
「あなたの人生を生きることが70%、介護に費やす人生はいくらその人を大切に思っていても30%までにしてください」
私は日々の臨床で、介護家族の人にこう言います。私の診療所のカルテをみてみると、「介護に捧げる」といった自分を犠牲にするような発言をした介護者のうち、3割の人が、その発言から6カ月以内に介護が「破綻」してしまったというデータがあります。自分を犠牲にするような介護者の発言は、特に注意すべき発言だと思っています。
母をベッドに残して
83歳で血管性認知症の高松秀子さん(仮名)は若いころから股関節が悪く、70代後半には「寝たきり」の生活になりました。不整脈も持病として持っているため、何度か小さな脳梗塞を繰り返し、微小脳梗塞(ラクナ梗塞)による血管性(多発梗塞性)認知症が始まりました。
息子の隆さん(59)とその妻、娘の3人は秀子さんを自宅で介護する決意を固めていました。隆さんは小さいころは体が弱く、秀子さんが献身的に育てたことも影響してか、隆さんは「おれが元気でいる限り、おふくろの介護のために人生をささげても悔いはない」と公言し、妻も娘もその隆さんのこころを大切にしようと協力してきたのでした。
しかし、本人の昼夜逆転が激しくなったころ、家族は夜に大声で叫ぶ秀子さんの介護に苦しみました。夕刻から始まる大声は深夜にも及び、3人が寝ることを許さない状況になりました。一晩中、「お~い、お~い」と声が出て、3人は不眠の日々が続きました。内科のかかりつけ医も睡眠導入剤を処方し、何とか秀子さんが寝られるように努力しましたが、それだけでは不眠が改善しません。
そのような事態が4カ月続いたある日、私はその内科医から「秀子さんを眠らせてあげないと息子さん家族が介護に破綻してしまう」と協力を依頼されました。その直後、その事件は起きてしまいました。
ある朝、地域の民生委員が訪ねたとき、秀子さんひとりが介護ベッドに横たわっていました。周りにあったはずの家財道具はなくなっていて、家族は誰も家の中にはいません。民生委員が慌てて連絡してくれて、かけつけた内科の主治医と私が見た風景は、秀子さんだけを残して家族3人がまるで「夜逃げ」でもしたかのように、家から消えてしまっていました。
こうした状況は認知症がある高齢者に対する「介護忌避」という、虐待行為(不適切行為)とみなされ、隆さんたちが「加害者」と言われても仕方がない行為でした。善意にあふれて介護をしていたはずなのに、そのあふれる気持ちにゆとりがなくなり、秀子さんの認知症からくる症状と向き合いきれなくなったとき、高松さん一家は「善意の加害者」になってしまいました。
幸いなことに高松さん一家はその後、秀子さんがショートステイを利用するようになり、家に戻った隆さん一家も「人生をかけて母親を介護しようとしたこと」が家族を追い詰めていたことに気づいてくれました。あれから数年、今では秀子さんが入所する特別養護老人ホームに家族で面会に行く高松さん一家をみかけます。
次回は認知症の人に対する虐待行為(不適切行為)を類型化してみていきます。家族からの虐待、施設職員からの虐待、いくつもの種類がありますが、大切なことは愛情や熱意を持って介護していたとしても、そのような行為が起きる可能性があることを読者のみなさんに知っていただきたいのです。
※このコラムは2018年3月22日にアピタルに初出掲載されました。