「認知症の人の世界を受け入れる」脳科学者が納得 長谷川和夫さんの言葉2
取材・写真/神保康子
認知症医療の第1人者であり、3年前に自らも認知症であることを公表した長谷川和夫さんの新著「認知症でも心は豊かに生きている 認知症になった認知症専門医 長谷川和夫100の言葉」から心に響く言葉を紹介するシリーズ第2弾。今回の「あの人」は恩蔵絢子さんです。
(編集協力/中央法規出版)
人間の「感情」や「自意識」を専門に研究している脳科学者の恩蔵絢子さんは、5年前に認知症の診断を受けたお母さんと一緒に暮らしています。脳科学者として、母親を大切に思う娘として、長谷川和夫さんの言葉から何を受け取り、どんなことを考えたのでしょうか。
●「やっぱりそうか」と頷きながら
母がアルツハイマー型認知症の診断を受けた後、私自身が確かめようとしたことは、「母は母でなくなってしまうのか」ということでした。「そうではない」と結論を出したと思っています。そのことを、認知症のことを誰よりもご存知の長谷川先生が、この本の中で繰り返し述べておられて、深く頷きながら読ませていただきました。一方で、つい忘れてしまいがちだけれど大切な言葉にも、たくさん触れることができました。
●私の心に響いた言葉
認知症になったのは不便なことですが不幸なことではありません。「認知症でも心は豊かに生きている」より
はっとしたのは、この言葉の解説に出てくる、「認知症の本質は『暮らしの障害』である」という言葉です。日々の何気ない暮らしがうまくいかなくなっていくことを、長谷川先生ご自身が経験されて、「暮らしの障害」とやさしく定義されています。確かに不便ではあるけれど、できない側面だけで自分のことを捉えてほしくないという長谷川先生の思いが伝わってくるような気がします。
できなくなっていくことがあっても、その人であることに変わりはないと、私も母と暮らす中で考えるようになりました。「できる、できない」という軸で見ないで、母という1人の人と暮らしている感覚をずっと持ち続けていきたいと思っています。
認知症の人が体験している世界とそうじゃない人の世界には違いがあります。それなのに介護する人は「こっちの世界に来てよ」とついつい考えてしまいます。認知症の人の世界を受け入れましょう。「認知症でも心は豊かに生きている」より
私も経験がありますが、「こっちの世界に来てほしい」と、つい思ってしまう。でもそれは、「こっちの世界」が正常だという意識がどこかにあるからですよね。
私の尊敬する学者の1人に、心理学者のジャン・ピアジェがいます。20世紀の前半、子どもというのは大人への発達途中にあり、単に未熟な存在であるとみなされていました。そんな時代に、子どもには大人とはまったく違う独自の豊かな世界があることを提唱した、発達心理学の第一人者です。
長谷川先生の「認知症の人の世界」という言葉に触れて、私はこのピアジェ理論を思いました。認知症の人を認知機能が衰えている人と見ないで、豊かな「認知症の人の世界」に目を向けると、違う世界にいても尊敬しあえる対等の関係が見えてくるのだと思います。
認知症になって実感したのは、認知症は固定された状態ではないということです。「認知症でも心は豊かに生きている」より
IQ(知能指数)が変動することをご存知でしょうか。人の一生ではもちろんのこと、1日の中でもかなり大きく変動します。でも一般的には、IQや偏差値を一生モノのように扱ってしまいがちで、その風潮には強い違和感を覚えてきました。
認知症も同様に、固定された状態であるという思い込みが世の中にあります。でも、母を見ていると、調子がいい時もあれば悪い時もあるし、1日の中でも状態が変わります。新型コロナウイルスの影響で外出の機会がなくなった時期、刺激が減ったのか、母の認知症が進んでしまったと感じたことがありました。
どうしたらいいか悩んだ末、毎朝ハグをして触れ合うことにしたら、母は笑顔が増えて、しばらく失っていた習慣を取り戻したのです。長谷川先生の言葉に「やっぱりそうですよね」と、胸がすっとしました。
●人を理解する学問
認知症になった母と過ごしていると、人間というものを徹底的に理解する学問に取り組んでいるような気がします。認知症の人との関係から得られるのは、深い人間理解なのですよね。長谷川先生もやはり、認知症は人間なら誰でも体験していく一つの流れなのだから、そこを理解していくことでどんな「果実」が得られるのかを探求していらっしゃいます。
予防や治療ばかりについ目がいってしまいがちですが、認知症の人たちの世界に敬意を払って、どんな世界なのかを考えて進めていく研究というものがあるべきだと、改めて感じました。
- 恩蔵絢子さん
- 脳科学者。2007年東京工業大学総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士)。専門は自意識と感情。2015年に同居の母親がアルツハイマー型認知症と診断される。以来、生活の中で認知症を脳科学的に分析し、2018年に『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を出版。
- 「認知症でも心は豊かに生きている 認知症になった認知症専門医 長谷川和夫100の言葉」
- ・著者:長谷川和夫
・判型:四六判
・頁数:208頁
・価格:1,300円+税
・発売日:2020年8月10日
・ISBN:978-4-8058-8190-3
・発行:中央法規出版