あなたは手を差し伸べますか?「介護殺人」があった町、ある認知症カフェの取り組み
取材/コスガ聡一
いまから約8年前、兵庫県姫路市で夫が妻を絞殺し自らも服薬自殺を図るという事件がありました。それは自宅での認知症介護に追い詰められた末の惨事であったため「介護殺人」としてメディアで取り上げられ(※)、その後も多くの人の記憶に残ることとなります。民生委員・児童委員(以下「民生委員」)として直接この事件に関わった岸岡孝昭さんは、その後オレンジカフェなどの運営に尽力してきました。新型コロナウイルス対策を理由に再開できないカフェが多いなか、「いまこそやらないといけない」と語る岸岡さんにその原点について伺いました。
姫路市に岸岡さんのオレンジカフェを訪ねたのは8月半ばの日曜日。猛暑、お盆、コロナが重なり、いつもの半分ほどということでしたが約30名の参加者がやってきていました。
笑い声の絶えないテーブル
午前10時30分から血圧測定、ラジオ体操などが始まりますが、その前後の時間でみなさんおしゃべりに花を咲かせます。岸岡さんは笑い声が絶えない各テーブルを回りながら地域の高齢者たちと会話を交わしていました。
お昼前になるとスタッフが人数分のお弁当を買ってきて、全員で昼食を共にします。肉類が苦手な人のために、ざるそば弁当を用意するなどの細かな配慮もされていました。
午後は音楽療法士の指導で懐かしの歌に合わせてハンドベルや鳴子で合奏を楽しみます。奇数月は別プログラムとなっていて、理学療法士による体操やミニ講話が行われるそうです。
以上が岸岡さんの地域で開催されるオレンジカフェのおおまかな流れとなります。昼食をはさんで約4時間という長めのカフェですが、プログラムが詰まっていないのでゆったりとした時間が流れていました。
もともと姫路市の技術系職員だった岸岡さんは、地域活動への参加を促す市の方針もあり1989年から民生委員を務めてきました。1995年の阪神・淡路大震災に際しては復旧支援で現地入りしただけでなく、姫路市内の仮設住宅に避難してきた人々を支援するボランティアとして戸別訪問などをしたそうです。その後は地域の福祉課題を解決するため子育て支援活動などを立ち上げて継続してきました。
そんななか起きたのが「介護殺人」事件でした。
あえて言うなら「地域の理解」が足りなかった
事件直前に担当ケアマネジャーより夫婦の状況について相談を受けた岸岡さんは、民生委員としての職責(本来は一人暮らし高齢者が対象)を超えて行政や知り合いの介護施設に働きかけるなどしたそうです。しかし残念ながら間に合いませんでした。
「決して夫婦に問題があったわけでも、介護事業者に問題があったわけでもありません。あえていうなら認知症について『地域の理解』が足りなかったのです」
岸岡さんがそう語るのは、認知症の進行で夜間に大声をあげてしまう妻に近隣から苦情が寄せられており、夫婦が孤立を深める理由になっていたからです。
もっと地域の福祉力を高めないといけない、認知症だけでなくなんでも相談しやすくしないといけないと考えた岸岡さんは、地域を古くから知る介護事業所と協力して2カ所の「ふれあいサロン」の充実を図りました。高齢者を対象とする3カ所の食事会活動と合わせて、週1回は地域のどこかで「通いの場」が開催されるようスケジュールが組まれています。
他にも、徘徊高齢者捜索模擬訓練の実施や24時間365日対応の町内放送の整備など、社会福祉協議会の責任者でもある岸岡さんは地域資源をフル活用して認知症をテーマとする取り組みを重ねていきました。
あなたは手を差し伸べられますか
事件から約2年後、行政の認知症カフェ施策と合わせて「ふれあいサロン」を「オレンジカフェ」に改称する際、参加者にアンケートをとる機会がありました。そのなかで「あなたの家族が認知症になったとき周囲の人に知っておいてほしいか」「あなたは周囲の人から認知症について助けを求められたら手を差し伸べられるか」という問いに対し、70%以上の人が「はい」と回答したそうです。岸岡さんはこのことを「認知症は恥ずかしい病気ではないという理解が広がりつつある」と手ごたえを感じています。
そんな岸岡さんのオレンジカフェも、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を受けて今年3月から5月にかけて開催を休止しました。その間、常連のみなさんとは往復はがきでやりとりをしていて、「人と話ができないのはこれだけ寂しいのかと思う」「体力が弱ってきて転倒した」などの返事がもらっていたそうです。
高齢者の孤立を解消する
「わたしたちはこういう人たちのために活動してきたのだとあらためて思いました。高齢者の孤独とか孤立感をどう解消していけるのか、再開するかしないかではなく、どうしたら再開できるかという考え方をしなければなりません」と岸岡さんはいいます。
新型コロナウイルスの流行からすでに半年が過ぎました。これほど長い期間にわたって外出や人と会う機会が減れば、それまで健康だった人や困難な状況になかった家族にも新たにトラブルが起きはじめているかもしれません。地域福祉を「自らのつとめ」と語る岸岡さんは、そのような眼差しで約5千世帯、1万2千人弱の地域を見守りつづけています。
※当記事で触れた事件は、毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ―追いつめられた家族の告白―』(新潮社、2016年)で取り上げられています。この書籍では人物および地域名が伏せられているため、当記事においてもカフェ名および地域名についてはあえて記載しませんでした。