子どもが親を撮る「親ムービー」のススメ。ヒット映画の監督がコツを伝授
構成/種藤潤
子どもが親を撮る「親ムービーのすすめ」をテーマに、ドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の信友直子監督が、初めてのオンライン講演に挑戦しました。両親にカメラを向けたきっかけや、撮ることの葛藤、カメラを通してこそ発見できたことなどをたっぷり1時間半、お話しいただきました(聞き手 なかまぁる編集長 冨岡史穂)。
母は最後にグッドタイミングを演出してくれた
信友監督は画面に登場すると、生まれて初めてのオンラインイベントに緊張しつつ、あいさつはそこそこに、ここ4ヶ月間、故郷の広島県呉市にいたこと、さらには作品の主人公の一人である母・文子さんが6月に亡くなったことを明かしました(編集部注:オンライン講演は7月に開催しました)。ただ、監督はそのことをあえて「グッドタイミング」と表現し、「母は脳梗塞で入院していて、新型コロナ拡大後の緊急事態宣言中はお見舞いに行けませんでした。しかし、解除された6月には面会できるようになり、その直後に危篤になり、亡くなったのですが、私たちが直接お別れを言えるように頑張ってくれたんだと思います」と振り返りました。
母とはいつでも会える
そしていよいよ、トークショーに移行。信友監督はまず、今回のイベントのテーマ「親ムービーを撮影すること」について「ムービーを撮っていたから、亡くなった母にいつでも会えます。やはり、大切な人を動画で撮影しておくことはオススメだと思います」と語りました。
続いて、自身の映像を撮り始めたきっかけについて尋ねられると、「1990年代後半はちょうどディレクターが自分で映像を撮り始めた時代で、私も試しにカメラを買い、その練習台として両親を撮影し始めたのがきっかけです。最初は二人ともぎこちなかったですが、3年ほど経つと撮られ慣れてきたようで、自然な雰囲気になっていきました」と、当時を振り返りました。
特に印象に残ったシーンとしては、「両親のケンカ」を挙げました。「その時は、カメラを回しているのに、本気でケンカする?」と驚きましたが、それだけ撮影されることに慣れていたんですね。他にも、洗濯機の前で母が寝転んでしまう場面もそうなんですが、二人の素のシーンが撮れるたびに、ドキュメンタリーの神様が降りた!と思いましたね。娘としては最低ですけど」と苦笑しながら語り、こう付け加えました。
「ただ、カメラを回していたから、娘ではなく第三者として、日常の両親を見ることができて、深刻になりすぎなかったのだと思います。そういう視点で親を客観的に見ることができるのも、親ムービーのいいところかもしれません」
手持ち撮影だと、気持ちの“揺れ”を映像に出せる
話題は、今や地元の有名人となった父・良則さんに移ります。その出演シーンのなかで、両手に持ちきれないほどスーパーで買い物をして、その袋を抱えたお父さんが、立ち止まりながら、少しずつ家へ向かう場面が紹介されました。信友監督は「父には初めから手伝わないことを伝え、遠くから撮影し続けていましたが、葛藤はあり、特に父が数十秒立ち止まって動かなかった瞬間は、駆け寄って助けようか本当に迷いました」と当時の心境を明かしました。
そこで「親ムービーでは、撮り手である自分は声や映像で入るべきですか?」と尋ねられると、「両親を撮るときに限らず、なるべく自然な雰囲気で撮影対象の人が話せるように、私はカメラのこちら側からその人たちと会話をするように意識しています」と答えました。そのあとで、「でも、正解はないと思います。例えば、撮影方法にしても、定点でカメラを固定して撮る方がいい人もいるし、私は手持ち撮影が好みです。その方が、撮影者の気持ちの“揺れ”が映像に出る。それを見返して、その時の自分の気持ちを思い出すこともできます」と補足しました。
作品名に込めた3つの思い
信友監督は、この作品名には3つの思いが込められていると語りました。「ひとつは、認知症の本人は、実は自分の異変をわかっているということ。もうひとつは、その言葉のなかに、母らしい自虐的ユーモアが込められていること。そして最後は、認知症であることをみんなが言い合える世の中になってほしい、という社会へのメッセージです」と解説しました。
そして話は、冒頭の両親のケンカの場面に戻り、監督は「私の知る限り、父は初めて母に対して怒ったのですが、その行動に男の優しさを感じました」と振り返りました。映画をまだ見ていない人にはネタバレになると前置きしつつ、「ケンカの場面で、父は母に『感謝の心が足らん。感謝して暮らせ』と怒っています。父は母が認知症になったことは受け入れていましたが、感謝を忘れた母の姿は受け入れたくなかったようです。いつも感謝の心を忘れなかった母を諦め切れずに、母に怒る父を見て、私は父を改めて男性として尊敬しました。そのことをさりげなく強調したくて、作品の前半部分に、認知症になる前の母が“今の人生、感謝の生活よ”と語るシーンを入れました」と、こっそり編集の裏側を明かしてくれました。
気持ちを持って、対象に捨て身でダイブ
イベントも佳境に入ります。「いい映像を撮るコツは?」と質問が出ると、監督は少し考えながら、「コツは……ないと思います。私にとってドキュメンタリーとは、撮影者と対象の化学反応だと思っています。覚悟を持って、対象に捨て身でダイブする。そこで出てきたものが、自分にしか撮影できないものであり、そこに価値があると思います」と語りました。さらに「作品を見返すと、撮影は昔より上手になったと思いますか?」と聞かれると、監督はまた少し考えたあと、「気持ちが入っていれば、上手い下手はないと思いますが……ただ、撮影し始めた頃よりも、編集はしやすくなったと、編集担当には言われました」と語りました。
最後に、視聴者からのチャットによる質問コーナーがありました。まず「認知症が進む母の姿を撮ることに躊躇したことはなかったか?」という問いに対して、信友監督は、「実は母が認知症になったばかりの頃、一時期撮影を止めていました。でも、撮影しないことに疑問を持ったのか、母から『私がボケたから撮影しないん?』と言われ、以後は撮影し続けました」と明かしました。
「親とは別に、一緒に撮影しておくといい対象物は?」という問いに対しては、信友監督は自身の作品に重ねながら、「親に関連するモチーフを決めて撮影し続けるといいかもしれません。例えば、私の場合、母が好きだった花のあじさいと、父が淹れて母と一緒に飲むことが好きだったコーヒーをモチーフにしています。それを繰り返し撮影することで、そこから親の変化を感じることもできます」と答えました。「それに人ばかり撮っていても、単調になってしまいますから」とも。
そして終了時間となり、信友監督はホッとした様子で、お礼の言葉を述べました。今後の活動については、「このご時世なので、オンライン上映会をやってみたいです。その時は、呉の実家から中継で、父をゲスト参加させようと思います。父にとってハリにもなるし、私も実家に戻れて安心です。でも、オンライン放送の技術には疎いので、わかる方、教えてください」と視聴者に協力の呼びかけも。会はなごやかな雰囲気で終了しました。
- 信友直子(のぶとも・なおこ)
- 1961年広島県呉市生まれ。東京大学文学部卒。86年から映像制作に携わり、フジテレビ「NONFIX」や「ザ・ノンフィクション」で数多くのドキュメンタリー番組を手掛ける。放送文化基金賞奨励賞、ニューヨークフェスティバル銀賞・ギャラクシー賞奨励賞など複数受賞。北朝鮮拉致問題、ひきこもり、若年認知症、ネットカフェ難民などの社会的なテーマから、アキバ系や草食男子などの生態という現代社会の一面までを切り取っている。2019年には新潮社から「ぼけますから、よろしくお願いします。」を上梓。