祖母の暮らしは在宅か施設か…涙こらえる家族の葛藤 これって介護の裏技?
更新日
青山ゆずこです! 祖父母が認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました。
「お前は鬼だ! 青鬼だ!」施設見学でばーちゃんが暴走!
「ばーちゃん、ちょっと気晴らしにドライブにでも行きませんか?」
これはゆずこがばーちゃんを外に連れ出すときにいつも言っていたセリフです。
そして車に乗り込んでデイサービス(通所介護)や、そのままショートステイも利用できるお泊りデイサービスなどの施設へ見学に向かいます。これまでにも何度も「ばーちゃんのプライドの高さ」を唱えてまいりましたが、それはさまざまな施設へ見学に行った時も変わりませんでした。
「私は人様(施設のスタッフの方々)のほどこしは受けません」
「こんなに老いぼれじゃないよ」
などと理由をつけて、見学の途中でもゆずこの手を振りほどいて家に帰ろうとします。でもスタッフが持っているカードキーがないと、出入り口の自動ドアは開きません。
するとまるで“伝説の道場破り”かのように扉を連打、連打、連打。伝説の道場破りなんて見たことないし、知らんけど。なんかもうばーちゃんを見ていると、そんなキャラが浮かんできてしまうのです。そして、どうしても開かない扉に苛立ち、ゆずこの顔をキッ!とものすごい形相で睨んで、
「お前は私をここに捨てるんだね! この青鬼め!!」
と、施設内に響き渡るような大声で叫びまくります。
施設のスタッフさんやケアマネジャーさんが、わたしがショックを受けていないか心配して駆け寄って来てくださったのですが、ゆずこは「……なんで“青”鬼? 超ウケる(笑)」と、ばーちゃんからのまさかの色指定がツボに入ってしまい、終始ニヤニヤ。
その後も、家まで送迎に来てもらってデイサービス体験に行くなど色々挑戦した結果、ばーちゃんは「間に合ってます!!!」と一切ブレない。
スタッフの方々からは「最初は拒否される方もいらっしゃるんですが、皆さんゆっくりと慣れていきますよ」と言われたのですが、ばーちゃんは何度試しても流されない。門前払い。もう本気で玄関を開けない。
「なんとかうまく介護サービスを利用しようぜ作戦」はことごとく失敗に終わったのでした。
繰り返される家族会議。施設か自宅か
そうして何度も打ちのめされた介護サービスの利用ですが、じーちゃんが亡くなってばーちゃんの食欲が一気に落ちたり、薬の飲み忘れが目立つなど、これまでよりも気を遣う場面が色々と増えてきました。
叔母や叔父も集まって、家族で「ばーちゃんには施設に入ってもらおうか」と話し合う日々。でも母をはじめ、必ず何人かが「できるだけ自宅で介護してあげたい」「施設に入れるなんて、親を見捨てたようでつらい」と主張します。
取材で多くの人とお話しますが、自分の家族も含め50代、60代の一部はいまだに「親を施設に入れるなんて」「見捨てたも同然だ」と、施設に対して先入観を持っている人も少なくありません。
確かに、慣れ親しんだ家から離れさせるのも、施設に入ってもらうのも、娘(母)としては簡単には決められないことかも知れません。“いて当然の家族”がいなくなる喪失感もあるのでしょう。でも、歳を重ねれば環境も状況も変わってきます。
「ホームに入所した方がいいんじゃないかな」とやんわり母に伝えると、「もういい! じゃあ私が仕事を辞めて、24時間付きっきりで介護をすればいいんでしょ!」「私がずっと一緒に住む。誰にも迷惑かけない」と意固地になってしまうのです。
感情的になって、出てくる言葉も語気もヒートアップしまくりのゆずこ母。つられそうになる感情をぐっと抑えて、ゆずこの思いを伝えました。
それは、「このままだと、私はばーちゃんを嫌いになってしまう」ということ。
視点や発想を模索して介護生活をあの手この手で乗り越えてきましたが、やはり豹変して感情をぶつけられたり、寝込みを襲われたり、手を上げられると、心の中の“ざわざわ”したイヤ~なモヤが一向に晴れません。それどころか、いつの間にか自分から余裕と笑顔がなくなり、鬱々とした気分に襲われ続けます。そんな現象は、ばーちゃんの症状が悪化するたびに色濃くなっていったのです。
「施設に入ってもらうのは確かに寂しい。わたしだって寂しい。でも自分たちの限界を見ないフリしてどんどん壊れていくのは違う気がする」
勝手な思いだけど、施設は“家族が家族を好きでいるため”には必要なところだと思うんだと、思わずこみ上げてくる涙と鼻水をぐっとこらえて、母に伝えました。
ゆずこの話を黙って聞いていた母。そして“ある決断”をするのです。
自分が“最善の介護人”と思ってはいけない
施設への入所か、それとも……揺れ動き悩む家族の心情を、「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ、虐待してしまうプロセスを断ち切る」をモットーに、企業での介護セミナーや個別相談を行っている、NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さんにお聞きしました。
「家族を『最後まで自宅で過ごせるようにしてあげたい』『できる限り自分たちでなんとかしたい』というお気持ちもすごく分かります。でも自分たちが“最善の介護人だ”と思ってしまうのは、実は少々危険なことでもあるのです」
川内さんは、「できるなら家族でなんとかしよう!」と抱え込んでしまうのは危険だと言います。
「例えば父の介護に疲れている母をみて、『子どもたちでなんとかしよう』と、毎週末実家に帰って母の代わりをしたとします。しばらくは体力も精神力も持ちますし、一瞬は状況が改善するので達成感を味わえますが、それは続きません。結果的に巻き込まれる形になり、今度は子どもたちが追い詰められてしまいます」
大切なのは、メインの介護者の本音や愚痴を聞いて、それを外にSOSとして出せる役目だそうです。
「身内だからこそ知れる内容って多いんですよ。実は介護をしているお母さまに話を聞いてみたら『毎日3時間しか寝れない』『つい怒鳴っちゃう』『はやくこんな介護終わってほしい』という思いがあったと、相談に来てくださる人もいます。
もし少しでも追い詰められているのなら、第三者であるケアマネジャーや地域包括に相談して、そのご家庭に合ったサービスを利用したり組み合わせたりなどして、介護に向き合う姿勢や構造そのものを工夫していただきたいのです。その時の介護の状況を“見える化”するために、相関図を紙に書き出してみてもいいかもしれません。
難しい話ですが——介護される側が自宅での介護を希望していても、本当にそれが最善の介護なのかというと、違う場合もあります。施設を利用することに最初は抵抗を感じていても、家族が想像していなかったくらい笑顔で、充実した時間を過ごしている人もいっぱいいます。家族がやりたいことと、介護される本人にとって必要なケアは違うかもしれない。介護は、どれだけ自分が頑張ったか・尽くしたかで評価されるものではないと思うのです」
本人のため!と思っていても、冷静になると実はそれは「自分がこうしたい」という強い思いだったということも……。
揺れる家族の思いと、ばーちゃんの思い。果たしてゆずこ家が選んだ道は!? 次週につづく。
- 川内潤(かわうち・じゅん)さん
- NPO法人となりのかいご代表理事。老人ホーム紹介事業、在宅・施設介護職員を経て、「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ、虐待してしまうプロセスを断ち切る」というモットーのもと、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。14年にNPO法人化、代表理事に就任。顧問先企業にて介護セミナー、個別相談を行うほか、介護コラムを執筆するなど幅広く活動。近著に『もし明日、親が倒れても仕事を辞めずにすむ方法』(ポプラ社)がある。働く世代の介護の悩み相談ラジオを配信中。