介護虐待は自分事 仲良し家族ほど要注意 これって介護の裏技?
青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護"で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました。
他人事ではない介護虐待の怖さ
ある日ゆずこが近所の中華屋さんでお昼をとっていると、店内のテレビから「介護疲れが原因で虐待が日常化してしまった家族」の話や、「介護が原因で無理心中」など痛ましいニュースが流れてきました。そのニュースを見て、店の常連さんらしき客と店長の、「何も手を上げなくても……。家族なのに」
「元々相当仲が悪いか憎み合っていたんだろう。じゃなきゃ虐待なんて……」という会話が聞こえてきました。
違うんです。
「家族なのに」じゃない、「家族“だから”」です。「憎しみが原因で手を上げる」わけでもない、愛情があるからこそ、こんな悲劇が生まれてしまうような気がします。
厚生労働省の調査によると、家族や親族、同居人がかかわる虐待の相談・通報件数は、全国で3万40件。そのうち虐待と判断されたのは1万7078件にのぼります(出典:平成29年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果)。
そして常連さんは、会計をしながら「まあ、これは“特殊”なケースだろうな。うちには関係ねえや」と言い残して店を出ていき、店長は適当に相槌を打ってどんぶりを下げる。
わたしも同じように思っていました。自分が体験するまでは。
介護虐待をしてしまう人の、頭の中はこうなっている
それは、わたしが仕事から帰宅して、自分の部屋のソファにどかっと座って一息ついた時のことでした。一階からものすごい勢いでばーちゃんがやってきたと思ったら、部屋を指さして「ここは神棚だ! あんたは何をしているんだ」「今すぐ荷物をまとめて出て行ってくれ!」と暴れ始めました。
「いつものことだ、無理に刺激しちゃいけない」と思って言い返したり感情的になることなく、話を変えたりかるく手を握ったり抱き着いてとにかく落ち着かせようとしました。
でも、この日のばーちゃんにはまったく効果がありません。こうなったらばーちゃんの気が済むまで話を聞こうと、黙って聞き役に徹した瞬間でした。
「バチン!」ばーちゃんの平手打ちがゆずこの顔面を直撃しました。そして立て続けに脳天や頭をパーやグーで殴られたり、背中やわき腹を叩かれたり。ばーちゃんは力持ちで体力はそれほど衰えていなかったので、パンチの力もあなどれません。みぞおちに入ったときは息苦しさを覚えるほどでした。
「やり返しちゃいけない。でもわたしが避けると、ばーちゃんがバランスを崩して転んでしまうかもしれない」と思うと、なかなか身動きがとれなくなります。
そして10発、20発、30発……と攻撃を受けるたび、頭の中にぼや~っとモヤがかかったような、麻痺するような感覚になっていくのです。
「大好きだったばあちゃんが、汗と涙と鼻水を垂れ流して、鬼のような形相でわたしのことを叩いている」ということが何よりもものすごくショックだったのですが、次第に「わたしはばーちゃんのために一緒に住んで介護しているのに、こんなに頑張っているのに、なんでこんなことをされないといけないの……」と虚しくて悲しくて、この状況と自分自身に絶望するのです。
今ここに助けてくれる人は誰もいない――絶望という蟻地獄で必死にもがき続けているような気分になりました。
頭はさらに痺れ、自分の感情もコントロールできなくなります。底なしの悲しみと疲労感がゆっくりと「いら立ち」に変わるのです。殴られた痛みや、行き場のないストレスが原因なのか、途中で何度も強い吐き気が襲ってきます。頭がしびれると自然と涙が溢れ、強烈な胃の痛みと頭痛が止まりません。
「もう、無理だ」
そしてわたしはゆっくりと右のこぶしを振り上げ……たのですが、目の前にはわたしと同じように涙で顔がぐちゃぐちゃになったばーちゃんがいました。その瞬間、「この現状をどう家族に伝えればいいか、というか言葉だけでちゃんと伝えられるの!?」と我に返ったゆずこ。
そして「言葉で伝えられないなら、録音してこの場面をそのまんま“切り取って”しまえ!」と、音声を録音する仕事道具ICレコーダーをとりにいきました。すると一瞬でも現場を離れたことが幸いしたのか、感情も思考も麻痺しまくっていた脳みそに若干の余裕ができたというか、「わたしはなんてことをしようとしていたんだろう」と思えるようになったのです。
「介護虐待は自分とは関係ない」「特殊なケース」という思い込みが崩れ去った瞬間でした。誰もが当事者となる危険性をはらんでいるのです。
一触即発、家族は崩壊寸前! 頑張らずに逃げて、頼って、自分を守って!
精神的にも肉体的にも追い詰められて崩壊寸前のゆずこ。どう対処すべきだったのでしょう。「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ、虐待してしまうプロセスを断ち切る」をモットーに、企業での介護セミナーや個別相談を行っている、NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さんにお話しを聞きました。
「まずゆずこさん、すごく危険な状況でしたね。
多くの場合は、相手も殴りたくて殴っているわけではありません。相手を信頼しているけれど、自分の感情が止められなくて殴ってしまっているので、相手もとてもつらいはず。ただ介護虐待一歩手前という構造を家族だけで変えるのはとても大変です。本来ならば、このような切羽詰まった状況になる前に地域包括支援センターやケアマネジャーさんなど第三者に相談して、支える家族が追い詰められない環境を作ることが大切です。ショートステイなどを利用して、適切な距離やゆとりを作るのもすごく大事です」
確かに、ショートステイやデイサービスなど、ばーちゃんが全力で拒否を続けるたびに、どこかで「(叔母や母を含めて)わたしがなんとかしなきゃいけないのか……」と半ば諦めのような行き場のないストレスがのしかかっていた気がします。
「ケンカではないので、逃げたもん勝ちです。逃げることで相手も傷つけないで済むし、自分のことも守れます。私は過去に『高齢の親に手をあげてしまった』という方のお話も聞いてきましたが、みなさん必ず『親を殴ってしまった』という罪悪感がものすごく増幅していくんです。そしてその罪悪感が自分をさらに追い込んでしまって、余計に苦しくなる。
ゆずこさんも実感されたように、介護虐待はけっして特殊なケースではありません。誰にでも危険性はある。元から仲が悪い家庭や荒れている家庭というわけではなく、むしろ家族の仲がよく、至って「普通のどこにでもあるような家庭」で起きることが多いのです。仲がいいということは、関係が密ということ。すると親も子供に依存しすぎてしまう傾向があったり、仲がいいからこそ子どもも「なんとか自分で(介護を)してあげなきゃ」という思いが強かったりします。
手を上げてしまうほど追い込まれる前に、第三者に相談することを心がけてください」
あのとき、上げた手を振り下ろしていたら、きっとわたしは一生後悔したことでしょう。追い詰められる前に、逃げ方や周りへの頼り方を覚えておく。他力本願上等。この記事が悲しい事故を一つでも減らせるよう、願っています。
- 川内潤(かわうち・じゅん)さん
- NPO法人となりのかいご代表理事。老人ホーム紹介事業、在宅・施設介護職員を経て、「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ、虐待してしまうプロセスを断ち切る」というモットーのもと、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。14年にNPO法人化、代表理事に就任。顧問先企業にて介護セミナー、個別相談を行うほか、介護コラムを執筆するなど幅広く活動。近著に『もし明日、親が倒れても仕事を辞めずにすむ方法』(ポプラ社)がある。働く世代の介護の悩み相談ラジオを配信中。