近所をぐるぐる歩くばーちゃんに「おいなりさん」リクエスト これって介護の裏技?
青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました!
よかれと思ってやっていたことが、徘徊の思わぬ原因となっていた
急に外に出て行ったり、買い物帰りに自宅への道が分からなくなって何時間もさ迷ったり――どうしてそんなことがおきるのでしょう。
出先でなぜそこに自分がいるのか分からなくなり、現状を理解するためにさ迷ってしまう記憶障害。時間や場所、周囲の状況など自分の置かれた状況が根本から分からなくなってしまう見当識障害など、徘徊には様々な理由があります。
ウチのばーちゃんもわたしと同居する前に、「家がどこだか分からない」といって徒歩一時間も離れた町まで歩いて行ってしまい、パトカーで帰ってくるということが2度ありました。
ただ、ばーちゃんを観察していると、ある不思議な一面が見えてきました。それは、わたしや母、叔母が家事をバタバタとやっていると、なぜか決まって「私は誰の世話にもならないよ!」「私たち(じーちゃんと二人)だけでやっていけるんだ!」といつもより頻繫に声をあげたり、かと思ったら急に「家に帰る!」と言い出すということでした。
前回の記事『ご飯盛るばーちゃんを、美味し●ぼ風に褒めちぎる』で、「家事を細分化して、部分的にばーちゃんにやってもらう」作戦を実行していましたが、すべてうまく割り振れていたわけではありません。時間がない時や仕事に追われているときは、どうしても「ばーちゃんは何もしないでいいから!」と言って掃除や料理も自分のペースで終わらせてしまうこともありました……。それは母も叔母も同様で、ばーちゃんはその度に一気に不安な表情になって荒れだすことも。
よかれと思っていても役割を奪ってしまうことの影響
自分の家なのに、「いいから座ってて!」と何もさせてもらえない。確かにわたしもこんな風に言われたら、「自分の家なのになんでよ(怒り)」とイライラしてしまうかもしれません。そして家を飛び出しちゃう。その気持ちも分かります。
ばーちゃんの場合は荒れると怒鳴ったり暴れるということが多かったのですが、役割を奪われると寂しそうに、「私も帰って家のことやらなきゃ」と玄関に向かうことが何度かありました。いつもとは正反対の姿に驚いたのですが、その姿がなんとも悲しそうで切なげで……。
「ここが家だよ?」と言っても聞く耳を持ってもらえない。最初は理由も対処法も分からなかったのですが、ただその表情から何か不安な思いを抱えているということは分かりました。そしてたまたま仕事がひと段落していたので、外に出て行くばーちゃんを止めずに2歩下がってひたすら付いて行ってみたのです。
本人は家に帰ろうとしているのですが、その家を出てきたのでひたすら近所をぐるぐるとさ迷うばかり。そんな散歩を30分くらい続けたころ、思い切って声をかけてみました。
「ねぇ、ばーちゃん。帰ったらいつものおいなりさん作ってよ」
「服がほつれてるんだけど。縫ってほしいんだけど」
これはわたしが子どもの頃に、よくばーちゃんがやってくれていたことです。今はもうおいなりさんも一人では作れないし、針に糸も通せない。でも、わたしはあえて昔と同じように声をかけてみました。
出来ていたことが出来なくなって、本人が“変わってしまう自分”に不安になったり戸惑いを感じているのなら、そばにいるわたしはずっと変わらない接し方をし続ける。もしわたしがばーちゃんだったら、変わっていくことを嘆かれるより、同じ態度で接してくれる方がずっと嬉しいと思ったのです。もちろん当事者でない以上、何が正解なのか、本当はどんな感情が渦巻いているのかは分かりません。でも、想像することでわたしなりに向き合ってきました。
「ここは他人の家」と勘違いしてしまう理由とは?
そもそもばーちゃんはなぜ、役割を奪われた途端に「ここは自分の家だ!」とやたら強く主張したり、「家に帰ります」と不安定になるのでしょうか。 東北福祉大学福祉心理学科の教授で日本認知症ケア学会の理事、そして『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新書)の著者である加藤伸司先生にお話を聞きました。
「徘徊にはさまざまな原因があると考えられますが、ゆずこさんが考えているように、相手に何もさせないことや役割を奪ってしまうのも理由の一つになると思います。それは疎外感だったり、肩身が狭い思い、または『ここには私の居場所はない』と感じてしまうことで、自分にとって昔は居心地が良かった場所=(イコール)『本当の家に帰ろう』と繋がってしまう方もいるのです。実際、自宅でご飯を作らせてもらえない、掃除もやらせてもらえないから、『家にご飯を作りに帰ります』と外に出てしまう方もいます。その方にとっては、家のことをやらなくていいと言われると『ここは他人の家なんだわ!』という思考回路になるのかも知れません。
記憶がどんどん欠落していく当事者には、基本的に『自分は何も役に立てない』『みんなに邪魔者だと思われているんじゃないか』という思いがあるので、役割を奪ってしまうのは逆効果でもあるんです。頼られる、役に立てるのはやっぱり誰でも嬉しいですよね。当事者が本当に居心地がいいと思える場所にいて安心感を得られていれば、徘徊自体が少なくなったり無くなったりすることもあるのです」
すべてをばーちゃんのペースに合せるのは難しいですが、「自分がされたらどう思うか」と当事者になりきることで分かることもある。うまくバランスを探しつつ、いろいろな視点をもって勉強したいと思います。
- 加藤伸司先生
- 東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科教授。認知症介護研究・研修仙台センターセンター長。日本認知症ケア学会副理事長。近著に『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新社)、『認知症の人を知る―認知症の人はなにを思い、どのような行動を取るのか』(ワールドプランニング)など