大泣きして「あたしが嫌い!?」ばーちゃんの返事は…これって介護の裏技?
青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました!
「なんで私にばっかりきつくあたるの……?」
前回、ばーちゃんはたまに遊びにくる孫の言うことなら素直に聞いちゃう、という話をしました。でも、一緒に住んでいて一番身近なわたしになぜあたりがキツイのでしょうか。
朝起きて顔をあわせた途端、「出て行ってくれ」「ゆずこなんかいらない」がご挨拶。
毎日のように部屋の荷物を捨てられたり、親戚中にわたしの悪口を言いふらされたりもしました。
でも一見は嫌がらせのように見える行動でも一つひとつに理由があって、こちらが視点や発想の転換さえできれば、壮大なツンデレだと思えないこともない。ばーちゃんの行動や言動すべてを笑いに変えて面白がってしまうのは正直厳しいところもありますが、それでも自分なりに踏ん張ってきたつもりでいました。
その踏ん張りが、プツンと切れてしまった出来事があります。
ばーちゃんが暴言や物を投げつけてくることは時々あったのですが、その日はなぜかいつにも増して荒れていました。
3メートルも離れていないところから手当り次第、投げつけられる花びんやガラスの重い灰皿、リモコンや生ゴミ。いつもなら亀田興毅さんのピンポン玉ディフェンス特訓(超高速で飛んでくるピンポン玉を瞬時に避けまくる)並の反射神経で、ほぼノーダメ―ジで避けられるのですが、このときはタイミングがずれてリモコンが顎に、目覚まし時計が額にヒットしました。
そしてその瞬間、自分の中で張りつめていた何かがプツンと音を立てて切れてしまったような気がします。
「私は一番近くで自分なりにこれだけやっているのに、なんで?」
「なんで私にだけつらくあたるの?」
お腹の底から、心の奥深くから、今まで必死にためて、ためて、ためてきた言葉が、口から溢れ出ました。
そして涙が溢れ、ばーちゃんの手を強く握っていました。
大泣きして、大泣きして、感情が口からこぼれ落ちた日
言葉で相手を追い詰めちゃだめだ。感情的になってまくしたてるのもいけない。そこでわたしはずっとばーちゃんの手をとって、ただひたすら瞳の奥を見て、「ばーちゃんはわたしのことが嫌いなの?」とだけ語りかけました。認知症で自分の感情が分かんなくなっちゃても、私との昔の思い出にフタがされていても、瞳の奥にかすかにばーちゃんの本音が見えるような気がしたからです。
そして次第に落ち着きを取り戻したばーちゃんは、私のように目から大粒の涙をこぼしながら呟くように言いました。
「……嫌いになるわけないだろう。私は、私のことが分からないんだ」「分からなくなっちゃったんだよ」
その言葉の端々から、優しかったばーちゃんの姿がかすかに見えたような。
二人して廊下で抱き合い、手を取りながらオイオイと大泣き。泣いて、泣きすぎてなんだか笑えてきて。二人で笑って、また泣いて。ちょっと異様な光景だったかもしれません。
一番身近な人に厳しく当たってしまうのは、認知症の症状の一つだった?
この、「なんで一番身近なわたしに厳しくあたるの?」というゆずこの不満。
認知症の人と家族の会の全国本部の副代表理事であり、『認知症の9大法則 50症状と対応策』(法研)の著者、川崎幸クリニックの院長・杉山孝博医師はこう分析します。
「つらかったですね。認知症の人は、身近で世話をしてくれる介護者にひどい症状を示し、時々会う人にはしっかりとした言動をするという『症状の出現強度に関する法則』というものがあります。これは家族だけでなく、身近な存在になったヘルパーさんや施設のスタッフに対しても同様です。なぜこうした、いじわるともとれてしまう行動をするのか。これは私の解釈ですが、母親を絶対的に信頼している幼児が母にだけワガママを言ったり、駄々をこねて甘えるのと一緒かも知れません。介護してくれる人をもっとも頼りにしているからこそ、症状が強く出てしまう。反対に、気を許せない人や慣れない人に対しては、気を張って頑張りすぎてしまう、と。私たちもそうですよね」
先生に言われてハッとしました。強すぎる当たりをすべて笑顔でかわせなくても、その根本的な理由がひとつ分かったことでほんのちょっと心が軽くなった気がします。色々考えるところはありますが、なんだ、やっぱり壮大なツンデレじゃないか。
可愛いやつめ。
- 杉山孝博先生
- 川崎幸クリニック院長。認知症の人と家族の会の全国本部の副代表理事であり、神奈川県支部の代表を務める。著書に『認知症の9大法則 50症状と対応策』(法研)、その他多数。