20代から母を介護するゆかさんが仲間と始めた、ちょっと変わった飲み会
取材/朝日新聞編集委員 清川卓史
認知症の人も、そうでない人も、飲み仲間として語り合える。そんな飲み会が「誰でも居酒屋」だ。東京・池袋周辺で月1回。会費は3千円、お酒は2~3杯まで。小ぶりの飲食店を貸し切りで、という日が多い。いろんな人が顔をだして、結構繁盛している。今回も、20代から母を介護してきたゆかさんの話。
母のせいで、なんて思わない
誰でも居酒屋の「店長」ゆかさんが、20代前半でレビー小体型認知症の母(67)の在宅介護を始めて、もう10年以上の月日が流れた。要介護5、意思疎通は難しくなってきた。
ゆかさんはいま、子どもの料理教室で教えたり、アウトドア料理のレシピをウェブサイトで紹介したり、主に料理関係の仕事をしている。
そのきっかけは、母の介護だった。
50代で認知症になった母は、初期のころ、洗濯物を手に玄関から一人で外に出ていってしまったり、どろぼうが家に入ってきたという妄想から近所で大きな声をだしてしまったりした。警察を呼ばれてしまったこともあった。
当時の母はまだ体力もあり、常に見守りが必要な状態だった。しかし、その頃はまだ若年認知症を受け入れてくれる介護事業所は少なく、いくつものデイサービス事業所に利用を断られた。
父は仕事で責任ある立場にあり、年若い妹や弟はその頃、まだ母の認知症を受け入れることができずに苦しんでいた。見守りを担えるのは、ゆかさんしかいなかった。
ゆかさんは、フリーランスで映像や写真関連の仕事をしながら、訪問介護の仕事もしていた。
まず訪問介護の仕事を減らした。写真関連の仕事の打ち合わせに、母を一緒に連れていったこともあった。だが間もなく、それも限界を迎えた。
人に迷惑をかけず、母をそばで見守りながらできる仕事はないか―。考えた末にたどり着いたのが、飲食店だった。実家のすぐそばに、小さな郷土料理のお店を開いた。
「お店だったら、母を一緒に連れてきて、見守りながら仕事ができると思ったんです」
その後、母の症状は少しずつ進み、トイレや入浴の介助が必要になった。その影響もあって、ゆかさんはその後、店をたたんだ。
もし介護がなかったら、ゆかさんの20代はまったく違う光景になっていたのだろう。
けれど、ゆかさんは私にきっぱりこう言った。
「母のせいで、こんな人生になっちゃったなんて、思わない」
認知症の親と一緒に働ける場を
もともと「誰でも居酒屋」が誕生したきっかけは、ゆかさんと、幹事役の保健師・水野隆史さんが偶然知り合い、「(若年認知症の人たちが)みんなで楽しくお酒を飲める場をつくろう」と意気投合したことだった。
誰でも居酒屋は「飲み会」だけれど、若年認知症の人やゆかさんが厨房に入り、料理を提供することが多い。
その原点にあるのは、ゆかさんが胸に抱く思いだ。
「認知症の人がお料理をだして働ける場所を、認知症の親を連れて子どもが働けるような場所をつくりたかったんです」