もめない介護

義父母そろって認知症。「同居しないの?」と他人は言うが もめない介護5

コスガ聡一 撮影

義両親がふたりそろってアルツハイマー型認知症とわかってからしばらくの間、「一緒に暮らさなくていいの?」「いずれ引き取るの?」と、よく聞かれました。

義父と義母は夫婦ふたり暮らし。認知症だと診断が下ってからも、訪問介護や訪問看護、デイケア(通所型介護サービス)など介護保険で利用できるサービス、宅配弁当などの介護保険サービスを組み合わせ、これまで通り、子どもたちとは同居せず、義両親だけで暮らしていました。

そんな風に話すと、面白いことに女性は「それがいいわね」「大変だけどがんばって」と肯定的な反応がほとんどでしたが、男性からは「本当に大丈夫?」と心配されることが少なからずありました。さすがに、「引き取らないなんて冷たい」とまで言う人はいませんでしたが、「うちの親がもし認知症になったら、俺だったら絶対に引き取る」と力説されたことも。

たしかに、認知症だとわかってすぐのころは家族も不安でいっぱいです。これまでとは違う親の姿を見るたびに心配になるし、介護保険を利用するための手続きにも追われます。いっそのこと、同居まではいかなくても、近くに引っ越したほうがいいのだろうか……と悩んだ時期もありました。

ほんの少しのサポートで十分な場合も

ただ、我が家の場合は夫が「本当に親の近くに住みたいの? そうなら止めないけど、義務感ならやめたほうがいいんじゃない」と、しれっと言い出すタイプだったので、話はそこで終了。アンタの親の話じゃないか、アホか!! と当時はずいぶん腹を立てましたが、実はこれが結果オーライだったのです。

介護サービスを利用し始めると、これまでわからなかった親の暮らしぶりが見えてきます。そして、少しずつ「手助けが必要なこと」「いまのところは手助けがいらなそうなこと」も整理されていきました。認知症になったからといって、すべてがわからなくなるわけではありません。必要なことに絞って、ほんの少しサポートするだけで、比較的これまでに近い生活スタイルを維持できると知りました。

また、離れて暮らしていることには、移動は少々面倒ではあるものの、気持ちを切り替えやすくなる利点もありました。たとえば、義母になにか言われてイラッとしたとしても、離れてしまえば、少し気がラクになる。物理的な距離があるおかげで冷静になれたり、気を取り直せたりしたような気もします。

「よかれと思って」の同居の果てに

そんなある日、義両親と一緒にもの忘れ外来に行ったときのことです。待合室で、義母と同じ年齢ぐらいの女性とたまたま隣に居合わせ、おしゃべりをする機会がありました。その女性は長崎生まれの長崎育ち。結婚してからもずっと長崎で暮らしていましたが、夫が亡くなり、「ひとりにするのは不安だから同居しよう」と息子に説得され、渋々ながら上京したそうです。

長崎での思い出話をしているときは、楽しそうでしたが、東京の話になると一転して表情が暗くなります。

上京してから2年近く経つけれど、まったくなじめない。地元には友達がたくさんいたけど、こちらではひとりもいない。息子夫婦からはデイサービスに行くよう言われるけど、そんな気になれない。長崎と東京では魚の種類も違うし、味つけの好みも合わない。でも、同居しようと言ってもらえるだけありがたいと思わなくてはいけない……。

決して、一方的にわがままを言っているわけではなく、普段はいろいろ飲み込んでもいるのだろうなと感じました。ただ、ふとした瞬間にこぼれた母親の愚痴を耳にする息子夫婦としては、たまらんだろうな……とも。

もちろん、年老いた親を呼び寄せたり、あるいは自分が向こうに家に引っ越したりすることで、新たな生活を築いてうまくいくパターンもあると思います。ただ、「よかれと思って」の結果、親も子どもも「こんなはずではなかったのに……」となってしまうこともある。その可能性は頭の片隅におきながら、慎重に判断する必要がありそうです。

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