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「認知症は、神様の親切」3万人が涙した映画監督の言葉の真意は?

ぼけますから、よろしくお願いします。上映会_1

全国の映画館で笑いと涙の渦を巻き起こしているドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の上映会を、東京・築地の朝日新聞東京本社で開催しました。「なかまぁる」と、第二の人生を有意義に過ごすための情報やイベントを提供する「Reライフプロジェクト」の共催で、抽選で選ばれた約100人が参加しました。なかまぁるでは、信友直子監督をお招きしたトークイベント(聞き手/なかまぁる編集長・冨岡史穂)の様子をご報告します。

カメラを通して見る両親は微笑ましい

冨岡 私も一人っ子です。就職以来、親と離れて暮らしています。映画を見ながら自分の家族をイメージしました。この会場にもそういう方がいると思います。映画ヒットの背景には、認知症だけでなく、親が老いていくことや、自分が人生の終盤に向かっていくことなどを、自分や家族に重ねて見ている方が多いからだと思います。信友さんは、両親にカメラを向けたことによる発見ってありましたか。

信友 カメラを持っていたことで楽になりました。母と娘の視点だけで対峙していると、母に「どうしよう」「これからどうなるのだろう」と言われると、私も一緒に嘆き悲しんでしまいます。カメラを持っていることで、ちょっと引いて見ることができ、深呼吸を1回できます。チャップリンの言葉にあるのですが、人生は、あんまり寄りで見ると悲劇だけどちょっと引いて見ると喜劇だ、と。その言葉は、我が家でもはまりました。カメラを通じて見た、ちょっとぼけたおばあちゃんと耳の遠いおじいちゃんのやりとりを見ていると、ほほ笑ましかったり、笑えるところがあったりします。

90代にして、父が私のヒーローに

冨岡 お父様への見方は変わりましたか。

信友 私の中で、それまでの父はあまり存在感がありませんでした。私と母はすごく仲がよかったので、2人でキャーキャー騒ぐ姿を、寡黙な父が、会話に入りたいけど入れずに新聞を読んでいる、という家族でした。母が認知症になって、私は父と話すようになりました。

話してみると、案外いい男だなと感じました。女房がピンチになるとここまで助ける男なのか、ということに気付いて、90代にして私のヒーローになりました。母も当たりくじを引いたとわかりました。

ぼけますから、よろしくお願いします。上映会_2

認知症が、「専業主婦の鑑」の母を解放した

冨岡 お母様について、新たに気づいたことはありましたか。

信友 母は認知症になるまでは、専業主婦の鑑のような存在でした。非の打ちどころのない母でした。その分、自分の欲望を抑えてきたのだと思います。認知症になって、ちょっと解放されたというか、箍(たが)が外れたというか、ものすごく父に甘えるようになりました。本当は甘えたかったけど、それを理性で抑えていたと思います。私がいても、目に入らないぐらいに「お父さん、お父さん」と言っています。父もまんざらでもないみたいです。90代でもラブラブなので、私は「2人で勝手にしいてれば」と、やきもちを焼く気分になるほどです。

生を全うする姿を見せる

冨岡 カメラを回すことによって、親としてだけでなく、「人生の先輩」として、ご両親を見つめることにもなったそうですね。

信友 父も母も年を取っているから、すごく生活のペースが遅いです。ものすごく一生懸命生きているのが印象的でした。父は98歳なので、生きているだけで大変だと思います。それでも毎日やらなければいけないこと、たとえば、朝起きて布団を上げるとか、ごはんを食べるとか、そういう生活を丁寧に生きているということをすごく考えていると思います。

ある人生の先輩から、「介護は、親が命がけでする最後の子育てだ」と聞いたことがあります。人間は誰しも老いていきますし、亡くなっていきます。老醜をさらすという言葉がありますが、認知症になったり、腰が曲がったりして老いさらばえていくこと、それを全部私に見せてくれて、生を全うすることはこういうことだと、身をもって教えてくれていると思います。私はそれをありのままにお見せすることで、皆さんとシェアできればいいなと思っています。

母の「迷惑かけるね」に揺れたカメラ

冨岡 映画では、お母様が認知症になった自分について「どうしたんだろうね」と言った後、娘の直子さんに「迷惑かけるね」と謝っています。監督はカメラを止めないものの、涙声で「何でもしてあげる」と言葉を返す。どういう思いで撮影していたのでしょうか。

信友 あの時、初めて母の思いを聞いた感じがしました。娘としては、すごく心をかき乱されて、あの日は一番泣いたと思います。一方で、認知症の人の思いというのを、こんなに身近にいる立場で撮れるのだから、これを多くの人に伝えないといけないという気持ちも強かったです。

ぼけますから、よろしくお願いします。上映会_3

映像公開への葛藤は今も

冨岡 認知症の家族を介護する人は全国にいますが、カメラを回し、それが映画になることは、ごくまれです。撮影する前に、ご両親に「撮っていい?」と了解を得たと聞いていますが、葛藤はありませんでしたか。

信友 私はドキュメンタリーのディレクターなので、父と母が大げんかをすると絶対撮ってしまいます。こんなシーンはめったに撮れないと思って。しかし、これを公開していいのだろうか、と最後まで悩みました。それは娘としての立場で。母はパジャマ姿ですし、両親の姿をここまで出していいのかな、と思い悩みました。今もその気持ちは消えません。

しかし、映画を見終わったお客様から、「ありのままを出してくれてありがとう」「うちもこうだったので励まされました」という言葉を聞くと、やっぱり全部出してよかったと思います。

必要なシーンが取れた後は、手伝う

冨岡 腰の曲がったお父さまが、両手に買い物袋を持って歩くシーンもありました。

信友 誰が見ても、「娘は撮ってないで、手伝え」と思うでしょう。あれはうちの近所で、父にも「今日は撮るからね」と伝えました。「でも次からは、私がいる時は私が買い物に行くからね」と。洗濯機の前で、母が洗濯物の上に寝転んでしまうシーンも、あのシーンが撮れたから、それ以降は私が洗濯をするというように決めていました。

不穏を起こさないように、どう気をつける?

参加者から多くの質問が寄せられました。時間の都合ですべてにはお答えできませんでしたが、涙ながらに自分の思いを吐露する人も。最後には、信友監督からのメッセージもいただきました。

質問 (不穏状態などを避けるために)お母さんに接するときに気をつけていることを教えてください。

信友 なぜ、不穏を起こしてしまうのか、医師に尋ねたり、本を読んだりして、周囲の人たちが想像力を働かせることが重要だと思います。ディレクターという私の仕事と共通している部分もあります。取材相手がどう思っているかを先回りして質問していくためです。それと一緒で、母がどう思っているかを先回りして読んで、怒らせないようにしていました。

どうして一緒に暮らさないの?

質問 私の母は脳梗塞で倒れ、治療やリハビリをして自宅に戻った後に転倒し、大腿骨骨折に。宅配給食の業者さんに見つけてもらいました。こういうことがいつ起きるか分かりません。火事や地震もあります。信友さんは、どうしてご両親と一緒に暮らさないのですか。

ぼけますから、よろしくお願いします。上映会_4

信友 私の仕事は、ドキュメンタリー・ディレクターです。今まで培ってきた人間関係の中で仕事をしています。この年齢で広島に帰って仕事が見つかるのかというと難しいと思います。私も生活していかなければなりません。

我が家の場合、父が自分のできなかったことを娘に託している部分がすごくあります。父の気持ちとして、自分たちのために娘が仕事を辞めて帰ってくることが許せないということがあると思います。私が呉に帰ってきて楽だということより、父が感じる挫折感の方が大きいと思います。もちろん、私の甘えもあるのでしょう。ただ、その後、母が脳梗塞になってしまいました。新たな状況なので、私もそろそろ呉に帰ろうかなと思っていることは事実です。

質問 ご両親に東京へ来てもらうのはどうですか?

信友 全く考えていません。呉で90年生きてきた人が、東京で暮らすのは難しいと思います。私が帰るしかないと思います。

両親を残して東京に戻るときの気持ちは?

質問 呉の実家から東京に戻られる時に去来する気持ちを教えてください。

信友 映画にあるように、母が東京に帰る私をバス停まで見送りに来ることができた頃がありました。そのシーンをよく見てもらうとわかるのですが、バスが動き出して別れた後に私が持つカメラの絵(映像)がすごく揺れています。自分の心が揺れていると思いました。

若い頃は、実家へ帰るのがすごく楽しみでした。しかし、母が認知症になってからは、どこまで病気が進んでいるのか、私のことをわかってもらえるかといったことを考えてしまいます。広島空港から呉に向かうバスの中が一番つらいです。元気だった頃の母の記憶が鮮明にあるので、あの母ではないと自分に言い聞かせながら帰っています。

どこまで手伝っていいものか?

質問 周囲が認知症の家族を手伝うことで、生活はスムーズになります。しかし、手伝いすぎて、認知症が進んでしまうのではないかと悩みます。どこまで介護する側の意見を通していいのか、関わっていいのか、葛藤があります。

信友 私は手伝わないようにして、できることはやってもらうようにしています。そうでないと、やれなくなってしまうからです。私も人目が気になるので、親戚がいる場だと手伝うことはあります。また、私が帰った時は、洗濯や買い物をしています。ただ、たとえば自分の布団の上げ下ろしは自分でやるというような、我が家の習わしのようなものについては、身に染みついたことでもありますので、やってもらうようにしています。

ちょっとずつお別れをしている

冨岡 今日の信友さんのお話を聞いて、今後、親と接する時は、心の中でカメラをかまえている気持ちになろうと思いました。電話でも、直接でも、どうしても言い方がきつくなってしまうことがあります。今、カメラが回っているぞと心の中で思うようにすれば、親の言葉の受け止め方や接し方を変えられるんじゃないかなと、らヒントをいただきました。

信友 認知症は怖い病気と思われがちで、『認知症になったら終わり』と思っている人が多いと思います。大変なことはありますが、母が認知症になったからこそ気づけたこともあります。父がスーパーマンだと気づくこともできました

もし母が突然亡くなっていたら、私は喪失感で立ち直れなかったと思います。認知症でちょっとずつ変わっていくことで、ちょっとずつお別れをしているのかなという気持ちがあります。

認知症は、神様の親切なのではないかと思っています。こう考えると、母には悪いですが、私の気持ちは落ち着きます。考え方一つだと思います。認知症になっても生活は続きますし、おいしいものを食べて笑えるような楽しいこともあります。そういうことを詰め込んだこの映画を見ることで、私が4年間かけて体験してきたことを、追体験してもらえればうれしいです。

朝日新聞Reライフプロジェクトはこちら

■「ぼけますから、よろしくお願いします。」公式サイト

ぼけますから、よろしくお願いします。上映会_5

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