パン屋巡りや特等席で見たモナリザ、そして病院 母との思い出パリ旅行
タレント、アナウンサーとして活躍する“コマタエ”こと駒村多恵さんが、要介護5の実母との2人暮らしをつづります。ポジティブで明るいその考え方が、本人は無意識であるところに暮らしのヒントがあるようです。今回は、介護が必要と診断された頃の母親と、パリ旅行をした時のお話です。
パリ
パリオリンピック・パラリンピック2024が盛り上がりを見せています。開催地が決定してから開催まで何年も先のこと。この大会を母と観戦できるのだろうか、観戦できるといいなという思いで決定のニュースを見ていたので、実際に熱戦を二人で見られるということは、決定から7年、母が元気で生きられたと実感する瞬間でもあります。
母に介護が必要と診断を受け、一通りの悲しみに暮れたあと、やろうと決めたことのひとつが旅行でした。徐々に悪くなることを想定して長距離からと考え、まずはヨーロッパ、母が行ってみたい場所のひとつ、パリに行こうと思いました。当時の母はクイニーアマンにはまっていて、本場でクイニーアマンを食べようと盛り上がったのです。正直、実際に食べてみると、日本のもので十分美味しいと感じたのですが、早朝に散歩がてら買いに行った焼き立てパンがものすごくおいしくて、それから帰国まで毎朝買いに行くほどはまりました。
私は私で行きたい場所がありました。当時環境カウンセラーの活動をしていた私は、パリでエシカルファッションショーが開催されると知り、その期間に合わせて旅行の予定を組んでいたのです。まだエシカルという概念が目新しい頃でした。母のお下がりを好んで着ていたこともあり、是非取材したいと思いました。その最中、母が突然座り込んでしまったのです。
実は、前日街歩きをしている時、石畳の小さな段差に躓いて、派手に転んでいました。思えばすでに母は自分で思っているよりも足が上がらなくなっていたのでしょう。大したことはないとそのままにしていたのですが、膝が痛む様子。取材は途中で切り上げました。
ガイドブックによると、日本人の医師が在籍している病院があるとのことで、早速受診。念のためのレントゲンで骨折していないことを確認し、化膿止め、痛み止めの処方箋をもらって戻りました。先生からは「フランスの薬局は処方間違いが多いんです。ジェネリックだから薬名は違うけど、ミリ数は同じはずなので、数字を確認してください」との助言も。細かな情報まで日本語で教えてもらえて心強かったです。
足は包帯でぐるぐる巻き。当初の予定のように歩き回ることはできないけれど、せっかくのパリを出来る範囲で楽しめないものか。
ルーブル美術館を調べると、車椅子のレンタルサービスがあるとのこと。これを利用することにしました。ガラスのピラミッドの下の総合案内所で申し込むとパスポートと引き換えに無料で貸し出してくれます。音声ガイドを借りていざ出発。効率よく有名な作品をめぐる時短コースを選択し、ガイドに従って歩き始めました。しかし、歩き始めてすぐ、目の前に階段が。どうやら車椅子には対応していない模様。音声ガイドのルートは早々に断念し、館内地図を頼りに自力で巡る方針に変更しました。
これが想像を絶する大変さ。まず、あまりに広すぎて自分がどこにいるのか把握するまでに手間取り、エレベータを探すのに四苦八苦。階段を上ればすぐそこの距離も、簡易リフトが付いているところもあれば、構造上ぐるっとまわって別の棟まで行かないとエレベータがない場合も。ただ、車いすで来館されている方も多く、エレベータの乗り降りの際はお互い「開く」のボタンを長押しして声を掛け合います。また、モナリザの前は幾重にも人垣ができていてなかなか前に進めず埋もれていたのですが、係員の人が私たちを見つけて、モナリザ前に張られているロープの前に誘導してくれて、思いがけない特等席に目を白黒させながら鑑賞しました。
ハンディキャップのある人に配慮することが当たり前の環境であることに感動した思い出を語りながら、パリでの写真を振り返り、観戦できる今の有難みを噛みしめています。