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幸せケアプラン

“個別ケア“の時代 一方的で退屈なケアには、しっかりNOと意思表示

「わー、ピンクがお似合いですね。素敵です!」「今日は紫色の服を着たかったのに」

公的な介護サービスを利用する際に欠かせない「ケアプラン」。けれど、どのようなことが記されているのか、どんな目的があるのか、案外、知られていないのではないでしょうか。ケアタウン総合研究所代表で、ケアプラン評論家の高室成幸(しげゆき)さんが、「幸せケアプラン」づくりを指南します。今回は「要介護ライフの3つの苦痛」について考えてみます。

要介護ライフの3つの苦痛とは、「迷惑、一方的、退屈」です。
私がたくさんの方のケアプランを見てきたところによると、「本人の生活への意向」欄に多く書かれるのは「迷惑」という文字です。

「迷惑をかけて申し訳ない」という文面。いわばお詫(わ)びの言葉であり、「生活の意向」とは全くちがいます。ところが、実に目にすることが多い。たしかにご本人がそうおっしゃることはあるでしょう。しかし迷惑をかけてすまないと詫びなければ介護をしてもらえない家族関係だとするなら、それを踏まえて、より良いケアを実施していくための方策を考えるのがケアプランだと、私は考えます。公的介護保険制度は、それができる前までは主に家庭内や家族が担ってきた介護を、介護保険サービスを使いながら社会全体で支えることを目指すものだからです。 

そこで「迷惑」について考えてみました。
かくいう私も親から「人に迷惑をかけてはあかんからな」と幾度も言われながら育ったものです。子ども心に「メイワクってなんやろう?」と意味がわからず、せいぜい「危害・ケガさせる、借金の踏み倒しはしてはいけない」程度にしか考えていませんでした。
意味を調べると「相手にとって不利益なこと、不快なこと、面倒なこと、いら立つこと」などとありました。そこで、です。たしかに介護が必要になると、食事ひとつ、排泄(はいせつ)ひとつ、入浴ひとつ、すべてに「手間が必要」となります。小学生にでもなれば、ほぼ自立してできるようになっているようなことです。こうしたことを「自分でうまくできなくなる」ことで、要介護になった方は「情けない気分」になって肯定感はダダ下がりになってしまっているはずです。それを身内、それも子どもや孫、嫁・婿どのに頼むのは親としてはばかられることでしょう。相手が仕事や学校で忙しそうならば余計にそうでしょう。
さらに、家族に限らず、ケアマネさんら介護職員に対しても、何かしら「迷惑をかけている」と感じてしまう人は少なくないようです。「迷惑をかけている」と思っているから、「これからどうしたいですか?」とたずねられても、「ちょっとした要望やお願い」を言うことさえためらってしまうのでしょう。

ある80代の女性は、ヘルパーさんに着替えをしてもらう際に、「お似合いですよぉ」と言われながら、嫌いなピンク色のカーディガンを着せられてしまったと話してくれました。本当は紫系のシックな色のカーディガンが好きなのに、そういうことを言うと「贅沢(ぜいたく)」と思われないか、「わがまま」と思われないかと躊躇(ちゅうちょ)してしまったとのことです。
介護職員が、ご本人に選択権を与えるように「どれが良いですか?」「どちらが良いですか?」という風に質問せず、「これで大丈夫ですか?」と、あいまいな尋ね方をすると、介護を受ける人はつい「大丈夫ですよ」と回答しがちです。拒否することも面倒になり、結局、ケアが「一方的」になるのです。それって、介護を受ける人にとっては「ガマン」をするということなんです。要介護となったカラダの不自由さをガマンしているのに、さらに「好きと嫌い」までないがしろにされてしまうことになるのです。

一方で、ケアプランの「本人の生活への意向」欄で、まず見ることがないのが「退屈」という文字です。けれど、実際には「退屈を持て余して苦痛だ」という人はいます。
「なにがつらいってヒマでヒマで、本当に仕方なかったんだよ」と話してくれたのは60代の男性です。約20年前、早朝の海釣りで脳幹出血で救急搬送され3カ月入院。以来、要介護5のカラダになった男性の日々の悩みは「時間を持て余している」ことだったと言います。何もできない、何もすることがないと一日が三食と尿と便の排泄だけになってしまう。延々とどこまでも続く無為にも感じてしまう時間をどう過ごすか。
では、多くのケアマネさんたちは、そのことをどう捉えているのか?
残念ながら、そこに気がつく人は少ない。なぜか?
ケアプランをつくる際にアセスメントする内容が心身の「機能」ばかりで「感情、気持ち」の項目がわずかしかないこと。それと、それは「心の持ちよう。自分でなんとかしてほしい。介護保険ではそこまでは面倒はみられない」というのが本心かもしれません。

「あの映画のラストいいよね〜」「そーそー」「号泣だったよ」『後で今日のことをSNSに投稿しよう』

実際、先ほどの男性は、自力で解決策を見つけ出しました。10年前からSNSを始め、今では、オンライン会議システムで勉強会をしたり、SNSに人生訓を投稿したりとなかなかに忙しい日々を送っています。

「本人の生活への意向」となると、やたら歩行や排泄といった身体機能の改善や、買い物や掃除、洗濯などの生活機能の改善が書かれがちです。それも大事ですが「居室から外に出られない膨大な時間をどう過ごすか」は大きなテーマになるはずです。
とくに要介護度が高くなるにつれて、早々に身体機能の改善が見込めるわけではなく、生活機能の改善に向けてできることは限られます。それでも、膨大に生まれる「ジブン時間」をどう自分なりに過ごすか。なにかを「楽しむ」だけでも、ジブン時間を充実させることができるものです。「退屈」から脱することは、生きていく上で人生に彩りを与える重要なことなのです。

これからは“個別ケア”の時代です。自分にとっての好きなコトと嫌なコト。心地いいコトと不快なコトを伝えないと、介護側の「一方的」で「退屈」なケアを受けることになりかねません。
そうならないためにも、介護を受ける方、その方が意思表示が難しい場合には家族の方は、「迷惑かな?」と思うことでもケアマネに希望を伝えて欲しいと思います。ケアが「一方的だな」と感じたら「こちらの方が良い・好きです」と声に出してみる。そして「退屈だ」と思ったら、正直にそのことを訴える。
近年は、ケアマネの責務として、公的介護保険のサービスだけでなく、民間企業による保険外サービスや、地域で行われている様々な取り組みなども活用して、ケアプランづくりをすることが求められています。介護を受ける人自身または家族が声をあげることで、「幸せケアプラン」に一歩、近づくはずです。

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