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医師が認知症に 本人は無自覚…仕事は?家族の対応 認知症と生きるには54

「田中さんお久しぶり」「山田です。昨日も来ました」いつか大変なことに・・・? 患者の取り違え、診断ミス、投薬ミス もやもや

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。今回は、社会的に大きな責任のある人が認知症になった場合に、続けることが困難な仕事からいかに撤退してもらうかについて、紹介します。(前回はこちら

本人のことを「認知症かもしれない」と思っている家族が、本人の仕事のことについて、どう考えて支えるべきかは難しい課題です。認知症の人が「人生をどう生きるか」という重い問題にもつながります。認知症の就労支援についての理解や支援は少しずつ進みつつありますが、一方で、飛行機のパイロットや裁判官など、その人が社会的な責任を担う仕事に就いていたなら…。

本人を支える就労支援

まず押さえておくべきことは、認知症になった本人が、病気と向き合うだけでなく、「病気にはなったけれど、人生をしっかりと生きていく」と自負心を持って生活できるように家族が考えることです。

私も2008年から「認知症本人ネットワーク支援委員会」というところで、認知症になったからといって社会から身を引くよりも、むしろ「認知症になっても積極的に社会参加ができること」を目指した支援を続けてきました。

いわゆる「就労支援」です。その人の能力に合わせて、できなくなったことばかりを嘆くのではなく、まだできることに焦点を合わせて少しでも長く社会とつながってもらいたいという願いがありました。まだ十分ではありませんが、この病気に対する社会の理解も広がり始めています。

就労継続、難しいことも

そして、次に考えるべき問題が、今回のメインテーマです。

それは、社会的に大きな責任があるため、その人が認知症になった場合、続けることに困難さが伴う仕事から、いかに撤退してもらうかということです。

想像に難くないと思いますが、飛行機のパイロットや裁判官などは言うに及ばず、常に社会的な責任ある重い決定を求められる職種があります。しかも、その人の検討能力が保たれなくなると仕事を辞さなければならなくなります。

もし、その当事者に自らが認知症であり、決定能力が低下している自覚が無いとすると、しかもそのことに家族が気づいている場合、どのようにして本人に離職を進めることができるでしょうか。私が日々の臨床で最も悩んでいることのひとつです。

手術で縫合不足

ある事例を紹介します。

医学部を卒業してから故郷の東北地方戻り、そこで病院勤務の後に外科を開業した友人の山田太郎氏(仮名、51歳)から25年ぶりに電話をもらいました。今から数年前のことです。

私は医学部を卒業する前に歯科医師になったため、医学部での友人は年下になります。外科医として51歳の彼は地元で評判の腹部外科病院を経営しながら、自らも執刀するような「現役バリバリ」の医師でした。

それゆえ彼からの電話と聞いた私は「同窓会のことかな」と思って電話に出たところ、思いもかけない内容を彼は話しはじめました。

要約すると彼が絶対的に自信を持って手術した患者さんの出血が止まらず、家族から責められ、大学病院で自分が初期認知症だと診断されたため、セカンドオピニオン(別の医師の診たて)を求めるという内容でした。

私の診断も同様でした。山田さんは初期の認知症になっていて、おそらく縫合不足に気づかなかったのではないかという結論に達しました。そこで同じ病院の副院長である義理の息子さん(山田さんの女婿)に来院してもらいました。

言い出せなかった家族

女婿は山田さんが東北に戻って研鑽(けんさん)を積んだ病院に所属し、今では山田さんの病院の後継者です。山田さんの妻は若くして亡くなっていて、院長である山田さんに進言できるのは娘と女婿だけでした。そんな女婿からの言葉です。

「義父の判断力が鈍っていることに気づいてから2年ほど経過しています。外科医という責任の大きさを考えると、はっきり告げて経営者に専念してもらうことを進めるべきであるのはわかっていました。しかし義父はどうしても『自分はまだできる』と主張して譲らず、結果的に医療訴訟に近い形でことが表面化して初めて、こうして先生の診断を求められるようになりました」と、涙ながらに女婿は話しました。

勇気ある撤退

その後、友人の私の勧めもあって山田さんは病院の理事にのみとどまり、第一線から身を引くことになりました。勇気ある撤退をしたことに私は安心して胸をなでおろしましたが、別れの際に彼は私に言いました。

「まさか、友人だと思っていた先生に人生を諦めろと言われるとは思わなかった」

今でも自分の診断には自信を持っています。彼が臨床医を続けていたらどのようなことになっていたかと思うと、あの時の判断は正しかったと思います。でも、山田さんに事実を告げたつらさを忘れることはありません。

「生き方が悪かったから」認知症になるなどという偏見があった時代とは異なり、今では認知症は誰でもなる可能性がある病気だとわかっています。しかし、「家族が認知症かもしれない」と思う時、その人の社会的立場があればあるほど、周囲の家族はそのことを、そして職を辞することについて、口にすることをちゅうちょする傾向があります。

そんな時、家族はどうすれば良いのでしょう。次回はそのことについて、考えてみたいと思います。

※このコラムは2019年10月18日に、アピタルに初出掲載されました

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