どうしていますか?

定年後は海外に?人生100年時代のセカンドライフ、リアルな声 前編

「フィリピンの美しい環境と温かい人たちに囲まれて、夫とともに余生を送るのが夢」(目黒さん提供)

セカンドライフに向けて準備していること、心配なことはありますか? 人生100年時代――現役後の人生が長くなり、もはや‟余生”というイメージはないのかもしれません。なかまぁる編集部が実施した「セカンドライフに関するアンケート」の回答者に、ちょっと深掘りして聞いてみました。前編は親の介護や看取り、自身の健康などが現実的に考えるきっかけになった話です。

隠居はしたくない! 地域での活動拠点も広げたい

静岡県富士市在住の三宅健作さん(59)は来年、定年を迎えますが、現在勤めている会社に65歳までの再雇用契約の申請書を出すつもりだといいます。それは職場の先輩方から聞こえて来る現役引退にまつわるリアルな話がおおいに参考になっているそう。「やっと仕事から解放されたと思っても、3日も休むと『これ以上休みはいらない!』『何でもいいから仕事させてくれ!』という感じらしいんですよ(笑)。自分よりずっと先輩たちがタクシーの運転手やスーパーのレジ打ちの仕事を一生懸命やっている姿を見ると、自分は65歳過ぎたら何ができるかなと真剣に考えます」と三宅さん。

大学生の息子さん(20)も、あと2年で社会人に。住宅ローンも済んだので、贅沢をしなければもう収入のために必死になる必要もないそうですが、やはり長年生活の中心だった仕事はそう簡単に切り離せないようです。「健康のことも考えているんです。結局、先のことは何があるかわからないから、健康で、医療費がかからないようにしたいなと。仕事がないと好きな酒を昼から飲んでしまいそうだから、健康のためにも仕事は続けたい」

三宅さんのセカンドライフのもうひとつのテーマは友達・仲間作り。ママ友などたくさんの友人がいる妻(54)と比べて、仕事を離れた後の自分はどうだろうかと考えるそうです。「地域では市のスポーツ推進委員をやったり、あと、趣味で合気道をやっています。仲間は努力しないとできませんから、それなら自分の好きな場でと。仕事とはまた違って遠慮なく話せる人たちや人生の先輩であるお年寄りもいて楽しいです」。ただ心配なのは20年来愛着のある地元は、車がないと少々不便だということ。運転が好きで定年後は妻とあちこちドライブ旅行に行こうと話していますが、年を取って運転ができなくなることも頭をよぎるそう。利便性を考えた転居など、これから検討すべきこともまだまだあると語ってくれました。

「千葉市花の美術館」で布リースのワークショップを開く目黒さん(提供)
「千葉市花の美術館」で布リースのワークショップを開く目黒さん(提供)

親の介護が終わったらフィリピンでの第二の人生を

千葉県千葉市在住の目黒明美さん(61)は、夫(69)とともに2014年、まさに思い描いたセカンドライフを実現すべくフィリピンに渡りました。それまでの住まいは売却し、駅近の小さな公団住宅を購入して日本での拠点に。その後は、日本とフィリピンを行ったり来たりする生活を夢見ていたといいます。フィリピンとの出会いは30年ほど前、夫妻には子どもがないこともあり、貧しくて学校に行けない子供を支援するボランティアに参加したことがきっかけでした。「フィリピンは気候も温暖ですが、人がとてもフレンドリーで温かいのです。お年寄りを尊敬してとても大事にする国民性で本当に居心地がいい。年を取ったらフィリピンでボランティアをしながら暮らすのが夢です」という目黒さん。

ところが1年ほどフィリピンで暮らした後、実家でひとり暮らしをしていた実母(84)が持病の心臓病に加えて認知症になり、呼び戻されることに。妹(56)とともに介護や施設探しに明け暮れることになりました。「2017年、私たちの生活を守るために施設に入所してもらいました。しばらくはよく一緒に外出もしていたのですが、コロナ禍の2年ですっかり認知症が進んでしまいました。窓越しの母はいつも眠っていて、それがとてもつらいです」。

フィリピンどころではなくなってしまった目黒さん。夫は年金をもらいながらシルバー人材センターで働き、目黒さんは長年やっている児童英会話教師の仕事の傍ら、新たに布地を使った布リース作りも始めました。趣味として楽しむうちに魅了され、自らカルチャーセンターに売り込みに行って今は講師として教えています。フィリピンでの生活もまだあきらめず、母親を見送ったら再開したいといいます。「私たち子どもがいないので、60歳を超えた頃から何となく覚悟したんです。すべて自分たちで完結しなきゃいけないと。実はお金のことは怖くて計算していないんですが(笑)、だからこそ健康には気を付けて、自分がやりたいことを躊躇せずやる! そんな気持ちでいます」

病気になってから始めた水墨画にも夢中(宮崎さん提供)

がんになって訪れたセカンドライフで趣味を前向きに

「本当は大好きな沖縄か、酒蔵が集まる長野県の諏訪などに移住して、夫と食べる分くらいの野菜を家庭菜園で作りながら年金暮らしをしたいと思っていました」と話すのは東京都新宿区在住の宮崎さつきさん(仮名・64)。現地の不動産情報をまめにチェックするなど、夢から現実的な計画になりつつあるところでしたが、59歳で乳がんが見つかり手術。61歳のときには多発性骨転移。そこから放射線治療、抗がん剤治療、そして苦しい副作用との闘いが始まりました。仕事は不動産関連のとても忙しい職場でしたが、65歳の定年までは勤め上げたいとがんばりました。しかし昨年1月に休職。「“退職”にはしなかったんです。仕事が大好きなので」と宮崎さん。月1回の受診以外、持て余すほどの時間を得て、図らずもセカンドライフが訪れることになったのです。

宮崎さんは地元の地域交流館などに通い、アート貼り絵、水墨画、絵手紙、アロマ、ウォーキングなど、さまざまな趣味を始めました。「家でじっとしていると息がつまって思わず出掛けたというのが本当のところです。でも身近にこんなたくさんの講座があるなんて知らなかった。いろいろなイベント情報が載った街の掲示板にも目がとまります」。

また自分の中にもずっとやりたかったことが結構あったという宮崎さん。たとえば手芸。仕事に追われる中でもきれいな布やボタン、紐などを買い集め‟いつか時間ができたら”とストックしていたそう。今は後回しにはせず、気持ちの赴くまま楽しんでいるようです。「がんは転移したら治らないと言われましたが、ある意味、踏ん切りがつきました。明日死ぬわけじゃない。そうしたら生活が丁寧になりましたね」ときっぱり明るい声で話してくれました。

※後編は「独身の視点で考えるセカンドライフ」の話を紹介します

あわせて読みたい

この記事をシェアする

この連載について