地域密着で利用者も職員も掘り起こし 川崎「ひつじ雲」の好循環を支えるひみつ
取材/矢部万紀子 撮影/阿部章仁
JR川崎駅西口の大型商業施設「ラゾーナ川崎プラザ」を抜けると古い住宅街があります。その街に溶け込むように「特定非営利活動法人楽」(NPO法人楽)が運営する小規模多機能居宅介護「ひつじ雲」や手作り弁当を宅配する「キッチンくじら雲」などが点在しています。地域に密着することで、介護の周辺業務だけでなく、資格は持っているけど働いていない「潜在介護福祉士」などの掘り起こしの成果を上げています。
柴田範子(しばた・のりこ)
71歳。民間企業を経て1985年、川崎市職員に。保育園業務職を経て、福祉事務所のホームヘルパーに。1999年、上智社会福祉専門学校専任講師。2004年、「特定非営利活動法人楽」設立。同年、東洋大学ライフデザイン学部専任講師、08年に准教授。介護福祉士であり、全国小規模多機能型居宅介護連絡協議会理事、介護福祉士国家試験委員、日本介護福祉会副会長などを歴任。子どもは3人。長女は「楽」事務責任者。夫と猫4匹と暮らす。
2004年4月、設立(理事長・柴田範子)。同年5月、川崎市幸区に認知症デイサービス(06年からは小規模多機能型居宅介護)「ひつじ雲」を設立。現在は手作り弁当を宅配する「キッチンくじら雲」、地域住民の集いの場「ひつじcafe」も運営。職員31人、うち13人が正職員。平均年齢は55.7歳(正職員46歳、非正規職員62.8歳)。平均勤続年数は7.1年(正職員9.6年、非正規職員5.2年)。利用者の平均年齢は85.7歳、要介護度は平均で2.5。
地域のニーズや人脈を知りに職員が街にでる
小規模多機能型居宅介護「ひつじ雲」は、JR川崎駅のすぐ近くにあります。とはいえ、周辺は一軒家が並び、昔ながらのたたずまいが残っています。「ひつじ雲」は、近くに住む人たちから寄付品を募り、毎年バザーを開催してきました。しかし、2020年は、新型コロナウイルス感染症の流行のため中止になりました。
「それで今年の秋は、職員2人が海産物の御用聞きにご近所を回りました。そうしたら、すごい数の注文になったんです」
東日本大震災で被害を受けた、宮城県南三陸町の海産物問屋さんから仕入れる昆布、ワカメ、削り節。震災のあった11年から販売してきました。人気商品を今年も買ってもらいたいと個別に注文を取り、問屋さんにつないだのです。
このように、「特定非営利活動法人楽」は地域とのつながりを大切にしています。地元のお祭りなどにも積極的に参加、職員もおみこしを担ぎます。「キッチンくじら雲」では栄養士が作るお弁当を地域に届けています。20年7月からは毎週日曜日、お年寄りの集いの場として「ひこうき雲」を始めました。
「なぜここまで地域活動をするのですか、と職員から聞かれたことがありました。小規模多機能型居宅介護は地域密着型サービスよね、と答えました。認知症デイサービスと看板を掲げてスタートした04年は、地域の利用者がほとんどありませんでした。それから16年、交流することで溶け込むことができました」
介護保険で決められたことをこなすだけではだめ
柴田さんは川崎市職員から上智社会福祉専門学校の専任講師を経て、「楽」を立ち上げました。専任講師になったのは、介護保険制度がスタートする1年前。介護福祉士の資格とホームヘルパーとしての長い経験を買われてのことでしたが、次第に立ち位置がわからなくなっていったそうです。
「介護制度の導入で、決められたことをこなすだけになっていく現場を知りました。教える立場にいていいのだろうかと思うようになったのです。現場の人間として、自分の思う施設をつくってみようと決心しました」
足りないのは認知症デイサービス、それも土曜と日曜に開いているところだとわかっていたので、宿泊も受け入れる365日型としました。06年に小規模多機能型居宅介護になってから現在まで、変わっていません。開設以来、12年ほどは赤字が続きましたが、講演会や執筆も積極的に引き受けることで、結果として銀行から借り入れる必要はありませんでした。
自分たちで考える介護
小規模多機能型居宅介護は正規職員がひとり、あとは非正規職員だけでも開設できます。そのような人員配置で多店舗展開をしているところもありますが、「楽」は正規職員が13人、非正規職員が18人います。知り合いからは、「理想を追っているから、利益にならないんですよ」と言われたことがあります。それでも、ぶれることなく制度以上の人員配置と地域密着を心がけてきました。そして、それは採用面でも大いに役立っています。
例えば、利用者を送迎する運転業務の中心を担っている男性は、町内会長とひつじ雲の大家さんからの紹介でした。「運転手を探している」とあちこちに頼んだら、偶然2人が同じ人を紹介してくれたのです。「大型免許を持っている」と聞いただけで採用したのは「ご近所さんの紹介なら間違いない」と確信しているから。67歳での採用から、もう3年。丁寧な運転が好評です。
「人が足りないときは、とにかく地域の人に声をかけます。顔の広い人が多く、『あの人いいよ』とか、『ホームヘルパーをしていた人がいるよ』とか紹介してくれます。食事作りを7年近く続けてくれている方々は、元々はお母さんが利用者でした。お母さんが自宅で亡くなって2年後、『働かない?』と声をかけたのです。関係性を途切れさせないことは、採用でも好循環になります」
シニアも大歓迎。地元の人からの紹介で、60代の人も5、6人、採用しているそう。正職員は65歳が定年ですが、契約では「双方の意向を鑑みて、更新する」としています。定年後、非正規で働くベテラン職員もいます。未経験者も働く意欲があれば、年齢や介護の経験があるかないかより大切なことは、お年寄りと向き合えるか。コミュニケーション能力が大切だといいます。足りない部分は、リーダー職員が理解できるように教えています。
「ハローワークからの紹介で、グループホームのセンター長経験者を採用したところ、3日で来なくなってしまったという苦い経験があります。結局、経験よりも介護が好きか、楽しいと思えるか、ですね。保育士さんの経験のある職員は急がず優しい人で、ご近所付き合いはお手のものです。50歳を過ぎて、ハローワークで初任者研修を受けて入った職員は、統合失調症の利用者とも不思議と上手に付き合うのです。持っているものはそれぞれ違い、合った仕事が必ずあります」
職員は常に基準より多く配置しています。それでも職員が2人辞めたとき、途端にみんなの疲れた表情が見えたため、採用のため、「地域回り」をしました。
「人が支える介護の現場は、人員基準より若干多めに人がいて初めて職員にやりがいを感じてもらえていると思っています。そういう環境だから、自分たちで考える介護ができるようになるのです。ゆとりある職場であり続けることが結局、離職の少ない職場につながっていると思っています」
後藤久子さんからのメッセージ
地域のみなさんの「安心」になれる開かれた職場
後藤久子(ごとう・ひさこ)
49歳。損害保険会社に5年間勤務後、保育士として10年間勤務。両親の体調悪化などから休職、ヘルパー2級を取得。介護有資格者を対象とした川崎市の「リ・スタート講座」を受講、講師として「特定非営利活動法人 楽」の柴田範子理事長と出会う。講座終了1カ月後の2009年、正職員として入職。12年、介護福祉士取得。16年、2カ月休職し、宮城県の実家で父を看(み)取る。復職、非正規職員として週4回勤務している。夫と二人暮らし。
介護の仕事は、毎日何十人もの紙おむつを替えて、腰を痛めて――。一般の方にはこんな大変なイメージもありますが、ここでの仕事は全く違います。主に担当している訪問介護では薬の管理、食事の支度、ときにはトイレのお手伝いと忙しいですが、苦痛に感じたことはありません。すべきことをしながら、利用者さんやご家族と話すのはとても楽しいです。
通ううちに、それぞれの人生が見えてきて、会話も弾むようになります。いかに楽しく、笑っていただけるか。考えながら、会話をしています。
ここは朝、訪問介護に行ったらそれで終わりではなく、利用者さんの体調が悪そうなら「夕方もう一度、行ってみよう」などと対応します。それがすごく良いところです。バザーや食事会などを通じ、地域の方と触れ合えるところも魅力です。外に一歩出れば、ご近所のみなさんに「元気だったー?」と声をかけられます。そういう関係が楽しいし、みなさんの安心にもなる。事業所の中だけでない、開かれた職場だと感じます。
義理の父が高次脳機能障害などで要介護3でしたが、担当のヘルパーさんらが「仕事はやめないで」と言ってくれ、父の最期まで仕事を続けられました。実家の父を看取るにあたり、2カ月休職し、復職しました。週2回から始め、今は週4回勤務しています。そんな体験もあり、利用者さんの家族には、どんどん甘えてもらいたいと思っています。
丸山穂呼さんからのメッセージ
仕事をしているから趣味も楽しいと思う
丸山穂呼(まるやま・すいこ)
68歳。専業主婦をしていたが離婚、資格をいかして経理の仕事に就く。14年間働き、母を看取ったことをきっかけに退職。ハローワークで介護職員初任者研修を受ける。2007年、55歳のときにハローワークで紹介された「特定非営利活動法人楽」に正職員として入職。小規模多機能型居宅介護「ひつじ雲」に週5日勤務、17年に定年、以後は非正規職員として週2日勤務している。介護福祉士。娘が2人、孫が3人。現在はひとり暮らし。
自宅で母を看取って気持ちが少し楽になったとき、仕事を辞めて通ったハローワークにあったのが、介護職員初任者研修。事前知識は何もなく受けて、終了後すぐに紹介されたのがここです。正規職員だということでしたし、体を動かすのが好きなので、いいなと思って面接を受けました。理事長が「どうぞいらっしゃい」と言ってくれて、55歳から働き始めました。
最初から、すごく楽しかったです。人間関係のよい職場だということもそうですが、日々の仕事が利用者さんによって違う点も性に合っていました。同じことをずっとするのが苦手なんです。散歩の付き添いなど簡単なことから始め、少し自信が持てたのは3年目くらいでしょうか。今では娘に「天職だね」と言われています。
9割以上の利用者さんが認知症で、反応のない方がほとんどです。でも接しているうちに少しずつ慕ってくれるというか、ニコッと笑ってくれたりするようになります。うれしいですよね。自分と重ねて勉強になる、人生の先輩だと思っています。
65歳で定年になり、今は週2回勤務です。水泳や習字など、習い事を六つしています。その予定を見ながら希望日を出し、勤務日を決めてもらえるのでとても働きやすいです。16時から翌日9時までの夜勤もしています。仕事をしているから趣味も楽しいと思うので、体の動く限り働きたいです。
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