連載途中で父の訃報 認知症の祖母「未亡人になったの?」児童小説の裏話3
認知症の祖母と家族のきずなを描いた児童小説『おばあちゃん、わたしを忘れてもいいよ』(朝日学生新聞社)。祖母をモデルに執筆したという著者の緒川さよさんに、小説には書けなかったやりとりや思いなど、作品の裏側を綴ってもらいました。全3回の短期連載、最終回です。
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- 緒川さよ(おがわ・さよ)
- 1978年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部卒。教育系の会社で働きながら小説を書いている。『おばあちゃん、わたしを忘れてもいいよ』が第9回朝日学生新聞社児童文学賞を受賞。ユーモラスで子どもの心に響くと評価され、「第31回読書感想画中央コンク―ル」の指定図書にも選ばれている。『キミマイ きみの舞』(講談社青い鳥文庫)1~3巻発売中。
物語を書き終えた2017年の冬。私はこの作品を、朝日学生新聞社児童文学賞に応募しました。そして2018年3月に賞を頂き、その年の10月から12月にかけて、朝日小学生新聞で連載されることになりました。そのころ、祖母は90歳になっていました。
「おばあちゃんのことを書いたんだよ」
「へえ~。認知症だなんて、失礼しちゃうやぁ」
電話でこんな会話をしたのを覚えています。半年後には連載が始まる。祖母はどんな気持ちで読んでくれるのかと、楽しみにしていました。
秋になるころ、「朝日小学生新聞の申し込みをしたからね」と、母から連絡がありました。子供がいない家なのに。
なんだか恥ずかしくて、嬉しかったのを覚えています。
いざ連載が始まってみると――祖母は読めませんでした。「読めない」という言葉が正しいのかどうかわかりません。母が新聞を開いて「これ、あの子が書いてるんだよ」と言って渡すと、「ふぅん」と言って受け取り、文字に目を落とす。見た目は読んでいるような様子なのですが、読み終わるとまた最初から読み返す。何度も何度も読むのだけれど、頭には全く入っていない。
母は、「英語の新聞を眺めているような感じ」と表現し、続いた「文字に対する興味がなくなっちゃったみたい」という言葉が胸に突き刺さりました。
祖母は昔から活字が大好きで、いつも新聞を隅々まで読んでいたのに……。
いちばん読んでもらいたかった人に、読んでもらえない。それが現実でした。
しかし、というか、そして、というか。
人知れず、この連載を誰より楽しみにしていた人がいたと、後から知りました。認知症の祖母と同居する、マスオさんの父です。昔かたぎで口数が少なく、幼少の頃に抱っこしてもらった記憶も数えるほどしかありません。
人工透析を受けるために仕事を引退していました。そして、毎朝の娘の連載を読んでくれていたのです。
「あの人、普通の新聞はいいから、先に小学生新聞を読むんだって言ってね。毎朝、起きては最初にそれを読んでるのよ」
「お父さんが? あれ、子供向けだよ」
「そうなんだけど、俺はこの話好きだなって言ってるの」
父が児童文学を読むというギャップはあまりに大きくて、生まれて初めて父と会話ができたような気持ちになりました。
その父が、連載の途中、11月の下旬に突然亡くなりました。
心不全でした。週3回透析しなくてはいけないこと以外は悪いところもなく、前日まで運転もしていたのに。
急いで実家に帰ると、リビングのテーブルにその日の小学生新聞が置いてありました。
「今日のお話は読めなかったんだよね」と呟く母。
「ここから話が加速していくのに……」と悔しい気持ちで、私はその新聞を葬儀場に持っていき、そっと棺に入れました。
「誰にも迷惑をかけずにパッと逝っちゃうなんて、叔父ちゃんらしくて潔いよね」
従姉に言われ、そうなのかもしれないなぁと、父をカッコいいと思うこともできました。
だけど。あまりにあっけなく逝ってしまった父のことを、小学3年生の娘は「ジージはずるい」と言って泣き続けました。
元気だったおじいちゃんが突然死んでしまい、認知症のひいおばあちゃんが長生きするという現実を、子供たちはどうやって咀嚼していくのでしょう。
静かな葬儀の席で、「あれ、誰か死んじゃったのぉ?」と尋ねる祖母。説明され、母に「じゃああんたは、未亡人になったの?」と言う祖母。
不謹慎かもしれませんが、どこかほっこりして、呆然自失の母もその時だけは笑いました。
実家に帰って玄関を開けると、祖母にまつわるいろいろな臭いと同時に母の苦労が漂ってきます。そして滞在中に必ずおきる何かしらの事件。
でも。潔さよりも、生きていてくれることが何より。
祖母との記憶を私の中に残したいし、娘たちにもまだまだ思い出が必要です。
祖母が「生きる」こと。それは、私たちにとって「生きていてくれること」なんだなと、今は思っています。
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