「全然大丈夫!」が逆にリスキー。介護者を救え!これって介護の裏技?
青山ゆずこです! 祖父母がそろって認知症になり、ヤングケアラーとして7年間介護しました。壮絶な日々も独学の“ゆずこ流介護”で乗り切ったけれど、今思えばあれでよかったのか……? 専門家に解説してもらいました!
気付かないうちに介護ストレスがかなり溜まっていく
我が家の在宅介護のフォーメーションは、主にわたし(孫)と母と叔母の3人。状況によって父や叔父、そして孫(いとこ)たちを時々召喚していました。変な誤解が生まれないよう連絡はグループラインで共有したり、力が必要なときは父たちの男手を借りて……と、なるべく家族全員で関われるようにしていましたが、偏りはどうしても出てしまいます。
週刊誌の記者として茨城から都内まで通いながら、一番身近で二人を見守るわたし。
高速道路を使って片道2時間半かかる嫁ぎ先から、2週に一度、仕事終わりに駆け付ける母。
仕事をしながら夫の両親の介護もして、必死にW介護をこなす叔母。
自分たちが追い詰められないように、デイサービスやショートステイなど、介護サービスの利用も常に考えていました。けれど、ばーちゃんは「私は誰の世話にもならない!」の一点張り。一度拒否すると全力で玄関の柱にしがみついたり、余計に暴れたりとまったく歯が立ちません。
全員介護はF1のピット作業! そして孫はりんごちゃんに進化を遂げる
そんな過酷な日々が続いた結果、母は一気に高血圧になってしまい、薬が手放せない状態に。叔母は(母も)、心労がたたって2カ月で10キロ以上激やせする始末。そしてゆずこはストレスで過食。二人とは反対に激太り。なぜだ、なぜなんだ……解せぬ。
そこで、比較的まだ余裕があったわたしは、父、叔父、妹、いとこたちに、「母や叔母の愚痴を聞いたり、気分転換にどっかに連れ出してあげて!」と頼みました。いわば“ケア(介護)をする人のケア”をお願いしたのです。
わたしたちも疲労やストレスが溜まってしまうと、いつか必ずつぶされてしまいます。愚痴や弱音を吐き出せたらまだいいのですが、周りに介護で疲れている人しかいないような環境だとお互いに話を聞いてあげる余裕がなくなってしまったり、吐き出す気力さえなくなってしまったり。「周りも大変なんだから私も耐えなきゃ!」と、どんどん自分で自分を追い詰めてしまうのです。そして疲れ切った笑顔で「全然大丈夫よ~♪」と言いながらぶっ倒れてしまう。
だからこそ、メインの介護者が倒れる前に変化に気付いて、「どうしたの?」と声をかけてほしいのです。買い物に連れ出したり、「まあ今日くらいいいじゃないか」とビールを注いであげたり、ひたすら相手が話し疲れるまで愚痴を聞いたり。どれほど救われることか……!
表現が微妙にずれるかもしれませんが、ゆずこ的に在宅介護は“F1のピットストップの作業”に近いイメージがあります。レース中にピットと呼ばれるコース外のエリアに入ると、大勢のスタッフが一斉にタイヤ交換などをするアレです。タイヤを外す人、付ける人、ネジを外してまた止める人、車体をジャッキで持ち上げる人。車の停車位置を示す看板を持つだけの人だっているんです。
これは介護も一緒で、なにも食事や入浴介助だけが“介護”ではありません。食事や入浴、トイレ介助をする家族がいれば、家に手すりを付けたり、福祉サービスなど使える情報をリサーチする人がいてもいい。その中で、介護する人の愚痴を聞いたり気分転換に連れ出したりと、「ケアする人をケアする」という役割も、とても大事な介護の一つだと思います。
ちなみに、ゆずこのストレス発散はカラオケです。
適度に介護をさぼっては、いつものようにX JAP○Nの『紅』を熱唱。そして次に、原曲キーでビブラートをガンガンに効かせたH○UND D○Gの『フォルティシモ』や『オンリーラブ』をマスターしたりと、ものまねタレントりんごちゃんそのものと化していました。一人カラオケ……スターティン!
介護に特化したカウンセラーの必要性
ゆずこが体験した、「ケアする人をケアすることの大切さ」について、東北福祉大学福祉心理学科の教授で日本認知症ケア学会の理事、そして『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新書)の著者である加藤伸司先生はこう語ります。
「認知症の介護は独特です。当事者は自分がやってもらったことを覚えておらず、介護者に強い言葉をぶつけたり暴れてしまうなど、ほかの病気の介護にはないストレスが山積みです。デイサービスの送迎でも、『〇〇さん(利用者)の具合はいかがですか?』など、当事者のことしか聞かないじゃないですか。介護する側がないがしろにしてしまっているんです。
僕たちも昔、在宅介護をしている300組以上のご家族を調査したのですが、介護している方への労いが圧倒的に足りていないことがわかりました。そこで、僕が介護のプロの方々にお願いしているのは、『あなたは寝られていますか?』『頑張っていますね。でも無理しないで一緒に考えましょう』など、一言でもいいから労いの言葉をかけてください、ということです。実際にご家族からも『すごく心が楽になった気がします』『感情がどっとあふれた』という声が聞こえてきました。一言で救われるものもあるのです」
介護の大変さを共有する「家族だからこそ、愚痴を言えない」場合もあるような気がします。そんなときに色々話を聞いてくれる第三者がいたら、たしかにものすごく救われる気がします。
「そうです。そこで重要なのが“介護者のための専門カウンセラー”、介護に特化したプロのカウンセラーの必要性です。今でも介護者同士で情報を共有する機会や制度はありますが、それに加えてきちんと介護者の心を守ってくれるカウンセリングのプロがいてくれたら、心理的な負担はさらに減ることでしょう。
ゆずこさんが実践した、ご家族内での采配もとてもいいと思います。でも、さらに超高齢社会となり、誰しも介護がより身近になる時代が来るからこそ、ケアする人をきちんとケアできるプロがいると家族も余裕を持てたり安心を得られますよね」
わたしの経験上、本当に追い詰められてヤバい状態の人ほど、「全然大丈夫!」と言いながら倒れていく気がします。これは介護に限った話ではありませんが、前回のわたしのように、自分が一番自分のストレスに鈍感なのかもしれません。または、気付く余裕すらすり減っているような……。
だからこそ、身の回りで誰かがやたら「大丈夫!」を連呼していたら、ちょっと気にかけてみてください。それは本人が気付かないうちに出している、小さなSOSかも知れません。
- 加藤伸司先生
- 東北福祉大学総合福祉学部福祉心理学科教授。認知症介護研究・研修仙台センターセンター長。日本認知症ケア学会副理事長。近著に『認知症になるとなぜ「不可解な行動」をとるのか』(河出書房新社)、『認知症の人を知る―認知症の人はなにを思い、どのような行動を取るのか』(ワールドプランニング)など