持ち家も金融資産もある なのに入所費用に使えない なぜ?! FPが解説
構成/熊谷わこ
将来、子どもに金銭面で迷惑をかけないように——。そう考え、しっかり老後のためのお金をたくわえてきたのに、いざ、必要となったときに活用できないということがあります。認知症と診断されると、様々な契約行為ができなくなるためです。そうなる前に、どのように備えておけば良いのでしょうか。「高齢期のお金を考える会」などを主宰するファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんに、これまでに受けた相談事例から得た教訓や注意点をアドバイスしていただきました。
- 【認知症と診断されて、資産を活用できなくなったAさんのケース】
- Aさん(80)は、20年ほど前に妻を亡くして以来、都内にある自分名義のマンションで一人暮らし。一人娘のB子さん(52)は結婚し、近くで暮らしています。Aさんは将来娘に迷惑をかけないようにと、金融資産約2500万円のうち200万円のみを普通預金に預け、残りの2300万円は株式投資などの運用に回し、年間50万円前後の配当金を受け取ってきました。これまで、Aさんの生活費は、年間約130万円の公的年金に、こうした配当金を加えることでなんとか賄ってきていました。
ところが2年ほど前からAさんに物忘れなどの認知機能の低下が見られ始め、検査の結果、認知症と診断されました。しばらくはB子さんがマンションに通って面倒を見ていましたが、ここ半年ほどの間に急激に症状が悪化。自宅で暮らすのが難しくなり、B子さんは、Aさんの施設入所を検討することにしました。近隣で施設を探したものの、利用料が高額で、年金と配当金だけではまったく足りません。B子さんは費用を捻出するため、Aさんの自宅マンションを賃貸に出す、マンションを売る、運用している2300万円を解約して払い出すなど、さまざまな方法を考えました。しかし、金融機関や不動産会社に相談に行くと、Aさんが認知症と診断されているため、いずれからも「手続きや契約を結ぶことはできない」と言われ、B子さんは途方に暮れてしまいました。
※個人情報保護の観点から、相談事例を再構成しています。
認知症と診断されると契約ができなくなる
多くの人は、親の介護が発生した場合、その費用は親自身の年金や資産でまかなえるだろう、または、まかなってもらいたいと考えています。とくにAさんのように持ち家と2500万円の資産があれば支払えるだろうと安心してしまいがちです。しかし資産はあるのに使うことができない――というのが、今回のケースです。
金融資産の解約できず、持ち家があっても売却も、賃貸も不可
活用できない理由は、Aさんが認知症と診断されたためです。民法では、意思能力(=契約によってどのような結果がもたらされるか理解する能力)のない状態での取引は「無効」とされます。このため、認知症が進んで判断能力が低下すると、預貯金の引き出し・解約、不動産の売買などの各種契約行為、不動産の名義変更(相続登記)、生命保険の受取人の変更、遺産分割協議、資産運用といったさまざまな法律行為ができなくなると判断されることが多くあります。もともとは、こうした制限を課すのは、認知症の人がよくわからないまま契約を結ばされてだまされることのないように、本人を守るためのものです。しかし、一方では、自分の資産を自由に動かせなくなってしまうという面もあります。
実際、Aさんは一人娘のB子さんに、金銭面で迷惑をかけることのないよう、一生懸命金融資産を運用してお金をためてきたのに、いざ、必要となったときには、解約できなくなりました。さらにAさん名義の自宅マンションについては新たに賃貸契約も売買契約もできません。運用資産の2300万円も、持ち家のマンションも、Aさんが亡くなれば相続でB子さんのものになりますが、Aさんが生きている間は活用することができないのです。
B子さんは、自分の家計に余裕がなかったため、Aさんの年金と配当金だけでギリギリまかなえる、自宅からはかなり遠方で、費用も安価な介護型ケアハウスへの入所を決断しました。普通預金200万円は今後施設に支払う介護費用が増えたときなどに使う予備費にとっておくことにしました。B子さんにとって、大切な父親をなかなか会えないような遠い場所に移すことは、苦渋の決断となりました。Aさんが施設に移ったあとのマンションは、貸し出すことも売ることもできずに空き部屋のままです。
認知症になる前の対策が重要
●対策1:代理人カード(家族カード)の用意
人生100年時代。年齢を重ねるにつれて、誰もがいつ認知症になってもおかしくはありません。「認知症になる前に」対策をしておく必要があります。
まず一つ目は、70代に入った頃からは、ある程度の額のお金をいつでもおろせる自由度の高い普通預金にしておくこと。その上で、ほとんどの金融機関は、事前にご本人が承認した家族ならば預金を出し入れできるキャッシュカード(代理人カード/家族カード)を作ることができるので、事前に用意しておけば安心です。
●対策2:家族信託の活用
2つ目の対策は「家族信託」の利用を検討すること。家族信託は「自分で自分の財産を管理できなくなってしまったときに備えて、信頼できる人に管理や処分できる権限を与えておく」という財産管理方法です。具体的には、財産の所有権を「1:財産から利益を受ける権利」と「2:財産を管理・運用、処分できる権利」に分け、2については、あらかじめ子どもなどに渡すよう契約を結びます。
たとえばAさんがB子さんと家族信託の契約を結ぶ場合は、管理を委託する「委託者(Aさん)」、管理を引き受ける「受託者(B子さん)」、それによって発生した利益を受け取る「受益者(Aさん)」となります。これらが契約の当事者となります。
こうしておけば、Aさんが認知症と診断されたあとも、B子さんがマンションの賃貸契約や売却契約、運用資金の解約を代行(一部制限がかかるケースもある)することができます。そこで得られたお金の利益を受ける権利はAさんにありますから、それを施設入所のための費用に充てることが可能です。
大まかな手続きについても説明しておきましょう。まずは、家族(=当事者)でなんのために家族信託を利用するのか、どのような財産(土地、建物、預貯金など)を委託するのかといったことを話し合います。次に、話し合いで決定した内容を契約書に落とし込みます。そして可能なら公正証書にします。契約書を作成したら、財産の名義を委託者から受託者に移し、最後に財産管理のための口座を開設します。
自分以外に権限を委託する方法としては、成年後見制度もありますが、裁判所に申し立てるなど手続きが煩雑です。家族信託はそれに比べると手続きが簡単です。自分たちで手続きを行えば、費用も印紙代金、公正証書にする場合の手数料などの実費のみで済みます。ただし信託財産に不動産が含まれている場合は、原則として登記申請時に「登録免許税(不動産の課税価格の1000分の4)」を支払う必要があります。ただ、自分たちでもできるとはいえ、不十分な知識で行うとトラブルに発展する危険があります。司法書士や弁護士などの専門家に依頼することも検討してみましょう。コンサルティング料は信託財産の価格によっても異なりますが、30万円~80万円程度が目安です。
70歳を過ぎたら親子で話し合って
家族信託は、認知症になってしまってからでは契約を結べません。実は、Aさんから相談を受けていた私は認知症と診断される前からAさんとB子さんに、2300万円の運用資産の普通預金への切り替えや家族信託の契約を結ぶようにアドバイスをしていました。しかし、Aさんは首を縦に振ることはありませんでした。
娘思いのAさんなのに、なぜアドバイスを受け入れなかったのでしょうか。運用資産については年間50万前後の配当金を得て生活費にしていたため、解約する決断がつかなかったようです。また、B子さんの「認知症になったら困るから…」という言葉に「俺は認知症になんかならない!」と憤慨していた姿が印象的でした。
運転免許の返納と同じで、自分は大丈夫と思っていても若い頃とはやはり違います。起こるはずがないと思っていたことが起きてしまえば、結局大切な人に迷惑をかけてしまうことにもなります。
親が70歳を超えたら、親子でこれからのことについてじっくり話し合うことをお勧めします。お金の話は子どもからは言いにくいので、できれば親から持ち掛けるといいですね。また、兄弟がいる場合はさらにややこしくなるので、兄弟同士で話し合っておくことも必要です。
- 畠中雅子(はたなか・まさこ)
- 1963年生まれ。マネーライターを経て、92年からFPとして活動。「高齢期のお金を考える会」「働けない子どものお金を考える会」を主宰。『お金のプロに相談してみた! 息子、娘が中高年ひきこもりでも どうにかなるって本当ですか? 親亡き後、子どもが「孤独」と「貧困」にならない生活設計』『おひとりさまの大往生 お金としあわせを貯めるQ&A』など著書は70冊を超える。