みとった後にパニック障害 遺族ケアも介護の一つ 認知症と生きるには35
このコラムを始めた時から、認知症では、ケアや医療は病気の最も初めの段階から積極的にかかわることが大切であると訴えてきました。そして前回のコラムでは人生の最終段階を迎えた認知症の人が人生をどのように終えるかを、家族の苦悩と共に書きました。しかし、そこで話が完結するのではありません。
実をいうと現状ではあまり大きくとらえられることがないのですが、認知症ケアはその人を見送った後、家族に対する「遺族ケア」が達成されてはじめて介護は成し遂げられたと考えなければならないからです。今回から2回にわたって「遺族ケア」について考えてみましょう。
介護し終えた家族のこころ
認知症の家族のみとりを終えた後、介護してきた家族のこころには、どのような気持ちが去来するのでしょうか。
血管性認知症とアルツハイマー型認知症が混合した高山優子さん(仮名、女性)の介護は83歳のときからで、12年に及びました。海外の大学教授だった長男は、家族とともに海外生活でした。優子さんは、長男から「いっしょに住もう」との申し出を受けましたが、「住み慣れたところが良い」と断わり、しばらく長女の家で生活しました。しかし、血管性認知症の影響のためか、時に激烈に感情があふれて怒ることがあり、長女が介護疲れで入院してしまいました。
そのため次男の高山博さん(仮名、介護開始時41歳)が引き取り、そこから11年の在宅介護が始まりました。
すぐに怒ったり泣いたり感情が不安定なことや、昼夜逆転、こだわりの強さ、それも尋常なものではなく、言い出すと何があっても周囲の言うことを聞かないような生活が続きました。次男の妻、隆子さん(仮名、同39歳)もふらつきや食欲が低下する食思不振をくり返して、入退院をせざるを得ない状況になってしまいました。
それでも次男の家族(息子と娘も)は両親に協力して、日々の買い出しの手伝いをし、ケアマネジャーをはじめとする介護保険のサービス担当者も、時に会議で意見を集約しながらサポートし続けました。高山さんをめぐる家族の真摯な介護と、優子さん自身の症状の難しさをみんなが理解していたため、「よく介護している」との評価は絶えることがありませんでした。
そして11年目の春、隆子さんが見守るなか、優子さんは新たな脳梗塞のために息を引き取りました。いつも訪問診療してくれた在宅療養支援診療所の内科医も52歳と50歳になった次男夫婦のことを評価していました。それだけ熱心に介護を尽くしたのですから。
ところが介護を終えてから1年後、隆子さんにパニック障害が起きました。この病気は心臓がどきどきして「今にも死にそうな」恐怖感に襲われる症状があるのに、心臓の検査をしても何一つ異常が発見されないというものです。1カ月に4回以上の発作に見舞われた隆子さんは不安でいっぱいでした。
博さんも母親の介護をし終えて1年、やっと「やれやれ」と思ったときに妻が体調を崩し、どう対処して良いかわからなくなりました。
パニック障害は必ずしもすべてがこうして起きるものではないのですが、一部にはこれまで受け続けてきた強いストレスから、急激に解放されたことで「リラックス開放性発作」として出ることがあります。しかも、発作がはげしく続く急性期を過ぎると、発作そのものは出ないけれど、不安や気分の沈みが長く続く状態になる人がいます。隆子さんの場合もそのような経過だったのではないでしょうか。
聞くだけでも胸が詰まりそうになる話ですが、こういうことはよくあるものです。私も妻の母親の介護を27年続け、その介護が終わった時には、今度は実の母親のがんの闘病と向き合い、それが終わった2年後には妻が介護を受けることになりました。家族の介護が次々に起きることや、同時に起きることは珍しくありません。同じような体験をしている読者も多いのではないでしょうか。
さまざまな遺族の感情
グラフに示したのは、私の診療所でみとった患者さんの家族に「介護し終えた今、何を後悔しましたか」と聞いた時の答えです。家族をみとった直後の非常にデリケートな時期に、ぶしつけな質問をすることが人権侵害にならないように、インフォームド・コンセント(説明を聞いたうえでの納得)が得られた125家族の答えに限定しています。
最も少なかった11例(9%)の遺族の答えはバラバラでした。「介護家族の家から実家が遠かったのに自家用車を持っていなくて後悔した」という人もいれば、「もっとじっくりと話を聞いてやればよかった」と本人とのコミュニケーション不足を、見送った後になって後悔した娘さんもいました。一方で「父が亡くなる前に生前贈与で財産を分けておかなかったことを後悔している」と述べた息子たちもあり、家族の後悔にも多様性が見られました。
次に多かったのは「先生には悪いけど、受診する医療機関を間違えたと後悔している」というものでした。医者としてはショックです……。しかし、医療機関や介護施設は、利用した人の家族にすれば「もっと良いところはなかったのか」と後になって後悔するのは、なかば「あたりまえ」と考えて、次に向かってより良い医療者を目指したいと思います。
私は日ごろ受診した患者さんから「先生はひ弱な医者でよく休むし、僕の認知症を治すこともできないけど、まあ、それでも来つづけますわ」と、帰っていくときに笑いながら言われることがあります。その言葉は非難ではなくエールだと思います。自分に「もっと力があればいいのに」と思う毎日です。
最も多かった82例、65%の遺族の答えは何だったのでしょうか。
それは「介護者としての自分の至らなさ」を後悔する発言でした。異口同音に彼らは「自分の介護がだめだったのではないか」、「自分は本当にしっかりと介護できただろうか」と自問し後悔していました。
わたしたちの側からすれば「何としっかり介護しているのだろう」と感心する介護者であっても、いざ、遺族になった際には自責の念にとらわれてしまいます。
先に紹介した隆子さんの場合もパニック発作こそ半年で治まりましたが、その後、彼女の気分の沈み、不安感は何年も続きました。
介護をしていた家族が介護を終えたとき、そこには大きな落とし穴が待っています。どうしても後悔の念が生じてしまうかもしれない、そう思ってしまうかもしれないことを知って介護するか、知らずに、ひたすら、がむしゃらに、一途な介護者であり続けるか、その差は、のちのちの遺族の心の持ちように大きな影響を与えます。
次回は「遺族のこころが癒える」ための留意点について書きます。
※このコラムは2018年9月13日に、アピタルに初出掲載されました