宅配便の人が「先生をお届けに」息子が語る医師・長谷川和夫の姿(下)
更新日 取材/神素子 撮影/伊ケ崎忍
「長谷川式簡易知能評価スケール」の開発者としても知られる長谷川和夫さんが、自ら認知症であることを公表したのは2017年、88歳のとき。それから3年以上が経ち、徐々にではあるけれど進行している認知症。同じ精神科医でもある長男の洋さんは、現在の父の姿を通してどんなことを感じ、学んでいるのでしょうか。
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宅配便の方が「長谷川先生をお届けに来ました」と父を連れてきてくれました
「父の物忘れがひどくなったのは、認知症を公表する1年くらい前からではないでしょうか」と長谷川洋さんは振り返ります。和夫さん本人も「前に行ったこともある場所に行けない」「今日の予定がわからない」と気づくようになってきたのだそうです。
あるとき和夫さんは、洋さんに「物忘れがあるから、お薬を使ってみたいんだけど」と言ったとか。
「それで最初は私のクリニックでお薬を処方しました。父自身、アルツハイマー型認知症ではないかと思っていましたから、薬はドネペジル(商品名アリセプト)とメマンチン(同メマリー)でした」
その後、専門病院で検査を受けた和夫さんは、アルツハイマー型認知症ではなく「嗜銀顆粒性認知症」(しぎんかりゅうせいにんちしょう)と診断されました。これは脳の一部に「嗜銀顆粒」という異常なたんぱく質が蓄積して起こるもので、高齢になってから表れやすい認知症なのだそうです。
ちなみに、病院での検査に「長谷川式スケール」は使わなかったのでしょうか?
「使いませんでした(笑)。あの検査は父の記憶の古い部分に残されているので、おそらくどんなに認知症が進んでいても、すらすら答えられると思いますよ」
現在、和夫さんは要介護2。介護を主に担っているのは洋さんの母ですが、和夫さんよりお若いとはいえ80代。体調にも不安があることから、洋さんの姉たちも様子を見てくれていると言います。
「父はデイサービスも利用していますが、最初は『本当は行きたくないんだけど、家内をラクにするためにはしょうがないからね』と行きたくなさそうだったんです。でも最近は『デイサービスはすばらしいね。お風呂に入れてもらえるし、爪も切ってももらえたよ。まるでお殿様みたいだ』なんて、ご機嫌で帰ってくるときもあります」
物忘れが気になり始めてからは日めくりカレンダーで日付を確認する習慣をつけていたという和夫さん。でも最近ではそれすらも忘れてしまうこともあるそうです。認知症が進行しているのでは?と気になるところですが、ご家族にとって当面の心配ごとは体力の低下や、足腰の筋力の衰えを改善することなのだとか。
「父は3年前に一度、転倒で骨折しました。といっても足ではなく、肋骨と腕の骨だったので、入院も手術もせずに済んだのが幸いでした。ただ、痛みがあるので昼間も安静にしているので夜眠れなくなる。夜起きているからトイレに行きたくなり、そのつど起こされる母が睡眠不足になる、という悪循環でした。もしも10歳若いときに認知症になっていたら、出歩くことも多く、家族は今よりハラハラしていたかもしれません。でも91歳という年齢では、認知症よりも気になる衰えが多いのも事実です」
時には小さな「事件」もあるとか。
「ある日、父がなかなか帰ってこない日がありました。行きつけの喫茶店に行こうとして家を出たのですが、行ってみたらお休みだった。帰ってくればいいものを、今度はいつもの理容室に行ってしまい、たまたまそこも休み。どんどん遠くに行ってしまい、そこで転んでしまって帰れなくなったところに、いつもわが家に荷物を届けてくださる宅配便のドライバーの方が通りかかって、車に乗せてくださったんです。『今日は荷物ではなく、長谷川先生をお届けに来ました』って(笑)。父は、地域の方々に支えていただき幸せな時間を過ごすことができていると思います」
和夫さんは今も時々、家の近くの喫茶店でコーヒーを楽しむのが趣味。洋さんも時にはコーヒーを片手におしゃべりをするといいます。
「父は若い頃からずっと忙しく働いていたので、私は父とゆっくり話した記憶がないんです。最近は話す機会が増えて楽しいですね。認知症のせいで同じ話を繰り返してくれるので、記憶力が悪い私でも(笑)、父がどんな思いで生きてきたのかがよくわかってきました」
洋さんが特に実感したのは、和夫さんが一人ひとりの名もない人たちの人生を、いかに大切に考え、尊重して治療にあたってきていたかということだそうです。
「認知症になって、父は自分の人生を振り返るような本を出版させていただきました。それが父はとてもうれしかったようで、『この喫茶店のマスターの人生も、本になるといいのにね』『理容師の〇〇さんの人生も、近くの薬局の△△さんの人生も、みんな本になるといいのに』と繰り返し言うのです。父は認知症の治療も、常に本人を中心にした『パーソン・センタード・ケア』という考えを実践していました。すべての人に掛け替えのない人生があり、それは認知症になっても決して変わることがないのだ、という考えですね」
洋さんは、和夫さんが診察していた時の様子を振り返ります。
「付き添ってきたご家族は、ご本人を混乱させまいとして、本人のいない場で医師と話をしようとします。でも父は『本人抜きで話をしないほうがいい』と考えていました。どうしてもとご家族が言う場合には、ご本人の了解を得てからにし、あとで話の内容をご本人に説明していました」
そしてもうひとつ、「認知症になっても、今できることを楽しむ」という姿勢もまた、洋さんが和夫さんから学んだ大切なことだと言います。
「父は診察室で患者さんとよく一緒に歌っていました。認知症になっても昔好きだった歌は歌えることが多いのです。認知症になると『できないこと』が目につくのですが、できることもたくさんあるのだと気づかせてくれました。私もそれは見習いたいですね。医師としても、息子としても」
今回「なかまぁる」のインタビューを受けるにあたり、洋さんは和夫さんに「何か伝えたいことあるかな」と聞いたそうです。すると和夫さんは、「生きているうちが華だから、自分がやっていることが人様のお役に立つのであれば、ぜひ皆に伝えたいね」と言ってくださったそうです。そしてこう付け加えました。
「ボクの気持ちの上では、『今』が一番若い。5分あとに比べれば、『今』が1番若いわけだ。ボクはね、『今』を生き抜く。そして人様のお役に立ちたいんだよ」
- 長谷川洋(はせがわ・ひろし)
- 1995年聖マリアンナ医科大学卒業、同大学神経精神科入局。2003年より同大学東横病院精神科主任医長として勤務。06年に長谷川診療所を開院。精神保健指定医、日本老年精神医学会専門医、日本精神神経学会専門医。現在、聖マリアンナ医科大学非常勤講師、東京医療学院大学非常勤講師、川崎市精神科医会理事、神奈川県精神神経科診療所協会副会長。著書に「よくわかる高齢者の認知症とうつ病」(父、長谷川和夫氏と共著:中央法規)、「認知症のケアマネジメント」(石川進氏と共著:中央法規)がある。