「本当に認知症ですか?」という言葉の罪~私たちを知ってください(上)
構成/熊谷わこ 撮影/家老芳美 聞き手/冨岡史穂なかまぁる編集長
1年半前、43歳で若年性認知症と診断されたさとうみきさん。不安と孤独の中で道しるべとなったのが、近い年齢で認知症当事者としてさまざまな活動に取り組んできた丹野智文さんでした。そんなお2人に、診断からこれまで感じてきたこと、認知症当事者として発信したい社会に対する思いなどについて率直に語っていただきました。
さとうみきさん
1975年生まれ、東京都在住。大学病院や電気メーカーで秘書として働いた後、25歳で結婚し出産。専業主婦として過ごしていた2018年秋、認知症を扱ったテレビドラマがきっかけで自ら認知症を疑い、年末に認知症専門医を受診。19年1月、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。認知症と向き合い葛藤する日々を経て、現在は当事者同士のサポート活動のほか少しずつ講演活動も行いながら、夫と高校生の息子、2匹の犬とともに暮らしている。
丹野智文さん
1974年生まれ、仙台市在住。自動車販売会社に勤めていた39歳の時、若年性アルツハイマー型認知症と診断される。2015年、認知症当事者の相談窓口「おれんじドア」を開設。国際アルツハイマー病協会(ADI)国際会議に参加するなど、国内外で積極的に講演活動をしている。なかまぁる特別プロデューサー。
自分から行動したことが出会いにつながった
――お2人が出会ったきっかけは?
さとうみきさん(以下みき) 認知症と診断されて間もない頃に丹野さんの本を読んで、「いつかお目にかかりたいな」と思っていたんですね。その数カ月後に主治医が「今度、丹野さんがクリニックに来るよ」と知らせてくれて。この機会を逃したら会えないかもしれないと思って、主治医に「なんとかお話しすることはできないか」と相談しました。
丹野智文さん(以下丹野) その日はクリニックで開催される当事者勉強会に参加する予定だったんです。クリニックから「当日会ってほしい人がいる」と連絡がきたので、「じゃあ早めに行きますね」と気軽に応じました。みきさんが自分から会いたいと思って行動してくれなかったら、みきさんと出会うことはなかった。そのとき私が「会いません」と答えていたらやはり出会うことはなかったし、こうして対談することもなかったと思います。
私も7年前「家族の会で当事者として10分間しゃべってもらえないか」と頼まれたときに「いやです」と断っていたら、当事者として活動する今の私はなかったと思っています。こういう出会いは偶然だとか人から誘われたように見えるかもしれないけれど、実は自分で決めて歩いている道なんだよね。
――当時、みきさんは診断から5カ月くらい。なぜ丹野さんに会ってみたいと思ったんですか? 丹野さんに何を求めていたのでしょう。
みき 私の住む地域には若年性かどうかという以前に認知症の当事者の会とか家族会がなくて、孤立していたんですね。探せばサポートはあったかもしれませんが、その頃は家から出るのもつらくてそこまでのエネルギーがなかった。丹野さんの本を通して年齢が近いことや、いろいろな活動をしていらっしゃることを知り、アドバイスをいただきたかったんですね。そこからいろいろな方とつながってみたいと思いました。
丹野 同じくらいの年齢の人と話をしてみたいという気持ちは、よくわかります。私が診断されたのは30代で、当時そのくらいの年齢の認知症に関する情報はほとんどなかった。同世代の当事者と話したくても、一番年齢の近い人で50代くらいでしたから。
「認知症のイメージ」が独り歩きしている
みき 初めて会った丹野さんは、笑顔が素敵だし、前向きでした。私、失礼なことに「本当に認知症ですか?」って聞いてしまったんです。無知だったんですよね。
丹野 言われ慣れているから何とも思わないよ。初めはいろいろな人に「認知症らしくない」と言われるのがとても嫌でね。自分の認知症を周囲に否定されているような気がした。たぶんみんな元気づけるために言ってくれているんだろうけど、当事者にとってはつらく感じるとき時もある。かといって「認知症らしい」と言われるのも嫌だしね。
みき 最近、私も講演会のあと会場にいらした方と雑談している時に「誤診じゃないですか」「治るんじゃないですか」と言われることもあります。
丹野 世間の多くの人が抱く「認知症のイメージ」と違うから、そういう言葉が出ちゃうんじゃないかな。たとえば認知症に関する冊子一つとっても、おじいさんやおばあさんが道に迷って困っているようなイラストが描かれていますからね。
――みきさんは、診断される前までは認知症をどんなイメージで捉えていましたか?
みき 私が受診するきっかけになったのは、若年性アルツハイマー型認知症を扱ったドラマを見たことでした。その主人公は認知症の診断から10年後に誤嚥性肺炎で亡くなるというストーリーだったんですね。ネットなどで認知症の予後を調べると5~7年で寝たきり、10年で死亡というような情報も出てきて、自分の命はあと10年ほどしかないのかと絶望的になりました。主治医などから正確な情報を得られるようになった今は「そうじゃない」と思いつつも、どこかに不安はありますね。
丹野 認知症が増えるのは70代以降ですよね。10年経つと80代で本来の寿命に近づくのに、「認知症による寿命」のように書くから、みんな戸惑ってしまうんだよね。
つながれば誰かが助けてくれる
――お二人は初対面で「LINE」を交換し、すぐにやりとりが始まったとか。
丹野 家に引きこもっていると聞いたので、まずいと思ったんですね。朝「おはよう」から始めて、「布団から出てみよう」とか「カーテン開けてみて」とか送ってね。「外に出るんだよ」と送ったときは、「出ました! でも役所に行ってもいい情報がなくて落ち込みました」と返ってきたので、「よくある話だよ。私も同じだったよ」って。
みき 当事者同士なので共感してもらえる。それが嬉しかったですね。さらに丹野さんに当事者の集いの場のようなものがあるかどうかを聞いてみたら、八王子に若年性認知症の人たちが通っている楽しいデイサービスがあるよと返ってきたんです。それが「DAYS!BLGはちおうじ」でした。
でも当時はデイサービスという仕組みもよくわかっていなかったんですよね。そしたら初めて東京都の若年性認知症総合支援センターに面談に伺った際に、大雨の中、代表の守谷さんがご多忙にもかかわらず話をしに来てくださったんです。
丹野 みきさんは東京の人だから、東京の人につなげようと思ったの。そのあと渋谷で私の講演があった時に、みきさんやDAYS!BLGの仲間、私の知り合いも来てくれたので、みんなにみきさんを紹介したんですよね。みきさんには「紹介はしたけど、気持ちが落ち着いたらでもいいし、つながりたくなければつながらなくていいんだよ。つながりたければつながってね」と話しました。私が言ったからという理由ではうまくいかないから、自分からつながればいいなって。そうしたらすぐにみんなとFacebookでつながってくれたんですよね。
――LINEにFacebookとは……すごく現代っぽい出会いですね。丹野さんはよく「つながっておけば誰かが助けてくれるから安心」とおっしゃいますが、みきさんの場合はどうですか?
みき 私にとっても支えというか、安心感です。SNSでネガティブな投稿をしたりたわいもないことをつぶやいたりしても、コメントをしてくださる方がいる。自宅で寂しいときも気持ちが落ちているときでも、見えないけれど常に人と会話をしている感覚があって、パワーになっています。