介護と美容「きれいでいたい」と「働きたい」を繋ぐ研究所
更新日 取材・撮影/永井美帆
介護のイメージを華やかで、楽しいものに変えたい――。そんな思いを抱き、美容や専門教育の世界から介護業界に飛び込んだ山際聡さんは、2015年にミライプロジェクト(本社・東京)を創設し、「介護」と「美容」の切り口で就職支援や訪問美容などの事業を展開しています。そして18年4月、東京・原宿に介護の知識を持つ訪問美容師や、メイクやネイルケアなどを提供できる介護職を育成する「介護美容研究所」を開校しました。19年1月には1期生が卒業し、介護の現場に「美容」を提供し始めています。そうした介護美容について、山際さんと同社で広報を担当する中野路子さんに話を聞きました。
山際聡(やまぎわ・さとし)
1978年生まれ。2003年日本大学経済学部卒業後、ファッションやヘアメイクなどの専門スクールを運営する「バンタン」に入社。スクール運営や営業、マーケティング、新規事業の立ち上げなどを担当する。11年に独立し、コンサルタント事業を開始。横浜や中国・上海にウェブデザインや美容の専門学校を立ち上げる。14年、日本メイクアップ技術検定協会に移籍し、美容室向けの広告営業や美容関連セミナー事業などに携わる。15年、ミライプロジェクトを設立。
中野路子(なかの・みちこ)
1980年生まれ。2003年千葉大学法経学部経済学科卒業後、デザインの専門スクールでスクール運営や広報などを担当。その後、アニメやゲーム、漫画などのコンテンツを扱う企業でプロモーション企画や運営に携わる。17年に広報・販促担当としてミライプロジェクトに参画。現在はスクール部門と訪問美容部門の運営を担当している。
――「介護美容」という言葉を少しずつ耳にするようになりました。山際さんが介護美容に携わるようになった理由を教えてください。
山際 もともと美容系の専門スクールを運営する企業で働いていました。美容業界って、「学びたい」という若い人はたくさんいても、その「出口」となる現場はすでに飽和状態です。全国に理・美容室は30万店ほどあって、かつては美容師1人あたり平均100万円ほどだった1カ月の売り上げが、今は60万円ほどになったと言われており、業界自体が縮小しつつあります。教育に携わりながら、需要が少なくなってきた現場に人材を送り出すことに疑問を持つようになり、「じゃあ、人を必要としている業界はどこだろう?」と考えた時、真っ先に介護業界だと思ったんですね。
現在、約30万人の人手が足りないと言われていて、国や自治体が待遇改善を図り、大手企業も参入するなどして、ずいぶんと環境が変わりました。しかし、まだまだ「つらい」「給料が安い」というイメージが先行しているのも事実です。一方で、美容業界には「華やか」「楽しそう」というイメージがありますよね。考えが浅かろうが、華やかで楽しそうであることは人が何か始める動機になります。まずは介護業界の職業的な魅力を上げることが大切だと考えました。
そんな時に、知人から「認知症の母親にお化粧をしてあげたら元気になって、久しぶりに名前を呼んでくれた」という話を聞いたんです。美容の力ってすごいですよね。私の祖母も、足が悪くなってあまり出掛けられなくなっても、毎日必ずお化粧をしていたし、何かの折には「美容室に行きたい」と言っていました。いくつになってもきれいでいたいと思うのは当たり前のことです。だから、介護にも美容の視点は必要だと考えています。
――それで2015年11月にミライプロジェクトを立ち上げたんですね。当初、介護美容はどれくらい認知されていたんでしょうか?
山際 介護施設や自宅を訪ねて髪を切ったり、パーマやカラーをしたりする訪問美容事業者はありましたが、まだ数は少なかったですし、介護美容の認知度も低かったです。しかし、今後絶対に必要となる仕事なので、始める動機や効率的に学んで現場に出られる仕組みが必要だと考え、創業しました。当初からスクールを運営する計画はありましたが、まずは就職支援事業から始めました。介護業界には費用の問題から求人サイトで募集をかけられない事業者が多く存在します。そこで、約1万の介護施設や医療機関と提携し、専門コーディネーターが求職者の希望や生活環境に合った就職先を紹介しています。
――2018年4月には介護美容の専門教育機関「介護美容研究所」が開校しました。どのようなスクールでしょうか?
中野 訪問美容コースとケアビューティーコースがあります。訪問美容コースは理・美容師の資格を持っている技術者に、介護や訪問美容ならではの技術と知識を身につけてもらう講座で、東京都の認可を得て授業の一環で介護職員初任者研修も開講しています。ほかにも、寝たきりの高齢者の髪をカットする技術や、自宅に持ち込める可動式シャンプー台の使い方、認知症の方との接し方などを現場実習も交えて週1回、6カ月かけて習得していきます。
ケアビューティーコースは、介護現場で実践できるメイクやネイル、エステなどのスキルを総合的に学びます。介護職員や看護師など、すでに介護業に携わっている人が美容ケアの必要性を感じ、入学するケースが多いですね。高齢者は認知症や片まひ、背中が丸まる円背(えんぱい)、関節が動かしにくくなる拘縮(こうしゅく)などのさまざまな疾患を持っていることが多いので、「介護現場ならでは」の実践的なスキルを6カ月、または1年かけて身につけます。どちらのコースもこれまで約70人が学んできました。卒業後は個人事業主として訪問美容を始める方が多いので、施設への営業方法や契約書の交わし方など、ビジネス上のノウハウも教えています。
山際 年々、入学希望者や企業からの問い合わせが増えていて、2020年には大阪校を開校予定です。その後、福岡校の開校も目指しています。
――卒業生はどんな場所で活躍をしていますか?
山際 個人で介護施設と契約を結んで訪問美容をしたり、地域でメイクの講習会を開いたり、幅広く活躍しています。また、2019年から卒業生を施設や自宅に派遣する訪問美容事業「Care sweet」を始めました。オンライン上で利用者からの予約を受け付け、卒業生の理・美容師やケアビューティストを派遣しています。東京、神奈川、千葉、埼玉のみの展開ですが、今後は派遣エリアを拡大し、より利用しやすい環境を整えていきます。
――介護美容の広がりを感じますが、今、抱えている課題はありますか?
山際 やっぱり介護業界全体の人手不足です。介護美容の大切さは理解していても、日常的なケアにかける十分な人手が確保された上で初めて付加価値が提供できます。少し話がそれますが、現在、免許を持っているのに美容師として働いていない休眠美容師が約75万人いるそうです。同様に元ネイリスト、元美容部員、元エステティシャンも大勢いるはずです。ほとんどが出産や子育てによって仕事を離れてしまった女性ですが、訪問美容が彼女たちの活躍の場になればとも思います。介護施設や訪問美容の利用時間は大体夕方までなので、子育てをしながら働きやすく、これまで培ってきた技術や経験をいかす場にもなります。現状、Care sweetは介護美容研究所の卒業生のみの登録に限っていますが、今後は休眠美容師も含めて登録の幅を広げていく予定です。こういった他業界からも入ってきやすい環境を作ることは、介護業界全体の担い手を増やすことにもつながると考えています。
――最後に、今後の夢や目標があれば教えてください。
中野 2025年には団塊の世代が全て後期高齢者になると言われています。これまで当たり前に美容室に行って、メイクをして、おしゃれを楽しんできた方たちが高齢になり、自由に出掛けられなくなる日がやってきます。そうした高齢者を美容の力で元気づけられるよう、若い世代の育成をサポートしていきたいですね。
山際 私は介護美容が社会の仕組みの一つになって欲しいと思っています。人間は衣食住だけでは生きていけません。ちょっとしたぜいたくや楽しみがあるから、生きる活力になります。医療や介護の分野は国や行政主導で行われることが多いですが、「介護に美容の視点も必要だよね」という認識が広がり、私たちのような企業がビジネスとして成立させることができれば、介護美容が社会の仕組みになっていくのではと期待しています。