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安藤和津さんと、介護とうつ

安藤和津さんの介護とうつ 深夜に「楽になるよ」と庭の木が呼んだ

安藤和津さんと、介護とうつ後編_1

最新の著書「“介護後”うつ」が発売になったタレントの安藤和津さん。認知症の母親を見送ったあとも長引いた「うつ」の経験から、いま介護と向き合っている人たちへのメッセージを聞きました。(前回はこちら)

――著書に、一時は死を考えたこともあると書かれていました。それはどのような状況だったのでしょう?

安藤 あれは母が亡くなる少し前でした。もうベッドから起きることも寝がえりをうつこともできなくなった母が、夜中に何度も「かづさーん、かづさーん!」と私を呼ぶのです。おかげで私は、常に睡眠不足。ちゃんと眠れるのは、1日2時間くらいしかありません。

その頃住んでいた赤坂のマンションの庭には、大きな木が1本ありました。昼は他の草や花に隠れて目立たないのですが、夜になるとその木だけがやけに大きく見える。当時、私は母の介護について記した『オムツを履いたママ』という本を執筆していましたが、原稿を書ける時間は皆が寝ている間だけ。

深夜、書きながらふと目を上げると、その木に「こっちに来たら楽になるよ」と呼ばれているような気がするのです。とは言っても、決して死にたいわけではないんですね。辛くて辛くて、「このままどこかに行っちゃいたい」という願望が湧き上がってくるとでも言いますか……。

木を眺めながら「あそこで首を吊ったら楽になるだろうなぁ」と考えていると、母の痰の吸引の時間がきてハッと我に返るのです。なので、介護という役目がなかったら危なかったかもしれないですね。あとは娘たちの存在も大きかったです。「私がいなくなったら娘たちと母の世話は誰がするの?」という考えが、サッと頭をよぎりましたから。

介護が終わっても元の自分に戻れなかった

――しかもうつは、介護が終わっても抜けなかったそうですね。

安藤 母を見送ったのは2006年の春でしたが、それまで24時間、母を中心に生活してきたので、その軸を失った私は、介護が終わっても元の自分に戻れなかったのです。いわゆる“燃え尽き症候群”のような状態だったのでしょう。引き続きうつうつと重い心身を引きずりながら、遺品整理をし、仕事をし、家族の世話をする日々。なかでも遺品整理は遅々として進まず、結局10年かかってしまいました。

今考えてみれば私の場合、表向き明るく振る舞いすぎたこと、そして周囲にうつであることを告白していなかったことも悪かったのでしょうね。うつでありながらも、表面的には普通に過ごしてしまったことが、病気を長引かせる一因になってしまったのかもしれません。

安藤和津さんと、介護とうつ後編_2

口からポーンと真っ黒いかたまりが出た

――そして、とうとう安藤さんのうつが抜ける日が来ました。

安藤 うつって、本当に抜けるんですね。2017年のクリスマス前、一人で家の掃除をしていた時のことでした。つけっぱなしにしていたテレビのお笑い番組を観て「あはは!」と大笑いしてしまったんです。その瞬間、まるで『となりのトトロ』の“まっくろくろすけ”が口の中からポーンと飛び出したように、胸の中の黒いかたまりが抜け出ていったように感じました。

それまでは、自分が透明な箱の中に閉じ込められているような気持ちで過ごしていましたが、それを機に箱が粉々になり、徐々に周囲の景色や色彩が目に入ってくるように。殺風景なモノクロの景色に、ちゃんと色が着いたのです。なかでも春のお花見で見た桜の花がきれいだったこと! うつになる前は、毎年おにぎりを握って子供たちを連れ、ブルーシートを抱えてお花見に行っていた私が、何年も花を眺める余裕すらなくしていたのですから相当です。

見上げれば真っ青な空があり「わあ、空が青い!」と、感動できたことも嬉しかった。春の香りがすれば感動し、夏の香りがすれば感動し……。いちいち小さなことで喜べることが、楽しくてたまりませんでした。以前は「歳をとったから物事に感動できなくなったんだ」と思っていましたが、そうではなくうつのせいだったんですね。大声で「アイムアライブ!(私は生きている!)」と叫びたい気持ちでした。

イキイキとした娘たちを見ることが幸せ

――現在はうつから抜けて、元気を取り戻された安藤さん。娘さんたちもご活躍ですね。

安藤 おかげさまで、長女の桃子は映画監督に、次女のサクラは女優として頑張っています。今は、娘たちがイキイキと自分の人生を生きているのを見ることが私の幸せ。別にテレビに出ているからということじゃなく、自分のやりたいことを見つけて、楽しそうに生きていてくれることが嬉しいの。本当に「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。

サクラは毎日、NHKの朝ドラ『まんぷく』に出演していますが、私としては自分の娘が出ているという感覚では観ていないんです。どんな話なのかストーリーも知りません。最後にチキンラーメンができるということだけは知っていますが(笑)。たまに撮影現場に行っても中までは入らないので、「ああ、今はこういう衣装なのね」くらいの感じです。でも、やっぱり朝から彼女の笑顔が見られるのは嬉しいです。

介護は一人で抱え込まないことが大切

――読者の中には、現在もご家族の介護をされている方がたくさんいます。安藤さんからアドバイスされるとしたら、どんなことがありますか?

安藤 私の時はまだ、介護、認知症と言う言葉が世間に浸透しておらず、医師ですら最初は認知症を疑わなかったような時代です。そういう意味では、今は皆さん情報も知識もおありになるし、以前よりずっと生きやすい世の中になってきたのだろうと思います。

介護をしている時に大切なのは、一人で抱え込まないこと。悩みを誰かと共有できることは、すごく大事だと思います。どこかに感情の持って行き場があるのとないのとでは、全然違いますから。

安藤和津さんと、介護とうつ後編_3

そして外部に協力を頼める部分は頼む。私くらいの年代になると、介護の話をすることを恥だとは思いませんが、もう少しご高齢の方になると「家の中のことを人様に言うなんて!」となりがちです。そうなると頼るところがなくなってしまう。社会から遮断されてしまう場合が多いように思います。

また介護をしていると、ゆっくりしている暇などありませんから、ニュースも観ない、新聞も読まないとなりがちです。すると徐々に情報にも置いていかれ、介護をしている人とされている人だけの、狭い、小さい世界に閉じ込められてしまうんですね。そこにどうやって外気を入れていくか。私のように家族が多くても、母と私だけが閉じた蓋の中にいて、まわりのことが見えなくなってしまう時期がありました。

自分をいたわることは罪ではありません

――まず介護をする人が健康でないと、人を看ることはできませんものね。

安藤 本当にそう。私が自分でやってみて効果があったのは、体を動かすことと、自分の体をマッサージしてあげることでした。難しいことではないんです。ゆっくりお風呂につかって、凝り固まった体を少しずつ解いていくだけ。シャワーではなく、やはり湯船につかることですよね。お湯の中で足や手、肩などを揉みほぐしたり、首を回したり。

自分をいたわることを罪だと思う必要はありません。介護をしている人が、自分をいたわることに罪悪感を持ってはいけないと思います。と言うより、まわりが「休みなさい」と声をかけてあげることが大事かもしれませんね。たとえば家族がいるご家庭なら、ご主人が「お前1時間でもいいから美容院に行っておいでよ。その間僕が看てるから」でもいいし、子供たちが「お母さん、何かあったら知らせるから、ケータイ持って気分転換してきなよ」でもいい。1人でもそういう心配りをしてあげる人がいると、ずいぶん違うと思います。

大きく息を吸って、胸を張って生きる

あとは深呼吸。1日1分でも2分でも、深呼吸する時間を持ってほしいと思います。介護をしていた時期、私はろくに息もしていませんでした。いろいろな人に「あなた息が浅いんじゃないの?」と言われたけれど、その時は「うるさいなあ。息が浅いってどういう意味?」と思っていましたからね。本当にあの時、素直に聞いていれば良かったです。(笑)

「胸を張って生きる」ということも大切です。胸を張れば目線が上に向けられ、大きく息が吸えますが、うつむいていると思考も閉鎖的になってしまいますから。私は母の介護ですっかり“介護首”になってしまいましたが、意識して胸を張るようにしていたら、首の角度もだいぶ元通りになってきました。

こうやってお話をしても、介護の最中にいる人に私の声は届かないかもしれません。なのでぜひ、周囲にいる人たちが気を配り、声をかけてあげてください。あくまでもご自分あっての介護です。ぜひご自身をいたわりながら、大切なご家族を看て差し上げてくださいね。

(終わり)

あんどう・かづ
1948年生まれ。タレント、エッセイスト。夫は俳優・映画監督の奥田瑛二氏さん、長女は映画監督の安藤桃子さん、二女は女優の安藤サクラさん。コメンテーターとして、TV番組「情報ライブミヤネ屋」などに出演するほか、自身の介護体験をもとにした著書多数。講演活動もおこなう。
安藤和津さん_書影
「“介護後”うつ」(光文社、1,404円 税込み)

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