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第7回「共に生きる」認知症を考えるオンラインセミナー~Talk with 話そう。認知症のこと。

オンラインセミナーの登壇者。左から樋田かおり氏(司会)、遠藤健・SOMPOホールディングス株式会社介護・シニア事業オーナー執行役およびSOMPOケア株式会社代表取締役会長CEO、町亞聖氏、いとうまい子氏、松本一生氏、恩蔵絢子氏、奈倉道隆氏、鎌田松代・公益社団法人「認知症の人と家族の会」代表理事

アルツハイマー月間の9月最終日の30日、第7回「『共に生きる』認知症を考えるオンラインセミナー~“Talk with”みんなで話そう~」が、開催されました。認知症が身近な現実になったとき、人はどのようなバリア(壁)にぶつかり、それをどう乗り越えていけばいいのでしょうか。“認知症と共にある社会”に向けて、私たちに何ができるかを考えていきます。介護家族でもある脳科学者、専門医による基調講演と、軽度認知障害(MCI)と診断された当事者らを交えて行われたパネルディスカッションの様子をご紹介します。

◆基調講演1「脳科学を超える」

脳科学者 恩蔵絢子氏

母の変化にとまどう日々

「母が認知症かもしれない」という疑いを持ったとき、私は怖くて仕方がありませんでした。今は治す薬がないこと、進行性の病だと言われていること、この先いろいろなことができなくなっていつかは寝たきりになってしまうのではないか。そして脳科学的には人格が変わってしまうということも言われていて、母がこの先、母ではなくなってしまうのではないか――このことが一番怖くて、毎晩泣いているという状況でした。
母はピアノの先生として仕事をし、趣味で合唱団にも入って活動するなど、積極的で明るい人でした。さらに家事一切を引き受けてくれていて、私たち家族は全てを母に頼りきっていました。そんな母が2015年の秋、65歳という若さでアルツハイマー型認知症と診断されました。ある時期から毎日何かしら失敗をするようになり、これまで引き受けてくれていたことをやっていないことも増え、「なんで約束を破るの!」と母を責めてしまうこともありました。母は次第に真っ青な顔になって何もやらなくなってしまいました。

音楽が大好きだった母(左から2番目)

認知症になると「その人らしさ」は変わってしまう?

認知症は人格に変化が起こるとお話ししましたが、「神経症的傾向が上がることで、いろいろなことに不安を感じて妄想的になってしまうことがある」と言われています。母のように行動的だった人がどこにも行きたがらなくなる、人に会いたがらなくなる――。そんな変化をたくさんの方が経験するというデータもあります。
しかしこれが本当に「その人らしさ」なのだとしたら、認知症の人はみんな同じ性格になってしまいます。私は、「アルツハイマー型認知症になると本当に『その人らしさ』が変わるのか」ということを確かめたいと思うようになりました。

母の変化は、「海馬」が原因だった

病院で脳の画像を撮影してもらったところ、医師からは、記憶の中枢と言われる「海馬」が年相応以上に萎縮しているといわれました。脳科学では、「海馬が傷つくと新しいことを覚えづらくなる。しかし昔の記憶には問題がない」ということがわかっています。そうであれば「母が最近のことが覚えられないのは仕方がないことなのだ」と思えるようになりました。
得意だった料理をしなくなったのも、海馬が問題だということに気づきます。料理は複雑な工程が組み合わさっているので、どこまでやったかを覚えていられなければうまく完成できないから、怖くてやりたくなくなってしまう。それでもなんとか一生懸命作ったのに、家族から「いつもの味と違う」と責められたら、不安の上塗りだったのだろうと気づきました。

「母の問題が海馬にある」と気づくと解決策も見えてきて、私は母とともに台所に立つことにしました。そばで今、何をやっているのか、一言添えて思い出させてあげるだけで、母は料理を作り続け、料理をする時間を楽しんでくれるようになりました。私は、「進行性の病気といえども一度できなくなったら次々できなくなるわけではない。手伝ってくれる人がいたら何度でも(以前のように)戻れるのだ」ということを発見したのです。
また母は、料理を作り上げたときによく、「チビちゃんはどこに行ったの?」という言葉を口にしました。当初は「我が家に子どもはいないのに、何言っているの?」とびっくりしましたが、よくよく考えたら“チビちゃん”は母の記憶にある子ども時代の私と兄。そして母の中で「子ども」の存在はとても大きかったのだとわかるようになってきたのです。アルツハイマー型認知症は、その人が人生で大事にしていたものが見える病気なのだと私は思っています。

認知症になったからこそ気づけたこと

認知症と診断されたばかりの頃は私自身も科学者として自立できたかどうかという時期でした。母に「こういう大学で授業を持たせてもらえるようになった」などと報告すると、そのときは喜んでくれるのですが、すぐに忘れてしまって悲しい思いをしていました。しかしそんな生活を2年間繰り返しているうちに、母の方から出がけに「お仕事頑張ってね」と声をかけてくれたのです。細かいことは覚えていなくても、「この子はどうやら仕事を頑張っているようだ」ということは覚えている。認知症になっても覚えられることがあって、さらに子どもを応援する気持ちはずっと持っている――。私はうれしくなって「行ってきます」と言ってドアを閉めました。するとしばらく経った後に鍵をかける音がして、母は私が小学校の時から子どもが「締め出された」という思いをしないようにしばらく待ってからそっと鍵をかけていたことに気づきました。母の子どもに対する思いや愛情は認知症になっても何ら変わることはないと発見することができたのです。

私たちは何もできない赤ちゃんのときから成長するにつれ、いろいろなことができるようになっていくので、「能力は伸びていかなければならない」と思いこんでいます。高齢になったり認知症になったりしてそれがかなわなくなると、絶望したり怖いと思ってしまったりしますが、これはあくまでも能力の話で、私たち人間には「感情」があります。
母の脳画像を見ても、認知症が重度になってからもしっかりと残っている部位はたくさんありました。傷ついた部分ばかり見てしまいがちですが、残っている部分にもきちんと目を向ける必要があると思います。

能力を見るのではなく、「感情」に目を向ける

そうは言っても私も介護生活に行き詰まり、感情が止まってしまったことがありました。母を助ける量が自分の生活を圧迫し、やり過ぎてしまっていたんですね。その時にケアマネジャーさんから、「最近、“必要な言葉”以外を使っていますか?」と言われました。
ケアマネジャーさんが「このお花きれいですね」と語りかけると、母は「うん、きれいね」などと答えていました。一方、当時の私は「これ食べて」「着替えて」「お風呂に入って」といった衣食住に必要なことだけに一生懸命になっていました。こうしたお願いの言葉ばかり使っているとその人が見えなくなってしまいます。生活上の必要性とはあまり関係のない言葉を使うと母の内面にきれいな世界が広がっていて、さまざまな色が見えていることがわかり、無駄と思われることにこそ、「豊かなその人」を知るチャンスがあることに気づきました。
私の結論は、「認知症になってもその人らしさは残っている」ということです。そして「その人を見る」というのは、能力ではなく「感情を見る」ことなのだと思いました。

◆基調講演2「医師と患者・家族のバリアを超える」

松本診療所(ものわすれクリニック)院長
大阪公立大学大学院客員教授 松本一生氏

病気を知ることが安心につながる

僕が認知症の診療をするようになってから、33年が経過しました。認知症は自覚できない病気だと思っている方が多いかもしれません。僕は、「病気を自覚するまでの時間に差があること」が、認知症の一つの特徴だと思っています。

2020年までに当院を受診した患者さん9027人のうち、初診の段階で6割以上(5641人)の方が自分の記憶の課題に気づいていました。このことからも、認知症の当事者は何もわかっていない人ではないわけで、もっと「心」に注目しなければいけないことがわかると思います。一方、不都合を感じるまで1年かかった人は1200人以上、2年かかった人も600人以上いて、本人に病気の認識がない場合もあります。日々の診察の中でも、自分の病気が気になっている方に寄り添うこと、そしてご本人に病識(病気であるという自覚)がない場合は家族も当事者と考えて寄り添っていくことが、最も大事だと思っています。

このグラフは3人の方をランダムに選んで、4年間にわたって長谷川式検査(認知症の疑いのある人をスクリーニングするための簡易認知機能検査)の点数の経過を見たものです。3人とも20点そこそこ、いわゆる認知症の初期から受診していますが、黄色の方だけほかの2人に比べると、特に1年から1年半の間にずいぶん悪くなっています。
この差をつくっているのは「本人の安心感」なんです。同じように病気と診断されたとしても、ご本人とご家族にさまざまな情報を伝え、サポートしていく。不安や絶望の中で人生を送るのではなく、病気を理解し安心できる環境をととのえることが、病気の悪化を防ぐことにもつながっていきます。

私は医師という立場なので、かつては「患者さんを診察してあげる」「支えてあげる」などと考えてきました。しかし医師になって数年目に認知症の当事者の男性から言われたことがきっかけで、「それは違うのではないか」と思うようになりました。その方は、「あなたが僕を治すことはできないことはわかっています。治せない医者でも僕と付き合ってくれますよね。僕が決められなくなるまで、自己決定できなくなるまで僕を見守ってくれますか」とおっしゃったんですね。僕はこの言葉を通して、実は僕自身が支えられていたことに気づきました。

介護家族の苦悩をやわらげるのは、話を聞いてくれる人の存在

介護家族の心には、いくつかの段階があります。認知症の当事者もですが、むしろ介護家族の方が診断に驚き、診断名を聞いたことを忘れたり、否認したりすることさえあります。
しかも、認知症当事者の何度も繰り返される物忘れや混乱は、いつも近しくケアしてくれる家族に向いてしまいます。昼夜逆転や攻撃的な行動をされたりすると、いくら一生懸命介護しようと思っても「怒り」が出てきます。そんな状況に陥っても、周りで耳を傾けて聞いてくれる存在があることで家族の気持ちは適応し、傷ついた心は再起すると考えられます。

新しい症状が出てくるとまた否認や怒りに戻り、再び誰かの力を借りて適応する――家族の気持ちは適応と否認の間を行きつ戻りつするでしょう。誰にも聞いてもらえずに自分の内面にその怒りを向けてしまうと、うつになったり、介護にバーンアウトしたりすることも少なくありません。

僕自身もパーキンソン病の妻の介護をするようになって、9年半が経ちます。その前に妻の母親がうつになり、もの忘れが始まって、27年間妻と一緒に介護をしました。その経験から、今、認知症で混乱している当事者と向き合っているご家族に絶望が生じないようにしてあげたいと思っています。
当院を受診した患者さんの中から5人をランダムに抜き出し、1カ月に何回くらい混乱状態が続いたかを示したデータがあります。介護が始まって1年目は月平均4回だったものが8回、36回…と増えていき、3年目か4年目ぐらいにピークを迎えます。その頃が家族にとって最も大変ですが、その時期は未来永劫(えいごう)続かない。いずれ症状が改善することもある。そんな情報も介護家族に提供するようにしています。
とはいえやはり、介護をする人のストレスは大きく、心身にさまざまな症状が出てきます。高血圧、血管障害、糖尿病…がんを発症した方もいらっしゃいます。特にメンタル面の課題が出た介護者はとても多く、介護を通じて心に不調をきたしているという現実があります。

認知症も介護も特別なことではない

介護家族としての自分を振り返ってみると、諦めなければならないことが山ほどありました。自暴自棄になる自分を自制できなくなって無気力になり、限界を感じることもありました。天を恨み、怒りの塊だったかもしれません。ところが日々妻を介護する中で、例えば買い物に行ったお店の店員さんも実は介護家族で、その人と介護の話をするなど、新しいつながりができて、ちょっとした笑いもある。絶望・受容の先に希望も見えてきました。
僕は、医師として支援や寄り添いをしているつもりでいましたが、「当事者やご家族から支えられている自分」も日々感じています。そして認知機能に課題がある人が700万人に迫ろうという中で、「認知症も、その介護も特別なことではない」と思えるようになりました。わが事として当たり前のように受け止め、共感していきたいと考えています。

パネルディスカッション「社会にあるバリアを超える」

 ファシリテーターを務めますフリーアナウンサーの町亞聖です。社会には、認知症をめぐるいろいろなバリアがあると思います。パネルディスカッションでは、そのバリアをどうやって超えるのか、知恵を出していきたいと思います。
パネルディスカッションから加わってくださる奈倉さんは75歳でMCI(軽度認知障害)と診断されましたが、89歳になられた今もデイサービスにボランティアとして参加されるなど活発に活動しておられます。

奈倉道隆氏

奈倉 私は60年前に認知症になった親族の介護を経験していたので、検査で自分の脳に萎縮があるとわかったときはそれほどショックではなかったんですね。ただこれからの生き方で少し悩みました。その1年後に新しく大学院を作る仕事を引き受けてしまっていて、認知症があるとできないなぁと。専門医に相談に行ったら、「その仕事をやりたかったらやりなさいよ。講義ができなくなったり、通えなくなったりしたら、その時はまた相談に乗りますから」と、背中を押してくださった。サポートしてくださったんですね。その後3年間講義を続けられたことが、自信になりました。最近検査をしたら脳の萎縮は進んでいなくて、元気に生活できています。

 いとうさんは認知症のお母様を介護された経験があり、本日は介護家族の立場で参加してくださいます。

いとうまい子氏

入院で認知症が急に進んでしまった…

いとう 母は今年の2月に亡くなったのですが、1年前に体調を崩し、間質性肺炎と心疾患と診断されました。入院したら急に認知(機能)があやふやになって日を追うごとにぼんやりするようになったんですね。病院では「そんなにひどくはないけど、認知症が始まっていますね」と言われました。その後、肺の水は抜けて退院はできたものの、以前の母には戻らない。やる気もない。かわいがっていた猫にごはんや持病の薬をあげることも忘れるようになってしまいました。インターホンが鳴ったりするとあわてて転倒して骨折し、また入院して。入院が長くなればなるほどぼんやりとしてしまった気がします。

※いとうまい子さんの介護経験については以下のサイトでも読むことができます。
インタビュー記事『「今できることは、今してあげて」 両親を看取った今、いとうまい子さんが思うこと』

 恩蔵さんも同じような経験をされたそうですね。

恩蔵 そうなんです。母は今年5月になくなったのですが、1月に骨折で入院して「簡単な手術だから次の日からリハビリができるよ」と言われていたんですが、認知症のために指示が届きにくいから、リハビリが進まない。3カ月後に退院するときは寝たきりになってしまいました。けれど、印象的なことがあって、入院中に面会禁止だったのですが1回だけ父と私で母に会うことができ、そのとき母は私たちの顔を見たら立ったのです。指示、つまり言葉は分からなくても気持ちが動いたら人間は立てるのだなと思いました。

松本 入院したら、病院はその病気を治してあげたい。いとうさんの場合は間質性肺炎、恩蔵さんの場合は骨折ですね。しかし治療ばかりに目が向くとコミュニケーションがとりづらくなり、高齢の方の場合は認知機能の状態を悪くさせてしまいます。以前と比べるとずいぶん病院の意識も変わり、リハビリには力を入れてくれてはいますが、自宅に戻って生活することも視野に入れた積極的なリハビリテーションをより一層やっていかなければならないと思います。

奈倉 私の専門の老年科では認知症を持ちながらも健やかに生きられる道を考えていきます。考え方を転換して、道に迷っても誰かに聞けばいいのです。そういう生活の訓練が重要で、医療よりも生活に注目する。特にこれからは若年認知症が増えますから、働き続けるためのサポートが必要です。サポートは介護とは違って、対等な立場で、相手が自分でやろうとしていることには絶対に手を出さない。やりやすい環境を作り、大きな間違いをしそうなときにはさっと補佐をするという様にサポートする側も訓練が必要です。認知症を普通の病気と捉え、早期に受診して働けるようにサポートしていくことが必要でしょう。

 家族は本人の元気な頃を知っているので頭では分かっていても、認知症の人にできないことが増えてくると「なぜできないの!」と思ってしまいます。視聴者のみなさんからも事前に「同じことを何度も言われてイライラしてつい強い口調で話してしまう。みなさんはどうやって感情をコントロールしているのか」といった質問も寄せられています

いとう 親は生まれたときから育ててくれているので、子どもにとっては万能の人。なんでもできる人ができなくなっていくのを認めたくない自分がいるのだと思うんですよね。目の前にその状況があるのに、いやいやそんなはずはないと思い込みたくて、強く言ってしまうのではないでしょうか。

 松本先生も奥様を介護されていますけど、お医者さんだから寄り添うことはできますよね?

松本 そんなことができたら苦労しません(笑)。専門職は役割として人に支援やアドバイスすることは得意ですが、むしろ専門職こそ身内の介護は難しいのではないでしょうか。介護は60点をめざすことすら難しくて、自分の中では30点くらい。あとはみんなの助けを借りながら、自分が孤立しないように介護をしています。できないことがあってもいいと思います。

恩蔵 関係性が近い家族だからこそ難しい。私も激しい言葉をたくさん使いました。ただ無理に笑顔を作っても、母と私の関係ではないような気がして。だから怒っても「ママと私だったらそういうことがあってもいい」と思うようにしていました。

 いとうさんは、どうコントロールしていましたか。

いとう あるとき母がおむつをつけるのを嫌がって、トイレに流して詰まらせてしまったんですね。汚物があふれた状態を見て途方にくれましたが、そこから意識が変わって、これはゲームだと。いかに次にすごいことが起こってもそこに対処できるように事前にやっておこうと。そうなってからはイライラが減りました。「母はわが子」という感覚になったような気がします。どこかで自分の考え方を変えられる瞬間がやってくると、楽になるかもしれません。

松本 僕は、昔、「5回と30分の法則」というのを作ったことがあるんです。同じことを5回聞くとどんな達人でもイライラしてくる。介護をしている人に、「イライラしている自分をいけないと思わなくていい」ということを伝えたかったのです。家族がかかわればかかわるほどご本人は混乱することもあるので、「30分努力してみておさまらないなら、ご本人の安全を確保した上で、いったん目の前から離れて、もう一回仕切り直しをした方がいいよ」と。すべての方に当てはまるわけではないけど、自分がシャカリキになって「より何かしなくてはいけない」と思わなくてもいいように、法則を考えてみたのです。

奈倉 長寿の時代ですから、人間一人では生きられないことはわかっているわけです。人を支える代わりに、自分もサポートしてもらう。認知症を隠すとか、治らないから医療は受けないとか、認知症に目を背けるのではなく、正面から取り組む必要があります。生き方の転換が大事で、あまり認知症を病気と考えないで、「認知症をきっかけに長寿の時代に私はどう生きるか」を考えてみる。そうすればおのずと認知症への対応の仕方もわかり、バリアを超える道も見えてくるのではないでしょうか。

認知症とともにある社会に向けて、暮らしの中にあるバリアとは

 ここからは、パネルディスカッションのテーマ「社会にあるバリアを超える」について深掘りしていきます。まず、みなさんは、認知症をめぐるバリアをどのように考えていますか?

いとう 認知症は治らないと思ってしまっているので、自分がなるのも怖いし、家族がなるのも心配。そういう考え方が、認知症を理解しようというところにいきにくい状態を作り出している気がするんですよね。でも奈倉先生のようにお元気な方もいらっしゃる。いろいろな方がいることを知って私たちも勉強していくことで、バリアを一つ超えられるような気がします。それが第一歩なのではないでしょうか。

恩蔵 私は、「言葉」にまだバリアがあると思っています。言葉によるコミュニケーションがうまく取れなくなり、たとえば、(親しい人が認知症になって)自分の名前を間違えられたりすれば落ち込んでしまう。認知症の勉強はテキストではなく、本当はコミュニケーションでするものではないかなと思います。どうすればこの人と言葉以外の手段でこの人とつながることができるだろう。そういうことで失敗を繰り返しながらつかむということが、これから大事なんじゃないかなと思っています。

ファシリテーターの町亞聖氏

 どのようにバリアを乗り越えていけばいいのでしょうか。

恩蔵 たとえば母が私の名前を母の妹の名前と間違えたとしたら、母にとっての妹のような存在と間違えている。母にとっては、娘も、妹のような存在も両方かわいい。つまり「大体合っている」という領域で起こることなので、(名前は間違ったけど)母は私のことをかわいいと思っていることに変わりはない。気持ちを見るってそういうことかなって思います。

松本 僕は自分の中にある「イメージのバリア」が大きかったと思っています。介護や医療、福祉、それぞれについて自分の専門性への意識を持つことは大事だけれど、逆に狭くなりすぎてしまいます。「医療だから医療だけ」「介護の仕事だから医療には口出ししない」というのではなく、いろいろなことでバリアをなくしていくのは、とても大事です。
「限定してしまう自分の気持ち」が敵だったかなと思うんですね。症状だけを見てしまいがちですが、生活全般を見た上でその人を支えることが大事だと思っています。

奈倉 当事者も「内なるバリア」を超えていくことが大事だと思います。いわゆる問題行動は認知症固有の症状ではなく、本人が環境に適応できないときに出てしまうものです。なぜそうなるかを理解したら、認知症に対する認識も変わると思います。環境にうまく適応できないときは、大声上げたくなるんですよ。だから上げざるを得ない気持ちで上げているんだと、まずは認めて受け入れて、本人の訴えを聞く。間違っていると思っても論争せず、「あなたはそう思うんだね」と「相手の気持ち」を認める。こういう対応をしていくと、問題行動はおさまりやすくなります。

 「本人が認知症と認めたがらない」「自分で何でもできると言い続けて人とのコミュニケーションをとろうとしない」「どのように接したらいいのか」といった質問もきています。

奈倉 それは防衛なんですよ。論争して勝てるわけじゃない。自分を守るためにほっといてくれ、立ち入るな、と最後の手段を講じている。そこを認めて、ああ困っているんだね、つらいねと。そこに共感を持てたら、相手の態度はかなり変わってきます。

 恩蔵さんは講演でお母様と一緒にお料理をする話をしておられましたが、日常生活の中でお母様の「できる」を増やしたり維持したりするために、ほかにどんな工夫をしていましたか。

恩蔵 父が母を誘って、一緒に散歩をしていました。家の中だと言葉同士を突き合わせなければなりませんが、外に出て同じリズムで歩いて、あるところまでたどり着いて家に帰ってくると、2人で何かをやり遂げた感覚を持つことができます。父の退職後に夫婦で散歩するなんて初めての経験だったらしく、母は友だちに「(夫と)こんな風に一緒に過ごせてうれしいの」と言ったそうです。散歩中に咲いている花に気づくこともあり、「ああ、母の心も動いている」と、感じました。記憶の整理にもいいと言われているので、母の精神状態を安定させてくれるものだったんじゃないかと思います。

 家族は「専門的な知識がないから」と考えがちですが、暮らしの中でできることがあるということですね。

松本 生活の中で認知症でもできることをみんなで見つけるのは、生きていく上での基本ですよね。役割が見つかると症状もすごく安定することがわかってきています。

 最後にみなさんから一言ずつ、視聴してくださっている方にメッセージをお願いします。

いとう 今回のように、認知症の方も、家族の方も、そうでない方も、みんなで話せる機会をいろいろなところで持てると、もっともっとバリアを超えていけるんじゃないかなと、今日感じました。認知症の方は、暗くならずに楽しく向き合っていただきたいなと思います。

松本 「自分はこんなものだ」とか「これ以上のことをやってはいけないんじゃないか」という自分の気持ちを乗り越えていくことが大事だと思っています。「自分にリミットをかけることをやめてみよう」ということを、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思います。

恩蔵 私は自分が「母にとっての安全な場所」であるように心がけてきました。認知症を持つ人だけでなく、自分とかかわる人が安心できる場所になれたらいいなと思っています。私自身もすごく不安なので、周囲の人にも「私が安心できる場所になってほしい」と思っていて、みんなが(誰かの)安心できる場所になれたら、きっと変わるのではないかと思いました。

奈倉 これから100歳まで生きられる時代になります。100歳まで生きる間にたいてい認知症に出会うと思うのですね。だから認知症はひとごとではなく「私」の問題だと。認知症になってもそれに負けないような生き方を今から準備しておこうと。そういう意気込みを持っていたら、多分認知症になってもそんなに落胆しないで生き生きと生きていけると思います。ただし自分だけでは生きられない。ともに生きる社会でないと、それは実現できない。だから「ともに生きる社会をみんなで作りましょう!」ということが一番大事かと思います。

 私は実は今も人を頼るのが苦手なんです。だからこそ認知症のあるなしにかかわらず、一人で耐えられなかったら頑張りすぎないで、困ったときに助けてと言える「受援力」をみんなが身につけて、お互いに助け合える社会にしていきたいと思います。みなさんありがとうございました。

SOMPOグループが取り組んでいる『“Talk with” 話そう。認知症のこと。』は、
こちらの公式サイトで詳細を確認いただけます。

恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
脳科学者。専門は自意識と感情。一緒に暮らしてきた母親が認知症になったことをきっかけに、診断から2年半、生活の中でみられる症状を記録し脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。現在、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員。近著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規)がある。
松本一生(まつもと・いっしょう)
松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪公立大学大学院客員教授、日本認知症ケア学会理事。1956年大阪市生まれ。1983年大阪歯科大卒。1990年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など。
奈倉道隆(なぐら・みちたか)
1934年生まれ、東海学園大学名誉教授。京都大学医学部卒 医学博士、老年科医。佛教大学仏教学科卒、僧侶。介護福祉士。2010年、MRI検査で脳の萎縮が見られ、軽度認知障害(MCI)の状態とされたが、大学院の特任教授を3年勤め、その後も、介護福祉施設デイサービスのボランティアなどとして活躍している。
いとうまい子(いとう・まいこ)
1983年アイドルデビュー。現在はドラマや映画で俳優をこなす一方、テレビ番組制作会社(株)ライトスタッフ代表取締役社長を務める。2010年、早稲田大学入学。修士課程では「ロコモティブシンドローム」予防のための高齢者に役立つ医療・福祉ロボットの研究に携わる。博士課程進学後は基礎老化学を研究。現在は早稲田大学大学院に研究生として所属し抗老化学を研究中。2021年より内閣府の教育未来創造会議の構成員を務めている
町亞聖(まち・あせい)
1995年、日本テレビにアナウンサーとして入社。報道局に移り、報道キャスター、厚生労働省担当記者としてがん医療、医療事故、難病などについて取材。2011年、フリーに転身。脳障害のため車椅子の生活を送っていた母と過ごした10年の日々、母と父をがんで亡くした経験をまとめた著書『十年介護』の著書がある。医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。直近では念願だった東京2020パラリンピックを取材。元ヤングケアラー。

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