認知症の人の行方不明(5)なぜ認知症の人は行方不明になるの?(後編)
取材/神 素子 写真/getty
認知症の人はなぜ行方不明になってしまうのか。アルツハイマー型認知症の母とともに暮らす脳科学者の恩蔵絢子さんから、行方不明になったときの認知症の人の心の動きや、行方不明を防ぐために家族ができる本当に大切なことを聞きました。
※ 前編から読む
行方不明になった母が、父を待っていた場所
——恩蔵さんのお母さまも、行方不明になった経験があるのですか?
デイサービスに通い始めたばかりのときでした。施設の玄関の鍵がしまっていないときに、一人でふらっと出ていってしまったらしいんです。デイサービスの場所が母の実家の近くだったので、「見覚えがあるなぁ。ここはどこだろう」という感じで出ていってしまったのかもしれません。
施設から今、私たちが暮らしている家までは7~8キロあるんですが、最終的にはその中間地点くらいで見つかりました。そのとき私は仕事で名古屋にいて、いっしょに探すことができなかったので本当に心配しました。
——見つかるまで、お母さまはずっと歩いていたのでしょうか
それはわからないのですが、途中のファミレスに入ってしばらく座っていたらしいんです。
そこは母と父が実家に帰ったときによく行くファミレスなんですが、行方不明になって少ししてから両親がそこに行ったとき、店員さんが父に「先日、奥様がおひとりでいらしてました」って教えてくれたそうです。何も注文せず、ずっと座っていたって。
きっと母はそこで、父が来るのではないかと待っていたんでしょうね。それでも来ないので、また出ていったのでしょう。
注文しない母を、お店の人があたたかく見守ってくださっていたことには、本当に感謝しかありません。
——お母さまは迷子になっていたときの記憶はないんですか?
言葉で説明することはできませんでした。だから私たちの推測に過ぎないんですけれど、見つかった場所や立ち寄った場所を考えると、少なくとも母は何もわからず無目的に歩いていたのではなく、わずかな記憶をたぐりよせながら必死で家に帰る方法を探していたのだと思います。
——その後、何か対策はとられたのですか?
母の靴にGPSを入れました。母のバッグはいくつもありますが、靴は1足だけにしたので、それに入れて履いていれば母の行方は確実にわかるという安心感があります。
賛否があるかもしれませんし、行方不明になる以前は「母に断りもなくGPSをつけるのはどうなのかな」と思っていたんですが、母の日常生活から「冒険」を奪わないためにも必要だと思うようになりました。
行方不明にさせないことは、自由を奪うことではない
——「冒険」を奪わないというのはどういう意味ですか?
人間をはじめ、すべての動物にとって「安全」と「冒険」はどちらも重要だと言われています。
冒険とは「未知の世界を探索すること」と言い換えることができると思います。
「家の中にお母さんに必要なものが全部あるんだから、外に出なくても大丈夫よ」と閉じ込めてしまっては、冒険がゼロになってしまいます。家の中がどんなに安全で、好きなものが山ほどあっても、ずっとそこにいると不安や焦燥が生まれてしまうのです。
印象深い、動物の研究があります。動物園の飼育員さんが、ライオンに毎日同じ時間に大好物のシカの肉を与えます。ライオンが喜ぶと思ってのことですが、ライオンはストレスをためてしまい、檻の中をうろうろ歩き回ったり、体をかきこわしたりしてしまうのです。
ライオンは本来、広大な草原で獲物を狩る生き物です。自然の中にいれば、ときにはネズミ1匹獲れない日もあるかもしれません。それでも自分の思うままにエサを探して走り回る「冒険」の時間が、ライオンの幸福度を高めているのです。
人間も同じで、家にどんなにたくさんの食べ物があっても、コンビニまで行っておやつを選ぶ「冒険」が必要なのではないでしょうか。過剰に守りすぎないことも、認知症の人に対しては必要なことだと思います。
——外を歩くことは運動にもなりますよね
はい。運動は認知症の進行を抑えるうえでも大切です。たとえばアルツハイマー型認知症の原因のひとつとされているアミロイドβというタンパク質の蓄積が、運動の効果によって減るという研究があります。
また、運動すれば血管が強くなりますので、脳にもよい影響があります。日中動くことで夜ぐっすり眠るようになったという人も多いですね。
※ 恩蔵絢子さんのインタビューはこちらにも
「『その人らしさ』とは何か。認知症の母と暮らす脳科学者の考察と希望(1)」
わが家の場合、母は父と2人で毎日散歩することが習慣になりました。母は言葉でのコミュニケーションが難しくなり、独り言ばかり言う時期があったので父にもストレスがたまっていたんです。でも外を散歩すると、言葉がなくてもお互い気持ちがいいようで、ストレス解消に役立っているようです。
何より、体のエネルギーを消費することで「何かしなくちゃ。家から出ていかなくちゃ」という焦燥感を減らすことができるのではないかと思います。
認知症でも、何もできなくても、「ここにいていいんだ」
——不安や焦燥感にかられる場面が減れば、行方不明になるような外出をしなくなるということですね
それが一番大切なことではないかと感じます。
最初にお話したように、認知症の人でも「何か自分にやれることがないか」という気持ちを持っています。だから「ここではないどこかなら何かできることがあるのではないか」と家を出ていくことがあるのです。
——家族は何ができるのでしょう
GPSを使ったり、必要なときには家に鍵をつけたりすることも必要だとは思うんですが、本人に「この家は安心できる居場所だ」と思ってもらえるようにすることが一番大切ではないかと思っています。そして「何かやりたい」という本人の気持ちが実現できるように、失敗をしてもいいから挑戦できるように見守ることができたらいいですね。
——それは不安にさせない、焦らせないということでしょうか
家族はどうしても「安全でいてほしい」「清潔でいてほしい」「栄養をとってほしい」と思うんですが、そういう「必要なこと」だけに一生懸命になると、本人の自由を奪ってしまうことになるんです。
私の母は今も、着替えも食事も手伝いが必要です。ただ、本人のためと言って「きれいにしてあげなくちゃ」「食べてもらわなくちゃ」と必死になると、母はよく失敗してしまいます。すると私の中に「こんなこともできないの」という気持ち出てきてしまうんです。これが正しいのになぜ従えないの?って。そうすると当然、母は家の中で「自分は劣等生だ」という気持ちを抱えてしまうことになります。
良かれと思って介護者が一生懸命になりすぎると、認知症の人を不安にさせてしまうことがあるのかもしれません。そんなとき、ケアマネさんに「必要じゃないことを話していますか?」って聞かれたんです。ハッとしました。
——「必要じゃないこと」とは、むだ話みたいな会話ですか?
そうですね。私は部屋にお花を飾って「ママ、きれいだね」「そうね」っていうような会話をするようにしました。
「これってピンク色だっけ?」と聞いたら、母にあきれた顔をされて「そうよ」って言われて、確かにそのくらいわかるよなぁって(笑)。
認知症の人は、うまく言葉が出てこないことも多いけれど、コミュニケーションが全然とれないわけではありませんよね。いろんなことを見ているし、感じている。
ささやかな笑顔のやりとりが、人を支えるのかもしれません。遠くに行かなくてもいいんだよ、ここがあなたの居場所だよ、と。
※ 前編から読む
- 恩蔵絢子(おんぞう・あやこ)
- 脳科学者。専門は自意識と感情。一緒に暮らしてきた母親が認知症になったことをきっかけに、診断から2年半、生活の中でみられる症状を記録。脳科学者として分析した『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)を2018年に出版。認知症になっても、「その人らしさ」はずっと残っていると確信している。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学の非常勤講師。近著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』(中央法規)がある。