好きな動画が今を変える ~特集「楽しむ認知症ケア」4

「そう、海軍が零戦で、陸軍が隼(ハヤブサ)ね。九五式は戦闘機で九七式は練習機なの。また零戦に乗りたいねぇ」

大きな犬のぬいぐるみの“ジョン君”と作業療法士の男性に挟まれた席で、92歳の男性患者さんが大画面に映し出される零戦のYouTube映像を見ながら楽しそうにつぶやきます。

仙台富沢病院では演劇情動療法のほか、病棟患者向けに個別に、このようなIOT療法(Internet Of Things)という認知症リハビリテーションも行っています。週に1回20分、自分の好きな映像を見ながら、リハビリテーションスタッフと自由におしゃべりを楽しむというもの。演劇情動療法と同様、患者の情動を刺激するのが狙いです。

特集・富沢病院2-1仙台
大好きな零戦が写るYouTube映像を前に、楽しいおしゃべりの弾むひととき

冒頭の患者さんは当院に入院して3カ月。前の病院では精神的に大変不安定だったといいます。リハビリテーションスタッフが患者さんの比較的機嫌のいいタイミングに“好きなもの”を聞き出し、それが“零戦”とわかってからは、週に1度、零戦の映像を見るように。

大好きな零戦の映像を見て自由にスタッフと話せるようになってからは徐々に落ち着きをみせ、気分も安定してきたといいます。この日も時おり笑顔や冗談さえも交えながら、終始、上機嫌でのYouTube鑑賞。作業療法士に「右目のところで右手をきっちり揃える」という海軍式の敬礼の仕方もアドバイスして、笑い合います。

IOT療法で見る映像は実に人それぞれ。犬や猫などの動物だったり、美空ひばりなど歌手の歌だったり、車だったり。以前に建築関係の仕事をしていた方は建築物と、かつての仕事関連の映像を選ぶ方も多くいます。

「週に1回20分というわずかな時間でも、自分の好きな関心事に集中できる時間を持つことで患者さんはとてもいい状態になれるんです」(リハビリテーションスタッフ)。 いい状態とは、本人が精神的に安定した状態になることで、BPSDの症状もコントロール出来ている状態です。

「実は認知症の患者さんは苦悩から瞬時に歓喜的情動にスイッチできる達人。演劇情動療法やIOTなどの情動療法なら、そのスイッチを押すことができます」と話すのは当院の藤井理事長です。

特集・富沢病院2-2仙台
情動療法について解説する藤井理事長。東北大学医学部臨床教授でもあります

藤井理事長によると、「脳には計算や記憶に関わる大脳新皮質という部分があるのですが、認知症になるとこの機能が低下します。しかし涙を流すほどの悲しみや喜びといった情動で刺激を与え続けると、共感力や感情をつかさどる大脳辺縁系を中心に新しい回路ができ、また記憶を引き出せるようになる」そうです。

92歳の女性患者AさんもIOT療法で記憶を引き出せた一人。Aさんが“犬好き”ということがわかったため、病院スタッフが犬の面白動画を見せたところ、病院に来て初めて楽しそうに笑ったといいます。

Aさんはそれまで、自分の生年月日も忘れて言えませんでしたが、犬の動画を見て、かつて“コロ”という犬を飼っていたことを思い出しました。そこから芋づる式に記憶が蘇り、その犬を5年ほど飼っていたこと、自分は大正15年生まれであることなど、すべて正解したそうです。 「こちらの方はMMSE(認知機能評価)検査では0点でした。大脳新皮質は機能していませんが、大脳辺縁系による情動機能は保たれていたわけです。そのため、情動への刺激から新皮質を刺激し、記憶を蘇らせることができたのです」(藤井理事長)

たとえ瞬時ではなくとも、情動療法を受け続けて1年後に、忘れてしまっていた娘の名前を再び呼ぶことができた、などの変化がある人も。 「その人ごとに心の琴線に触れるものが違いますし、いま反応していないからダメ、ということもないんです」(藤井理事長)

普段は落ち着いて座っていられない患者さんが、情動療法中はだまって座っているのもひとつの“反応”という見方も。

「患者さんのできることをほめる。楽しい時間を一緒に過ごす。そうして患者さんの心も、それまでの“人への疑いの気持ち“が“感謝の気持ち“などへと変わっていきます」(藤井理事長)

“好きなもの”から動きはじめる患者さんの心。周囲もその心に自然に寄り添うことで、患者さんの今が変わっていきます。

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