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認知症と生きるには

専門医が介護者になって感じた絶望と希望 認知症と生きるには44

夢に向かって仕事に邁進していた日々を、妻の介護に取り上げられた夫。しかし妻と向き合うことで「こういうのもありだなぁ」と感じている。

大阪で「ものわすれクリニック」を営む松本一生さんのコラム「認知症と生きるには」(朝日新聞の医療サイト「アピタル」に掲載中)を、なかまぁるでもご紹介します。

多くの介護場面で「困難な介護」をしている人々がいます。親の介護のために仕事を続けることができず、退職せざるを得なくなった若者、妻や夫のために人生の大きな目標を達成する前に社会から退き、介護者に徹した人も知っています。
私はこういった人々に対して医師としてできる限り「寄り添い支援すること」が自分の役割であると思ってきました。「介護を頑張り過ぎないで。自分の人生こそ大切」と声をかけています。しかし私自身が妻の介護者になった時、真っ先に頭に浮かんだ考えは「これからの人生は介護だけで、もう終わりだ」という恐怖感でした。

絶望が目の前に

はじめて来院した患者さんと介護者に会うとき、私はまずしっかりと介護を評価します。「立派に介護してきましたね。辛い日々もあったでしょうね」と。でも、自分が介護者となって思うのは、本当にあの時の言葉は共感に満ちていたものだったろうかという疑問です。

この4年半、妻は認知症でこそありませんが、パーキンソン症状で筋肉が硬くなって歩きにくくなる症状と不安が出やすくなっていて、私は毎日、妻の夕食時には自宅にいないといけなくなりました。

自分の中の絶望感がピークになりかかっていた介護2年目の暮れだったと思います。これまで6年にわたって私の診療所まで県境を超えて通院していた高松卓司さんという男性(仮名、46歳)が、若年性アルツハイマー病の妻への診察が終わった時に声をかけてくれました。

先生も仕事をしながら奥さんの食事の買い出しに行くのは大変でしょうね。僕も妻の介護のために仕事を半分に減らして、出世コースから完全に離れました。

高松さんの妻の通院を始めたときに聞いていた情報では、高松さんはトップのセールスマンでした。部長、役員と進んで社長を目指そうとしていた時、妻の発病を知らされたということでした。

診察している人の家族に普通ならこんなことは聞かないはずですが、その時の私は、気が付くと高松さんに対して「奥さんの介護で自分の未来が閉ざされた気持ちにはなりませんでしたか」と、自分の悩みを聞いていました。

予期しなかったことば

そこで返ってきた高松さんの言葉に私は驚かされました。

もちろん自分の将来に絶望して、しばらく泥酔の日々が続きました。でも介護を続けて3年ほどたったころから気持ちが少しずつ変わってきました。僕は妻を介護して『誰かのために生きる』という前向きな考えかたに出会い、希望を持つことができるのだと知りました。

高松さんが勤めていた会社は、毎月の営業成績で社員が競い合い、ライバルを押しのけて優位に立つことを求められました。23歳で大学卒業後に就職してから20年以上、高松さんは仕事のやりがいや社会的な意味よりも、成績を伸ばすことに集中してきました。それが介護者の生活になると、これまでの価値観だった営業成績という「生きがい」が崩れます。でも、認知症介護から当事者の周囲の家族や次の世代の人々が、これまで感じられなかった「希望」の瞬間が訪れることもあります。

高松さんの言葉はさらに続きました。

僕がこれまでの人生を問い直したのは、妻の介護で介護職の人たちに出会ったからです。ひとごとなのに自分の家族に対するように彼らは仕事をしていました。僕は仕事というものは成績を上げることだと信じていましたから、最初はだまされた気持ちになりました。

でもね、介護が始まって1年もたつと、何か困ったことがあるとケアマネジャーの福島さんやホームヘルパーの山下さんの顔が浮かぶようになりました。ふたりとも自宅に戻ると認知症の親を介護しているんですって。そんな状況なのに人の支援者をしているなんて。介護をしていながら人を支えようとする人がいるということを知って人生の見方が変わりました。

それから数カ月後のある日の夕食のときでした。なぜあのような気持ちになったのか、今でも分かりません。でも、ふと自分が『こうやって介護人生を送るのも良いかな』とぼんやり考えていたことに気づき驚きました。

でも最近の受診での先生の姿からも影響をもらいました。それは先生が妻を診てくれたあとに、ご自身の介護のことも話すでしょう。それって僕も先生も介護している仲間だという気がして、これまでより先生に何でも言える気がするようになりました。お互い介護者として支えあっている気がして、「こういう生き方」もあると知ることができてよかったと思っています。

新しい自分に向かって

私がこれまで持ち続けてきた「支援」という考え方は、医師としては当たり前の姿勢です。目の前に困っている人がいて、自分が医療を担当するのなら、その人や家族を「支援」するのは当たり前のことであり、そういう職業を選んだ自分が介護者に寄り添う言葉をかけるのは当然です。

しかし今回、自分が妻の介護者となった時に高松さんから聞いた希望の言葉は、これまでの自分の「立ち位置」を根底から変えました。介護の世界は支援する側とされる側の敷居は高くありません。なぜなら認知症や介護は誰にでも起きる可能性があり、決して特別な人にだけ訪れることではないからです。

認知症の診療をして家族の支援をするという「ものの見方」は、自分が介護する生活になって、「支援」や「寄り添い」ではなく、同じ立ち位置から「あたりまえのようにそこにいる」という共感になりました。

この肯定的な変化を「新しい自分」と呼ぶのか。それともやっとこの年齢になってそのような「あたりまえのこと」に気づいたというか、それはこの先にわかってくることでしょう。この先、何を見るか何を感じるのか、じっくりと覚悟を決めて見ていくことにしたいと思います。

※ このコラムは2019215日に、アピタルに初出掲載されました

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