認知症の母、父101歳、一人娘60歳 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編が語りかけてきたこと
文:岩崎賢一
信友直子監督のセルフ・ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』が12月15日に完成しました。認知症の母親文子さんのリアルな日常を撮った前作とは違い、続編は文子さんが脳梗塞(のうこうそく)で入院生活となって家族が別々に暮らすところから始まります。「おひとり様だけどおひとり様じゃない日常」を撮った映像に、人生100年時代に大切なことを気づかせてくれました。
父親が言った 「娘はこれからが人生なんで……」
続編は2022年3月25日から全国の映画館で順次公開されます。
私は、認知症の母親の日常をつづった前作映画について、「認知症になっても続く『正解のない日常』」と評しました。2018年に公開されると、各地の映画館にシニア世代の人たちが詰めかけ、全国で20万人を超える動員数がありました。
地元の広島県呉市でも、父親の良則さんは一躍有名人になり、商店街での買い物などの外出時、道行く人に声をかけられるほどの存在にまでなりました。
「娘はこれからが人生なんで、よろしゅうお願いします」
これは、良則さんが呉市内の映画館であった前作の舞台あいさつでお客さんに語りかけた言葉です。取材で良則さんに会うと、妻の文子さんへの想いだけでなく、90歳を超えても一人娘のために親としてできることをしたいという熱意が伝わってきたことを思い出します。
続編は、父親を中心に「人生100年時代」に遭遇するライフイベントや生活の光景が、あちこちに映し込まれています。それがあるためか、親世代にとっても子世代にとってもいや応なく自分事化を促してくれます。そんな映画です。
気づいていても言い出せなかった 「これも運命」
東京で仕事をする直子さんが帰郷した際、台所で文子さんが買ってきたバナナ、リンゴ、ミカンが山ほどあることに気づきます。
文子さんは85歳。
認知症かもしれない……。
良則さんは「すぐ前のこと、わからん」と、異変に気づいていたことを直子さんにさらりと話します。東京で仕事をする娘に異変を伝えず、自分ががんばればいいと胸の中にとどめていたようです。
「これも運命」
私も取材で経験した良則さんの芯の強さを感じる一言です。家事をしなかった良則さんが、両手にスーパーのレジ袋を持ちながら買い物をし、道端で両手をひざについて息を整えている姿。たらいで洗濯をする姿。前作と続編を通じて、90歳代になっても、変わっていけるんだということを気づかせてくれます。
高齢者の介護を社会全体で支える「介護の社会化」のため、2000年に介護保険制度が施行されました。この映画を見た人たちが、信友家という家族、良則さん、文子さん、直子さんというそれぞれの姿に自分を重ね合わせてしまう高齢者の人たちは少なくないだろうと思います。
老老世帯、一人っ子、仕事を持つ遠距離家族、在宅介護……。
キーワードを取り出してみると、高齢者を取り巻く近年の状況がよくわかります。良則さんがその時々に導き出した「解」は、医療や介護に詳しい第三者が冷静に見たら「最適解」ではないかもしれませんが、妥協があちこちに垣間見られるからこそ「リアルな解」として多くの人たちが共感を覚えてしまうのだろうと思います。
認知症でも 「元気で、おしゃれでいたい」
認知症や認知症を発症した人たちに対する社会の受け止め方は、当事者や家族の努力、周囲の人たちの協力の積み重ねで、徐々に変わってきました。とはいえ、軽度認知障害(MCI)や認知症は、突然発症して誰もがすぐ気づくものではありません。「あれ?」という当事者や家族の気づきから受診、そして診断を受け入れる覚悟という大きなハードルをいくつも越えていかなければなりません。
2017年のお正月、良則さんと直子さんに文子さんは「ぼけますから、よろしくお願いします」と突然言い出しました。一方、その数日後には、「どうしたんかね?」「私、おかしいね?」と何度も繰り返す文子さんがいます。認知症の家族と暮らしたことがない人たちは不安を抱くかもしれません。
でも、信友家の日常を映し出した前作と続編の二つのドキュメンタリー映画は、そんな不安を希望に変えてくれています。いつも朝方、症状が出る文子さんですが、直子さんと良則さんが88歳の誕生日だと告げて、美容院でカットとブローをプレゼントしたいと話しかけると、様子は一変します。
「元気で、おしゃれでいたい」
症状にもよるでしょうが、「病気だから」と日常生活を諦める、がまんする社会ではなく、そういう人たちをも包摂した社会が、呉市の街に広がっていることを感じました。
食べることが生きる意欲に 「わしはハンバーグが食いたいんじゃ」
人生100年時代と言われつつ、終活という言葉が定着してきました。しかし、前作と同様に続編でも、90歳代と80歳代の老夫婦とは思えないほどテーブルいっぱいに小皿が並び、品数や食べる量に感心させられます。ただ、文子さんが2018年9月20日午後10時ごろ、脳梗塞で倒れ、入院生活に入ってからは、テーブルに並ぶ小皿の面積が3分の1や4分の1に減ってしまっていました。私には、高齢社会の日本で、二人暮らしから一人暮らしに家族がダウンサイジングしていくときのリアルさが強く印象に残りました。食べることが生きる意欲とも感じてしまう老夫婦だったのに……。
2019年6月、看取りが近いことを医師から告げられた良則さんは、文子さんに語りかけます。
「元気になったら、ごちそうでも食おうかい」
「わしはハンバーグが食いたいんじゃ」
「一緒に食おうね」
悲しみの先にあるもの
続編を作り上げた直子さんは、「母の看取りだけでなく、父が悲しみから再生していく姿も伝えたいと思いました」と語っています。できあがった続編を良則さんにも見てもらうと、各シーンに思い出があり、心残りや心が痛むこともあるそうです。
映画公開まで4カ月ほどありますが、続編映画の情報解禁日は、直子さんが自分の60回目の誕生日にしたいと思い、決めたそうです。
映画公開前なので、心震わすシーンを細かく紹介することはできませんが、ぜひ、良則さんと直子さんの舞台あいさつを聞きたいと感じました。
映画の公式サイトはこちら
- 信友直子(のぶとも・なおこ)
- 1961年広島県呉市生まれ。84年東京大学文学部卒業。86年からフジテレビを中心に、ドキュメンタリー番組をこれまでに100本以上制作。『NONFIX 青山世多加』で放送文化基金賞奨励賞、『ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』でニューヨークフェスティバル銀賞とギャラクシー賞奨励賞を受賞。2018年に公開された初の映画監督作品『ぼけますから、よろしくお願いします。』で文化庁映画賞文化記録映画大賞を受賞。19年、書籍「ぼけますから、よろしくお願いします。」出版。