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認知症の人の声がガスコンロメーカーを動かした 高齢者や認知症の人でも使いやすい本当のデザインを知る 問い合わせ相次ぐリンナイの新型ガスコンロ

認知症の当事者が参加してリニューアルされたガスコンロ「SAFULL+」とガス器具メーカー「リンナイ」の社員のみなさん(朝日新聞社作成)

高齢になったり、認知機能が低下したりしても調理の楽しみを諦めないでほしいという開発者の思いがこもったガスコンロが、2月1日、リンナイ株式会社(本社・名古屋市)から発売されました。メーカーがモニタリングを繰り返して認知症当事者の声を丁寧に拾い、疑似体験するAR(拡張現実)も使って高齢者に使いやすく改善したものです。認知症の有病率は70歳から95歳にかけて上昇していきます。「当事者参画型開発」の先行事例として注目されています。

使ってほしいユーザーへのモニタリングから生まれたガスコンロ

リンナイが発売したガスコンロ「SAFULL+(セイフル・プラス)」は、2020年に発売された5代目「SAFULL(セイフル)」をベースに、より高齢者や認知症の方に配慮した商品です。

ガスコンロは、2008年に全口に調理油か熱防止装置の搭載が法令で定められ、「消し忘れ消火機能」や「早切れ防止機能」を搭載した「Siセンサーコンロ」が標準化されたことで、安全性が向上しました。ベースとなった「セイフル」も、Siセンサーを搭載したシニア向け商品でした。

リンナイ営業本部の中野一志課長は、「これまでは安全性重視で、必ずしも使い勝手がよかったわけではないということが今回分かりました」と振り返ります。

「セイフル・プラス」は、次の3つの改良を加えたものです。どれも認知症の当事者の協力を得て4回のモニタリングを実施し、当事者の生の声や目線、調理での動作を反映したものです。

  • 間違え防止のカラーリング
  • 安心して鍋が置けるゴトク
  • 聞き取りやすい音声案内

「間違え防止のカラーリング」は、ガスコンロの点火スイッチの配色です。2口のコンロとグリルの計3つの点火スイッチがありますが、使用頻度の高い右コンロの点火スイッチの色と、反対側の左コンロの点火スイッチの色を、認知症の当事者でも区別が付きやすいオレンジ色(右)と緑色(左)に配色しました。一方、誤認して混乱を招きやすい右コンロの点火スイッチのすぐ左横の魚グリルの点火スイッチは極力目立ちにくいグレー色にしています。白い天板の周囲を黒のフレームで囲い、ゴトクやバーナー周囲も黒で統一することで、コンロの炎を見えやすくしています。

「安心して鍋が置けるゴトク」は、従来のようなバーナー周りを囲むだけでなく、四角い大型ゴトクに改良し、鍋を中央に置きやすくしています。

音声案内は、口語表現やゆっくりとした口調、フレーズごとの間などを改善し、「聞き取りやすい音声案内」にしています。例えば、現行品では「右コンロ、使用中です」という音声案内を、「セイフル+」では「右、コンロ、15分間、使用しています」としています。

認知症の当事者にも見やすいように、オレンジ色に白抜きの文字を大きくして入れています(朝日新聞社撮影)
ゴトクは黒にすることで、見やすくしています(朝日新聞社撮影)

課題は認知症の当事者の人たちと一緒にモノづくりをする経験がないこと

リンナイのガスコンロ開発で、認知症当事者の声や調理をモニタリングして、商品開発をするのは初めてでした。こうした取り組みの背景にあるのは社会や市場の変化です。

2017年4月にスタートした「ガス小売全面自由化」をきっかけに、ガス器具の開発は、器具を販売するガス会社からのリクエストを受けての開発でなく、ガス器具メーカー主導の開発に変わりました。リンナイによると、ガスビルトインコンロ市場は年間約130万台で、ビルトインIH調理器は年間約60万~約70万台とされ、計200万台程度が新たに流通しています。新築住宅と買い替えの需要は半々です。2021年11月、認知症の当事者にやさしい商品やサービスを開発する福岡の産学官民による組織「福岡オレンジパートナーズ」(登録数、2023年3月末現在93社・団体)に参加する西部ガス株式会社(本社・福岡市)から、「メーカーも加わってほしい」と相談を受けたことがきっかけでした。

相談を受けたリンナイ九州支社の伊集院章次長は、西部ガスの担当者に、福岡市の高齢者人口の割合や認知症の当事者の増加といった数字を示され、「ただごとではない」と直感しました。

「高齢や認知機能の低下を理由に、本当は慣れたガスで調理を続けたいのに、『ガスは危ない』とされてIH調理器に取って変わられたり、調理すること自体をやめさせられたりしてしまう人が増えることは、ビジネスチャンスを逃すことにならないか、と感じたからです」

伊集院さんにとっても、他人事ではありませんでした。84歳の母親は認知症で、イメージがすぐできたからです。

営業担当の中野さんや、リンナイ開発本部厨房機器設計室の加藤定基課長に連絡。「福岡オレンジパートナーズ」に参加する可否を検討するため、リンナイは福岡市が西部ガスのショールームを利用して開催した、認知症の当事者(軽度から中等度)を招いて行った調理会に参加しました。リンナイのガスコンロ「DELICIA(デリシア)」の最新型を使った調理の動作の観察です。

その結果、伊集院さんらリンナイの社員は、「最新型のガスコンロは認知症の高齢者にとって使いづらいし、これでは受け入れてもらえないだろう」と実感しました。

ただ、課題もありました。開発担当の加藤さんは、「認知症の当事者が、どのような調理での動きをするのか、この時点では私たちに知見がありませんでした」と振り返ります。中野さんは「課題は、認知症の当事者の人たちと一緒にモノづくりをするということでした。私たち自身、認知症のことや当事者のことを、ほとんど知らなかったというのが事実です。それでも他社が取り組んでいないことだからチャレンジしたいと思いました。高齢化はさらに進むからです」と話します。

2022年7月、リンナイ、西部ガス、福岡市、認知症当事者にやさしいデザインなどの知見を持つ株式会社メディヴァ(本社・東京都)によるプロジェクトがスタートしました。

認知症の有病率は70歳を過ぎたころから95歳ごろにかけて急速に上がっていくと推計されています(朝日新聞社作成)
高齢者夫婦のみ世帯や高齢者の一人暮らし世帯が増加していく時代です(朝日新聞社作成)

当事者に調理をしてもらうことで得られる情報があった

当事者参画型開発で欠かせなかったのが、当事者を招いての4回のモニタリングと、開発スタッフによるARを使った疑似体験です。協力してくれる当事者を集めることは、ネットワークがないリンナイに代わり、福岡市が協力しました。

1回目のモニタリングは、2022年7月。7人の当事者がベースとなる「セイフル」を使い、操作の観察をしていきました。また、点火スイッチのレバーの配色の参考にするため、複数のカラーパターンを作り、意見を聞きました。「白と黒のコントラストがないと分かりにくいことや、青色が見えにくいという意見がありました」と加藤さんは話します。この情報は、リンナイ開発本部デザイン室の山田勇雄課長に伝えられました。

2回目のモニタリングは、2022年9月。「セイフル」の点火スイッチなど操作パネルの色を変えた3台を用意しました。当事者の参加は20人で意見を聞いていきました。

これら2回のモニタリングの情報をもとに試作機を製作。2022年11月に行われた3回目のモニタリングでは、試作機2台を使って6人の当事者に、リンナイの無水鍋「Leggiero(レジェロ)」を使った蒸しパンづくりとグリルを使った焼き魚の調理をしてもらいました。山田さんらリンナイの社員は、「観察シート」を使って詳細にメモをしていきました。

4回目のモニタリングは、2023年7月。7人の当事者に、ベーコンエッグ、みそ汁、焼き魚を調理してもらいました。

3回目と4回目の違いは、商品化するための金型発注のために必要な仕様を決めるモニタリング(3回目)と、リニューアルされたガスコンロの効果を確認するためのモニタリング(4回目)です。4回目のモニタリングで使用した試作機は、安全性をより高めるために改良した音声メッセージも組み込まれました。

加藤さんは「これまでのモニタリングはパソコンの音声ソフトを使っていましたが、4回目は声優さんが録音した音声を使用しました。2回目のモニタリングで、しゃべり方、声の大きさ、話すスピード、表現、間合いなどが大切だとわかりその内容を反映しました。ブザー音だけだと、何のために音が鳴っているのか当事者に分かりづらいという声があり、メッセージで話しかけるようにしました」と説明してくれました。

認知症の当事者でも分かりやすい配色などのデザイン見直しが今回のポイントの一つになっています(リンナイ提供写真)
第2回モニタリングで3パターンの試作機の説明を受ける認知症当事者のみなさん(リンナイ提供写真)

モニタリングの質を変えることで認知症による視覚的困難さを知れた

山田さんによると、一般的には、商品開発のモニタリングで調理をしてもらう場合は、社員にしてもらうことが多いそうです。軽度から中等度の認知症で、かつ自宅で日常的に調理をしていている当事者が参加したモニタリングは初めてです。知見のあるメディヴァや福岡市認知症支援課のアドバイスもあり、当事者参画型開発の注意点は、モニタリングや関係者による振り返りの回数を積み重ねることで分かってきました。

「観察シート」では、その日の作業工程を一覧にし、行動一つ一つについて、気づきやトラブルをチェックやメモしていきます。山田さんはこう振り返ります。

「行動や作業性を点数評価することは難しく、作業工程ごとの所作や気づきを中心にメモしました。認知症の当事者が、悩みこんだり、しゃがみ込んだりすることもあります。そういった行動を読み解くことも必要になってきます。また、『みなさん、調理をしますか?』と質問すると、昔の調理の話をされる当事者もいます。そこで気づいたのが、認知症になる前に調理したときのガスコンロの操作方法の記憶が大事だということです。だからこそ、最新型のガスコンロだからいいというわけではないのです」

もう一つ、この開発に影響を与えたのが、メディヴァが提供した「認知症AR体験『Dementia Eyes』」です。AR技術を搭載したスマートフォンをゴーグルを通じて見ることで、認知症による視覚的困難さを体感するプログラムです。リンナイの開発者たちが、ゴーグルを使ってガスコンロの動作を体感しました。

山田さんは「ARのゴーグルを通して既存のガスコンロを見たとき、点火スイッチよりも火力ツマミのほうが目に飛び込んでくることが分かりました。また、曖昧な配色だと室内の光や影でわかりにくくなり、また製品の立体感がのっぺりして見えてしまうことも分かりました」と振り返ります。加藤さんも「私たちは、認知症の方々には違う見え方をしていることを知らなかったのです」と気づきの大切さを話します。

認知症当事者の疑似体験をするため「AR体験」をするリンナイの関係者のみなさん(リンナイ提供写真)
第4回モニタリングで試作機を使って調理をする認知症当事者(リンナイ提供写真)

プレス向けのニュースリリースに高齢者の一般ユーザーが反応

「セイフル・プラス」として完成したガスコンロは、2023年9月、リンナイから「ニュースリリース」として発表されました。ここで中野さんはこれまでにない経験をしました。

「直後から一般のユーザーの方々から問い合わせの電話が相次ぎました。これは過去にない反応でした。70代の方々が多かったようですが、60代の子どもが90代の親のために問い合わせてきたケースもありました。正直、どれぐらいの反応があるのか想像できずに取り組みを始めましたが、これだけ一般のユーザーから反響があるとなると、高齢者やその家族の期待感があるのではないかと考えが変わりました」

同じ現象は、2024年1月10日に発売日を知らせるニュースリリースを発表したときも起こっています。

リンナイが期待する市場は、70代です。後期高齢者(75歳以上)になっても安全に調理を続けることができるように、生活の質(QOL)や日常生活動作(ADL)の維持ができるように、高齢社会の暮らしをサポートするアイテムになればという考え方です。

「卵焼き」を作るデイサービスのご利用者(朝日新聞社撮影)
グリルで魚のホイル焼きをするデイサービスのご利用者(朝日新聞社撮影)
みそ汁を作るデイサービスのご利用者(朝日新聞社撮影)
職員に付き添われながら調理をする認知症の当事者。奥はモニタリングをするリンナイ営業本部の中野一志課長(朝日新聞社撮影)
発売直前のモニタリングで認知症の当事者らによって作られた昼食(朝日新聞社撮影)
「デイサービス桜」の本野光代代表からも、日常の使い勝手などについて話を聞くリンナイ営業本部の中野一志課長(朝日新聞社撮影)

メーカーから「声を掛けてくれてうれしい」と感じている介護現場

1月19日、1カ月ほど前にモニター機を設置した福岡市東区にある「デイサービス桜」で、発売前のモニター会が行われました。86歳と97歳の当事者が、新しいガスコンロを使い、昼食でご利用者が食べる「卵焼き」「おみそ汁」「魚のホイル焼き」を作りました。

代表の本野光代さん(社会福祉士)は、当事者参画型開発についてこのような感想を持っていました。

「企業が高齢者や認知症の人たちに興味を持って商品を作ってくれることにうれしさを感じています。私たちは現場を知ってほしいのです。だから、声を掛けてくれてうれしいのです。認知症の症状も人により違います。これが絶対ということはないので、認知症の人の行動をあまり絞り込みすぎないことも、より多くの高齢者や認知機能が落ちてきた人に使ってもらうためのポイントだと思います。認知症を発症するのは特別なことではありません。調理など日常で行ってきたことができるだけ長くできるということは、生きがいを失わないで暮らし続けられるということにつながります」

2024年1月1日、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(認知症基本法)が施行されました。共生社会の実現には、企業や市民の主体的な取り組みが必要になります。すでに経済産業省では、厚労省、「日本認知症本人ワーキンググループ」、「認知症の人と家族の会」とともに、「オレンジイノベーション・プロジェクト」を始めています。

「認知症の人が主体的に企業や社会等と関わり、認知症当事者の真のニーズをとらえた製品・サービスの開発を行う「当事者参画型開発」の普及と、その持続的な仕組みの実現に向けた取組を推進しています」(経済産業省「オレンジイノベーション・プロジェクトHPから一部引用」)

福岡市でのリンナイや西部ガス、メディヴァによる取り組みも、これと連携しています。「オレンジイノベーション・プロジェクト」を通じて、さまざまな企業による商品・サービス開発のため、企業と当事者のマッチングやサポートが始まっています。

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