『ぼけますから、よろしくお願いします。』の信友直子監督が悟った「お互いさま文化」の大切さ 認知症700万人時代だからこそ家族で抱え込まないで!
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認知症の母親を一人娘が撮ったドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』の信友直子監督が、「“Talk with” みんなで話そう」をテーマに自らの体験を踏まえて語ってくれました。認知症を話題にすること、本音で話すことが、もっとオープンにできる社会に変わっていくためにはどうすればいいのでしょうか?
母や父の気持ちを忖度して社会に対して閉じていた
――信友さんは、2012年にお母様の異変に気づき始めたそうですが、当時と現在を比べると、家族でも地域でも職場でも「認知症については話しづらい」という社会の雰囲気は変わってきましたか?
映画公開後、上映会や講演会での交流で実感したのは、「認知症のことを話していいんですね」という方が増えてきたことです。
実は我が家も当初、近所にも言わず、介護サービスも利用せず、社会に対して閉じていました。やっぱり恥ずかしいと思っていたんだと思います。友だちが多かった母は、異変を悟られたくないと思って外出をしなくなりました。私も母や父の気持ちを忖度(そんたく)し、近所の人に聞かれても何となく言葉を濁していました。
認知症を話題にしていても自分事になっていなかった
――お母様が認知症を発症する前、ご家族で認知症や軽度認知障害(MCI)について話したことはありましたか?
母方の祖母は、アルツハイマー型認知症でした。高校生のころ、大好きなおばあちゃんが(認知症の進行によって)変わってしまい、怖くて近寄れなくなっていました。テレビ局でディレクターをしていたことから、2005年ごろ、海外で認知症の当事者が「認知症は本人が一番つらい」と語っていた姿を見てショックを受けました。祖母の話を聞いてあげればよかったという後悔を、私が一方的に父や母に話していましたが、認知症を話題にしていても家族の中で自分事になっていなかったのだと思います。
世間体を保って暮らそうとしていた時期が一番つらかった
――お母様が認知症と診断されたとき、ご家族でどのような話し合いをされましたか?
父は90代で耳が遠いので、私が「(広島県呉市の実家に)帰ろうか」と話したところ反対されました。父には「おっかあの具合が悪くなったけん言うてあんたを帰らすのは、わしのプライドが許さん」と泣かれました。二人暮らしは心配なので介護サービスを頼もうとしましたが、父には「わしが元気なうちは、おっかあの面倒はわしがみる」と抵抗されました。そのため、我が家では介護サービスを受け始めるのが2年ほど遅れました。両親は、世間体を保って暮らそうとしていたので、私もそれを乱しちゃいけないと思い、ひきこもりのような生活をしていました。その時期が一番つらかったですね。
地域へのカミングアウトが転機になった
――ご家族でどのように乗り越えてきたのですか?
乗り越えられたかはわかりません。泣いていても治る病気ではないので、認知症を受け入れて少しでも笑顔で暮らすことに目を向けるようにしました。それは、私が乳がんになったときに看病してくれた母が言っていた言葉が印象に残っていたからです。「泣いてもがんが治るわけじゃないじゃろ!」。こうした前向きな思考を母から受け継いだのだと思います。
――マインドリセットしていったのですね。
母は認知機能が低下したことで、家事ができなくなって家族に面倒をかけている、ここに居てもいいのか、と心を痛めていました。父と私の笑顔は、母にここにいていいんだよというメッセージになったと思います。
――具体的には何が転機になりましたか?
私の仕事柄、自らビデオカメラを持って母と父の日常を撮影し、ドキュメンタリー番組として2016年に放送したことです。ご近所にカミングアウトすることになり、介護サービスの利用にもつながりました。
ご近所の人たちは思っていた以上にやさしかった
――政府の「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」によりますと、2025年には高齢者人口の増加で認知症の人は約700万人となるという推計があります。高齢者の5人に1人の割合です。他人事(ひとごと)にできない状況です。両親や祖父母、身近な人が認知症になったときのために、どのようなことを話し合っておけばいいと思いますか?
今思い返せば、父に反対されても地域包括支援センターにもっと早く相談に行けばよかったと思います。我が家のようなケースなら、こうすれば心を開いて介護サービスを受け入れてくれるというノウハウを持っているからです。
もう一つは、地域にカミングアウトすること。ご近所の人たちは思っていた以上にやさしかったですね。認知症は誰がなってもおかしくないとみなさん思っていたようで、自分事として心配してくれました。お向かいのおばさんからは、「私もおかしい思うとったんよ。でも、あんたもお父さんも認知症じゃ言わんけん声をかけられんかった。もうちょっと早う言わんとダメよ」と怒られました(笑)。人生100年時代になり、「お互いさま文化」が広がってきているようです。
いきなり重度の認知症になるわけではありません。当事者の意思も聞いてあげることは大切です。でも、そこで家族だけで抱え込んでしまうと、我が家のようなつらい時期を過ごすことになってしまいます。介護のプロに相談すること、ご近所の力を借りるのをためらわないこと。こうした共通理解は大切だと思います。
100歳からでも意識は変えられる
――「お互いさま文化」は広めたいですね。
何かしてもらったら恩返しをしなくてはいけないと考えるのではなく、別な人に恩送りをすればいいと考えるようにしています。私は現在、仕事がある東京と呉を行き来しながら生活しているため、父は100歳でも一人暮らしをしています。週3回、リハビリテーションに通っているほか、近所の魚屋さんや肉屋さんが父の献立を考えてくれるんです。この前、父がいいことを言っていました。「いやあ、年寄りにとっての社会参加は、人に甘えることなんじゃのう。わしは気が付いた」と。100歳でも意識を変えられるのだと思いました。
認知症になっても目標や楽しみを見つけて生きていきたい
――信友さん自身は認知症にどう備えていくのか、何か考えていますか?
私はビデオカメラを持って母を撮影していたことでだいぶ救われました。(カメラを通して母に接することで客観的に見られる)「引きの目」を持てたからです。将来は、もし私が認知症になったら私を撮ろうと、映画のプロデューサーや編集者と約束しています。私自身の認知症が「ぼけますから、よろしくお願いします。」の最終章になる。そう考えたら、目標、楽しみができました。そこに伝えられるものがあれば本望だなと思います。認知症になるのはやっぱり怖いけど、『もし認知症になったら自分を撮ればいいんだ』と思ったら少し気楽になりました。
信友直子監督からみなさんへのメッセージ
認知症は誰がなってもおかしくない病気です。助けてもらったら恩返しをしなくてはいけないと考えるのではなく、恩送りをすればいいという「お互いさま」の発想で、地域で支え合うことが大切です。誰もが「ぼけますから、よろしくお願いします」と言える社会を一緒につくっていきましょう。
- 信友直子(のぶとも・なおこ)
- 1961年広島県呉市生まれ。84年東京大学文学部卒業。86年からフジテレビを中心に、ドキュメンタリー番組をこれまでに100本以上制作。『NONFIX 青山世多加』で放送文化基金賞奨励賞、『ザ・ノンフィクション おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』でニューヨークフェスティバル銀賞とギャラクシー賞奨励賞を受賞。2018年に公開された初の映画監督作品『ぼけますから、よろしくお願いします。』で文化庁映画賞文化記録映画大賞を受賞。19年、書籍「ぼけますから、よろしくお願いします。」出版。
- 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』
- 認知症と診断され治療を受けながら葛藤を抱えて生きる母の文子さんと、それを一定の距離感を持って支える父の良則さんの1200日の記録。一人娘の直子さんが自らカメラを持って撮影した。映画には「正解のない日常」がいくつも盛り込まれていて、共感の輪が広がっていった。
2021年4月現在の動員数は、映画館が全国99館で約94000人、自主上映会が532件で約97000人。上映会受付中