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“Talk with” 話そう認知症のこと。想いをつたえる最初の「言葉」とは?

大石智・北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長

認知症と言う「言葉」は、世の中にあふれていますが、いざ、自分や大切な人の現実になったとき、伝えたい思いはあるのに、なかなか最初に発する言葉が、見つからないものです。そうしたとき、どのようなことを心掛ければ良いのでしょうか。9月23日(金・祝日)午後1~3時に開催される第6回「共に生きる」認知症を考えるセミナー~“Talk with”みんなで話そう~(SOMPOホールディングス主催)で基調講演をしていただく大石智・北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長にお話を伺いました。

――認知症のある人に対する態度や言葉が大切であると思うようになったきっかけはどのようなことだったのでしょうか?

私は、病院での外来のほか、施設や在宅への訪問診療なども行っているのですが、高齢者施設へ行ったとき、介護職の人に「あの人、帰宅願望がひどいので、どうにかならないでしょうか?」と言われたのです。「帰宅願望」という言葉を初めて聞いたとき、なんだか妙な言葉だなと思いました。けれど、よくよく、経緯を聞いていったら、その方は家族から施設への入所について十分に理由の説明を受けないまま入所することになり、自宅に帰りたがっているとのことでした。その人には至極もっともな帰りたい理由はあるのに、「帰宅願望」という省略された言葉で表現することで、それがあたかも精神症状であるかのようにとらえられていました。けれど、これは、精神医学用語ではないのです。にもかかわらず、医療や介護現場の人が、帰宅願望という言葉を使うことで、精神症状だからお薬が必要だと考えるようになると、望ましい関わり方が生まれなくなってしまいかねません。ますますご本人は居心地が悪くなって、もうそこには居たくなくなってしまいます。このように、周囲の人の態度や言葉が、認知症がある人の不安を強めたり、心を傷つけたりしている可能性があると思うようになりました。

――ほかにも気になる言葉はありますか?

介護や医療現場でしばしば聞く「認知っぽい」とか「認知が入っている」という言い方も気になりますね。そこで、使っている人に「どうしてそう思うの?」と聞いたら、「忘れっぽくなっているから」「お薬をのみたがらないから」「お部屋を間違えるから」など色々なことを理由にして「認知」という言葉を使っています。そして、そのように言われたご本人やご家族の中には「認知症なのかもしれない」と受け止める人もいると思います。けれど、よくよく状況を聞いてみると、それは認知症ではなくて、せん妄状態という意識障害であることもあるのです。「認知」という言葉で、すごく誤解が生まれているように思います。

大石智・北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長

――認知症に対する認識を形作るものには、様々なメディアの影響も大きいと思います。特に有吉佐和子さんの小説「恍惚(こうこつ)の人」も認知症に対するイメージに大きな影響を及ぼしたと思いますが、そうした観点から、どのような課題があると思いますか?

以前、学術集会の発表で「恍惚の人」の主人公に生じた行動は、肺炎を患ったことに伴って生じたせん妄状態によるものだったという報告を聞く機会がありました。そもそも認知症による行動ではなかった。そうした認識の誤りがあったのですが、映画にもなり、そのネガティブなイメージが当時は「痴呆」という言葉に染み付いて、広がりました。その後、痴呆という言葉には、侮蔑的な意味が含まれるといったことから、2004年に認知症へと言葉の見直しが行われました。言葉が変わることに伴って、人が持つ認知症のある人への染み付いたイメージが変わることが期待されました。ただ、その後の調査でも、まだまだ認知症に対するネガティブなイメージは残っているとされています。染み付いた認識や印象を変えるのは、本当に大変なことなのだと思います。

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――認知症に対するネガティブなイメージを変えていくためには、どのようなことを心掛けたり、取り組んだりしていく必要があるのでしょうか?

認知症にまつわる言葉や態度について、意識化する必要があるのだろうと思います。例えば、オーストラリアの認知症に関する言葉のガイドラインの序文には、認知症のある人に関して語るときの原則として、正確な言葉、認知症のある人を尊敬する言葉を使うことなどが記されています。そういうところをまず意識して、言葉を慎重に選ぶ必要があるだろうと思います。
最初に「帰宅願望」という言葉を取りあげましたが、このように省略した短い言葉で表現しようとしないというのが第一歩になると思います。ありのままに「施設に入所させられて家に帰りたくなってたまらない思いをいだいている人」と表現する。省略することは楽であるとともに、なんだか分かったような気持ちにさせますが、省略した言葉で自分のことを語られたら嫌ですよね。そうした省略した言葉で語られた相手の気持ちに思いをはせることが何よりも大事なことだと思います。

大石智・北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長

――認知症がある人と一緒に過ごすご家族の方々もどのような言葉を使えばよいか悩まれている人は多いです。アドバイスはありますか?

もの忘れがあったときに、「さっきも言ったじゃない」とか「何度言ったらわかるの」という風に、叱るような態度は、認知症のある人の自尊心を傷つけるとともに、「恥ずかしい」という恥の意識を強めてしまうことになります。そうすると、ご本人が社会とのつながりを恐れるようになり「外に出て、また恥ずかしい思いをしたくない」と感じ、閉じこもりがちになって、社会的な孤立を強めてしまうことになりかねません。
まずは、ご本人の思いを想像し、ご本人の保たれている機能やもともと持っていらっしゃる強みを見いだそうとして欲しいと思います。決して認知症になったら性格が変わるとか人格が失われるとか、全てを忘れるというわけではないからです。
ですから、認知症のあるご本人が語る機会を増やしていくことも大切だと思います。周囲の人の態度や言葉によって、認知症のある人が感じた思いに触れることは、自分たちの発している言葉や態度がいかに認知症のある人に嫌な思いをさせたり、悔しい思いをさせたりするのかということの意識を高めてくれることにつながると思います。認知症のある人の話を聞くことと、周囲の人々の態度や言葉の見直しは、車の両輪のように進めていくことになるのだろうと思います。

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大石智氏
大石智(おおいし・さとる)
北里大学医学部精神科学講師、北里大学病院 相模原市認知症疾患医療センター長。医師、博士(医学)。1999年に北里大学医学部卒業後、北里大学東病院精神神経科にて研修。駒木野病院精神科、北里大学医学部精神科学助教を経て、2019年より現職。著書に『認知症のある人と向き合う——診察室の対話から思いをひきだすヒント』(新興医学出版社)『教員のメンタルヘルス——先生のこころが壊れないためのヒント』(大修館書店)

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